全米大リーグ選抜チームの訪日
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「1931年のメジャーリーグベースボール」の記事における「全米大リーグ選抜チームの訪日」の解説
この年のシーズン終了後にメジャーリーグの選手14人が読売新聞社の招きで日米親善野球のため訪日した。この当時の日本はまだ職業野球が無く(1920年に日本運動協会及び大毎野球団の動きがあったが1929年に解散した)、中等学校野球(甲子園)・大学野球の隆盛とともに職業野球団の結成に意欲を燃やしていた正力松太郎が日本での野球人気の高まりに着眼し、大リーグ選抜を招待して全17試合を主催した。この時の参加メンバーにはルー・ゲーリッグ(ヤンキース)、ミッキー・カクレーン(当時はアスレチックス)、レフティ・グローブ(アスレチックス)、アル・シモンズ(アスレチックス)、フランキー・フリッシュ (カージナルス)、ラビット・モランビル(ブレーブス)、レフティ・オドール(ロビンス)などで、この選抜チームの対戦相手は、当時の日本で最高レベルであった東京六大学の単独チーム(第1戦は立教大、第2戦は早稲田大、第3戦は明治大)であったり、東京六大学の現役学生とOBの混成で組織された全日本代表チームで、この全日本代表の主なメンバーはOBでは宮武三郎(慶応大OB)、山下実(慶応大OB)、伊達正男(早稲田大OB)、久慈次郎(早稲田大OB)、学生では三原侑(早稲田大)、水原茂(慶応大)、松木謙治郎(明治大)、若林忠志(法政大)、苅田久徳(法政大)など総勢27名であった。また地方で試合をする場合は各地の大学・実業団チームが対戦した。 ゲーリッグは第5戦で死球を受けてケガをしたため以後の試合には出場していなかったが、11月7日から30日まで全17試合を行い圧倒的な大差で日本は17連敗であった。しかし、総計45万人の観衆を集めたと言われる。これにより日本ではますます野球熱が高まり、一緒に来日した全米野球記者協会の元会長フレッド・リーブは日本で野球が盛んであったことに驚いたと後の回想録で記している。主催の読売新聞社は参加メンバーであったレフテイ・オドールに今回参加しなかったベーブ・ルースを次の機会には参加してほしい旨を伝え、これが3年後に再び大リーグ選抜チームの再来日につながった。この3年後の2度目の全米大リーグ選抜チーム(ベーブ・ルースも参加)の来日から今日のプロ野球チームの結成の動きが本格化した。
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全米大リーグ選抜チームの訪日
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「1934年のメジャーリーグベースボール」の記事における「全米大リーグ選抜チームの訪日」の解説
3年前に実現した全米大リーグ選抜チームに続き、この年に再び全米大リーグ選抜チームが日本を訪問し、特別編成の全日本選抜チームとの17試合を17戦全勝(15試合で15戦全勝とする資料もある)の戦績を残した。前回に当代一の人気者で日本でも有名になっていたベーブ・ルースが参加しなかったため主催の読売新聞社が3年前に外野手として訪日したレフティ・オドールにルースを含めての全米大リーグ選抜チームの来日を要請し、それが実現したのであった。監督コニー・マック、助監督レフティ・オドール、投手にレフティ・ゴメス、アール・ホワイトヒル、ジョン・カスカレラ、捕手はチャーリー・ベリー、モー・バーグ、一塁手ルー・ゲーリッグ、二塁手 チャーリー・ゲーリンジャー 、三塁手ジミー・フォックス、遊撃手エリック・マクネア、そして外野手でベーブ・ルース、ヘイニー・マナシュ、アール・エプリル等が揃った当時のアメリカでもなかなか見られない豪華版だった。そしてベーブ・ルースは13本の本塁打を打ち、全米選抜チーム全体で本塁打47本を記録する猛打で圧倒的な強さを見せつけた。 一方対戦した全日本選抜には沢村栄治、ビクトル・スタルヒン、三原修(三原脩)、二出川延明らが参加して、11月20日、静岡の草薙球場での試合では弱冠17歳の沢村栄治が6回まで2安打無得点に抑え、7回にゲーリッグに打たれた本塁打だけの1失点で完投した試合は球史に残る試合となった。 この時に全米選抜チームと対戦するに3年前のように大学チーム等でなく、職業野球を目指したチーム編成を行うこととしてプロ契約をした選手を含んで全日本チームを作り、全米選抜チームの帰国後の12月26日にこれら全日本代表の中から19名を選んで大日本東京野球倶楽部が結成された。これが後の読売ジャイアンツである。
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