ラビット・モランビルとは? わかりやすく解説

ラビット・モランビル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/30 01:28 UTC 版)

ラビット・モランビル
Rabbit Maranville
ラビット・モランビル (1914年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 マサチューセッツ州スプリングフィールド
生年月日 1891年11月11日
没年月日 (1954-01-05) 1954年1月5日(62歳没)
身長
体重
5' 5" =約165.1 cm
155 lb =約70.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手
プロ入り 1912年
初出場 1912年9月10日
最終出場 1935年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1954年
得票率 82.94%
選出方法 BBWAA選出

ウォルター・ジェームズ・ヴィンセント・モランビル(Walter James Vincent "Rabbit" Maranville, 1891年11月11日 - 1954年1月5日)は、マサチューセッツ州出身の1910年から1930年代にかけて活躍したアメリカメジャーリーグの選手。ポジションは遊撃手。右投げ右打ち。

ニックネームはRabbit(ラビット)。守備範囲の広い遊撃手として、また球界随一の「道化師」として有名だった。

経歴

1912年に、ニューイングランドのニューベッドフォード球団からボストン・ブレーブスに買われてメジャーリーグにデビューする。モランビルは小柄で目だった打力があったわけではないが、その内野守備範囲の広さで注目を集めるようになる。メジャー3年目の1914年から1917年まで、遊撃手としての刺殺数は4年連続でリーグ最多を記録した。小柄な割に耳が大きく、また機敏にゴロを捌く姿から、彼には「ラビット」の愛称がついた。[1] また1914年には初めてワールドシリーズに出場、最優秀選手投票で次点となった。

1921年にパイレーツに移籍。1923年には遊撃手として刺殺数、補殺数、併殺数、守備率でリーグトップ、また1924年には二塁手として補殺数、併殺数、守備率でリーグトップの成績を残す。同年彼が取ったダブルプレーは実に109個にも及ぶ。

1925年、シーズン途中にカブスの監督兼任選手を務めたが、監督になっても彼の悪ふざけが収まった訳ではなかった。移動中の寝台車で、「俺が監督である間は、誰も寝てはならぬ」と言いながら、寝ている選手の顔に次々と氷水をかぶせて廻ったこともあった。ブルックリン・ロビンズに所属していた1926年のある日、彼は本拠地エベッツ・フィールドの前で、新聞配達の真似をして「モランビルが解雇された!」と大声で叫んでまわった。実際その翌日、彼は本当にロビンズを解雇されてしまう。

1927年にカージナルスと契約。翌1928年にカージナルスはナショナルリーグを制覇し、モランビルは実に14年ぶりのワールドシリーズ出場を果たした。その年のシーズンオフにブレーブスに移籍、7年間の在籍後、1935年に現役を引退した。実働年数は23年にも及び、1986年ピート・ローズに抜かれるまで、50年以上にわたってナショナルリーグ記録であった。

1931年には全米選抜軍の一員として、ルー・ゲーリッグレフティ・グローブらと共に来日。当時すでに40歳であったが、各地で軽快なプレイを披露し、股の間から送球する妙技まで披露した。

