ロビン・ロバーツとは? わかりやすく解説

ロビン・ロバーツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/24 01:18 UTC 版)

ロビン・ロバーツ
Robin Roberts
1953年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州スプリングフィールド
生年月日 (1926-09-30) 1926年9月30日(98歳)
没年月日 (2010-05-06) 2010年5月6日(83歳没)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 投手
プロ入り 1948年
初出場 1948年6月18日
最終出場 1966年8月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1976年
得票率 86.86%
選出方法 BBWAA[:en]選出

ロビン・エバン・ロバーツRobin Evan Roberts, 1926年9月30日 - 2010年5月6日)はアメリカ合衆国イリノイ州スプリングフィールド出身の元プロ野球選手投手)。右投両打。

1948年から1966年にかけて、主にMLBフィラデルフィア・フィリーズで先発投手として活躍し、通算286勝を記録し、アメリカ野球殿堂入りを果たした。

経歴

ミシガン州立大学出身。最初はバスケットボールをプレーしていたが、途中から野球に力を入れるようになった。フィラデルフィア・フィリーズに入団し、1948年6月18日にメジャー初登板・初先発。 この年は7勝9敗に終わるが、翌1949年は15勝を記録する。ただし、15敗を喫し、まだ不安定であった。1950年は40試合登板(先発39試合)で20勝11敗、防御率3.02の好成績を残し、オールスターゲーム初出場。この年チームは35年ぶりにナ・リーグ優勝[1]を果たしたが、ロバーツは最後の5試合中3試合に先発登板。シーズン最後の登板では優勝争いを繰り広げるブルックリン・ドジャースを敵地エベッツ・フィールドで延長10回の末破り、優勝を決めると同時にチームでは1917年ピート・アレクサンダー以来の20勝を記録した。このフィリーズの快進撃はMLBの歴史において「Whiz Kids」と呼ばれる。

1950年から1955年まで、20勝11敗、21勝15敗、28勝7敗、23勝16敗、23勝15敗、23勝14敗と毎年20勝をあげ、1952年の28勝は、ナ・リーグでは1935年以後の最多勝利である。1952年から1955年までは4年連続最多勝利のタイトルを獲得。1953年(198奪三振)・1954年(185奪三振)には最多奪三振のタイトルを獲得。1954年5月13日のシンシナティ・レッズ戦では、初回1番打者のボビー・アダムズに本塁打を浴びるが、以後27人をパーフェクトに抑えて完投勝利(スコアは8-1)。当時のナ・リーグを代表する投手であった。コントロールに優れ、与えた四球はシーズン最多でも77(1950年、ただし304.1回を投げており、9イニング平均では2.28個)。打力にも優れ、通算打率こそ.167だが、通算安打は255で、うち二塁打55、三塁打10、本塁打5があり長打率は.226、打点も103あった。1956年に19勝(18敗)に終わって20勝が6年連続で止まると、以後20勝をあげることはなかった。1957年以後は10勝22敗、17勝14敗、15勝17敗、12勝16敗と負け越すシーズンが増え、1961年に1勝10敗に終わるとフィリーズから戦力外通告となる。その一方でロバーツの長年のチームへの功績も評価され、退団した翌1962年にロバーツの背番号「36」はフィリーズ初の永久欠番に指定された。

1962年からはボルチモア・オリオールズに移籍。この年10勝9敗と復調し、1963年には14勝13敗、1964年も13勝7敗を記録する。1965年途中にヒューストン・アストロズに移籍し、両球団合計で10勝を記録するが、1966年途中にシカゴ・カブスに移籍し、合計5勝を記録したのがメジャー最後となった。あと14勝の通算300勝達成に意欲をみせ、翌1967年はマイナーで投げたが、メジャー復帰はかなわず、現役を引退した。

1940年代から1960年代にかけては300勝を達成した投手がウォーレン・スパーンアトランタ・ブレーブス他、左腕最多の363勝)しかいなかった。主にこの間に活躍し、殿堂入りしたボブ・フェラー(インディアンス)が266勝、ボブ・ギブソンセントルイス・カージナルス)が251勝、フアン・マリシャルサンフランシスコ・ジャイアンツ他)が243勝、ホワイティー・フォードニューヨーク・ヤンキース)が236勝。フェラーの場合は全盛期に3シーズン以上兵役でとられたハンデがあるとはいえ、彼らと比べてもロバーツの成績は優秀である。喫した本塁打505本は2010年6月27日にジェイミー・モイヤーに更新されるまでMLB歴代最多だった

投手としての主な球種は1951年頃まではライジングファストボール(浮き上がるストレート)、スローカーブ、シンカー(時々投げた)。 1952年以降はライジングファストボール(浮き上がるストレート)、ハードカーブ、スローカーブ(チェンジアップ)、シンカー(時々投げた)。(米書「guide to pitchers」より)

引退後

ロバーツのフィリーズ在籍時の背番号「36」。
フィラデルフィア・フィリーズの永久欠番1962年指定。

引退後、1976年アメリカ野球殿堂入り。1999年にはオールセンチュリー・チームの最終30人にノミネートされている。現在フィリーズ本拠地シチズンズ・バンク・パークの球場外(一塁側)に銅像が建てられている。

2010年5月6日、老衰のためフロリダ州の自宅で死去。83歳没[2]。逝去後、古巣フィリーズでは2010年シーズン中はロバーツの永久欠番「36」のユニフォームをベンチに掲げるほか、各選手の袖にロバーツの永久欠番「36」をあしらった喪章パッチをつけて試合に臨んだ。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1948 PHI 20 20 9 0 [3]0 7 9 0 -- .438 604 146.2 148 10 61 -- 4 84 1 0 63 52 3.19 1.43
1949 43 31 11 3 [4]1 15 15 4 -- .500 933 226.2 229 15 75 -- 5 95 1 0 101 93 3.69 1.34
1950 40 39 21 5 [5]2 20 11 1 -- .645 1228 304.1 282 29 77 -- 2 146 2 0 112 102 3.02 1.18
1951 44 39 22 6 [6]5 21 15 2 -- .583 1274 315.0 284 20 64 -- 3 127 4 0 115 106 3.03 1.10
1952 39 37 30 3 [7]6 28 7 2 -- .800 1310 330.0 292 22 45 -- 5 148 3 0 104 95 2.59 1.02
1953 44 41 33 5 [8]12 23 16 2 -- .590 1412 346.2 324 30 61 -- 2 198 3 0 119 106 2.75 1.11
1954 45 38 29 4 4 23 15 4 -- .605 1331 336.2 289 35 56 -- 5 185 2 0 116 111 2.97 1.02
1955 41 38 26 1 7 23 14 3 -- .622 1256 305.0 292 41 53 3 2 160 3 0 137 111 3.28 1.13
1956 43 37 22 1 9 19 18 3 -- .514 1228 297.1 328 46 40 3 2 157 2 0 155 147 4.45 1.24
1957 39 32 14 2 5 10 22 2 -- .313 1033 249.2 246 40 43 16 1 128 0 0 122 113 4.07 1.16
1958 35 34 21 1 7 17 14 0 -- .548 1116 269.2 270 30 51 5 2 130 2 0 112 97 3.24 1.19
1959 35 35 19 2 7 15 17 0 -- .469 1075 257.1 267 34 35 4 5 137 1 2 137 122 4.27 1.17
1960 35 33 13 2 3 12 16 1 -- .429 982 237.1 256 31 34 7 2 122 0 0 113 106 4.02 1.22
1961 26 18 2 0 0 1 10 0 -- .091 512 117.0 154 19 23 6 2 54 1 0 85 76 5.85 1.51
1962 BAL 27 25 6 0 0 10 9 0 -- .526 774 191.1 176 17 41 7 4 102 2 0 63 59 2.78 1.13
1963 35 35 9 2 3 14 13 0 -- .519 1014 251.1 230 35 40 8 3 124 0 0 100 93 3.33 1.07
1964 31 31 8 4 1 13 7 0 -- .650 846 204.0 203 18 52 6 3 109 2 1 69 66 2.91 1.25
1965 20 15 5 1 0 5 7 0 -- .417 469 114.2 110 17 20 3 1 63 1 0 51 43 3.38 1.13
HOU 10 10 3 2 0 5 2 0 -- .714 293 76.0 61 1 10 1 0 34 1 0 22 16 1.89 0.93
'65計 30 25 8 3 0 10 9 0 -- .526 762 190.2 171 18 30 4 1 97 2 0 73 59 2.78 1.05
1966 13 12 1 1 0 3 5 1 -- .375 274 63.2 79 7 10 0 1 26 0 0 31 27 3.82 1.40
CHC 11 9 1 0 0 2 3 0 -- .400 210 48.1 62 8 11 0 0 28 2 0 35 33 6.14 1.51
'66計 24 21 2 1 0 5 8 1 -- .385 484 112.0 141 15 21 0 1 54 2 0 66 60 4.82 1.45
MLB:19年 676 609 305 45 72 286 245 25 -- .539 19174 4688.2 4582 505 902 69 54 2357 33 3 1962 1774 3.41 1.17
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



投手(P)












タイトル

表彰

記録

背番号

著書

いずれもC.ポール・ロジャースとの共著

  • The Whiz Kids and the 1950 Pennant」(1996年)
  • My Life In Baseball」(2003年)

脚注・参考

外部リンク






固有名詞の分類

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シカゴ・カブスの選手 スコット・エアー  ジェイソン・ケンドール  ロビン・ロバーツ  チャック・クライン  ラビット・モランビル
ボルチモア・オリオールズの選手 レジー・ジャクソン  ジェフ・フィオレンティーノ  ロビン・ロバーツ  デーブ・マクナリー  アーバン・ショッカー
フィラデルフィア・フィリーズの選手 朴賛浩  ジェイソン・ワース  ロビン・ロバーツ  チャック・クライン  デビッド・デルーチ
ヒューストン・アストロズの選手 マイク・スコット  オーランド・マルセド  ロビン・ロバーツ  ドン・サットン  ディーン・ハートグレイブス

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