1954年1月5日にニューヨークで死去。同年、記者投票によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。選出は殿堂入り候補となって18年目のことで、これは記者選出としては最長である。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1912 BSN 26 101 86 9 18 2 0 0 20 8 1 -- 5 -- 9 -- 1 14 -- .209 .292 .233 .524
1913 143 659 571 68 141 13 8 2 176 48 25 19 17 -- 68 -- 3 62 -- .247 .330 .308 .638
1914 156 663 586 74 144 23 6 4 191 78 28 -- 27 -- 45 -- 6 56 -- .246 .306 .326 .632
1915 149 578 509 51 124 23 6 2 165 43 18 12 23 -- 45 -- 2 65 -- .244 .308 .324 .632
1916 155 680 604 79 142 16 13 4 196 38 32 15 24 -- 50 -- 2 69 -- .235 .296 .325 .620
1917 142 613 561 69 146 19 13 3 200 43 27 -- 10 -- 40 -- 2 47 -- .260 .312 .357 .668
1918 11 42 38 3 12 0 1 0 14 3 0 -- 0 -- 4 -- 0 0 -- .316 .381 .368 .749
1919 131 529 480 44 128 18 10 5 181 43 12 -- 12 -- 36 -- 1 23 -- .267 .319 .377 .696
1920 134 534 493 48 131 19 15 1 183 43 14 11 13 -- 28 -- 0 24 -- .266 .305 .371 .676
1921 PIT 153 686 612 90 180 25 12 1 232 70 25 12 23 -- 47 -- 3 38 -- .294 .347 .379 .727
1922 155 746 672 115 198 26 15 0 254 63 24 13 12 -- 61 -- 2 43 -- .295 .355 .378 .733
1923 141 633 581 78 161 19 9 1 201 41 14 11 9 -- 42 -- 1 34 -- .277 .327 .346 .673
1924 152 639 594 62 158 33 20 2 237 71 18 14 11 -- 35 -- 0 53 -- .266 .307 .399 .706
1925 CHC 75 305 266 37 62 10 3 0 78 23 6 5 10 -- 29 -- 0 20 -- .233 .308 .293 .602
1926 BRO 78 266 234 32 55 8 5 0 73 24 7 -- 6 -- 26 -- 0 24 -- .235 .312 .312 .624
1927 STL 9 31 29 0 7 1 0 0 8 0 0 -- 0 -- 2 -- 0 2 -- .241 .290 .276 .566
1928 112 413 366 40 88 14 10 1 125 34 3 -- 9 -- 36 -- 1 27 -- .240 .310 .342 .652
1929 BSN 146 633 560 87 159 26 10 0 205 55 13 -- 23 -- 47 -- 4 33 -- .284 .344 .366 .710
1930 142 628 558 85 157 26 8 2 205 43 9 -- 17 -- 48 -- 5 23 -- .281 .344 .367 .711
1931 145 636 562 69 146 22 5 0 178 33 9 -- 16 -- 56 -- 2 34 -- .260 .329 .317 .646
1932 149 635 571 67 134 20 4 0 162 37 4 -- 15 -- 46 -- 3 28 -- .235 .295 .284 .579
1933 143 533 478 46 104 15 4 0 127 38 2 -- 17 -- 36 -- 1 34 17 .218 .274 .266 .539
1935 23 71 67 3 10 2 0 0 12 5 0 -- 1 -- 3 -- 0 3 4 .149 .186 .179 .365
通算:23年 2670 11254 10078 1256 2605 380 177 28 3423 884 291 112 300 -- 839 -- 39 756 21 .258 .318 .340 .658
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・記録

監督としての戦績

  • 所属:シカゴ・カブス (1925年)
  • 戦績:23勝30敗、勝率.434、リーグ最高順位:7位

エピソード

  • 通算本塁打28のうち、22本はランニングホームラン(インサイド・ザ・パーク・ホームラン)であった。というのも、ボストン時代のブレーブスの本拠地ブレーブス・フィールドは当初異常に広く、後に狭められたが、1910年代は両翼402フィート(約121m)、中堅440フィート(約132m)、右中間の最深部はもっとも広い時期には500フィート(約150m)近くもあったという。1920年代のベーブ・ルース時代の到来と共に、野球の華はホームランとなり、ブレーブス・フィールドも狭められ、モランビルも一時ブレーブスを放出されることとなった。

脚注

  1. ^ Nash, B. & Zullo, A. The Baseball Hall of Shame 3, 1987; p. 134

外部リンク





固有名詞の分類

アメリカ合衆国の野球選手 ジーン・マーチン  マーティ・ブラウン  ラビット・モランビル  ハンク・コンガー  キース・ヘルナンデス
ロサンゼルス・ドジャース及びブルックリン・ドジャースの選手 バディ・カーライル  ボブ・オヘーダ  ラビット・モランビル  ブライアン・ファルケンボーグ  ゲイル・ホプキンス
アメリカ野球殿堂 ドン・サットン  チャック・クライン  ラビット・モランビル  ジム・ライス  ジェシー・バーケット
シカゴ・カブスの選手 ロビン・ロバーツ  チャック・クライン  ラビット・モランビル  カルロス・マーモル  ダミアン・ミラー
アトランタ・ブレーブスの選手 ディーン・ハートグレイブス  バディ・カーライル  ラビット・モランビル  クリス・ブロック  ビリー・ワグナー
セントルイス・カージナルスの選手 ブラッド・ペニー  バディ・ブラットナー  ラビット・モランビル  キース・ヘルナンデス  ブライアン・ファルケンボーグ
ピッツバーグ・パイレーツの選手 チャック・クライン  クリス・リーソップ  ラビット・モランビル  ラウル・チャベス  ボブ・エリオット
MLB監督 ボビー・バレンタイン  ビル・テリー  ラビット・モランビル  モンテ・ウォード  シト・ガストン

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