全米大リーグ選抜チームの訪日とは? わかりやすく解説

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全米大リーグ選抜チームの訪日

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 23:13 UTC 版)

1931年のメジャーリーグベースボール」の記事における「全米大リーグ選抜チームの訪日」の解説

この年シーズン終了後メジャーリーグの選手14人が読売新聞社招き日米親善野球のため訪日した。この当時日本はまだ職業野球無く(1920年日本運動協会及び大毎野球団動きがあったが1929年解散した)、中等学校野球甲子園)・大学野球隆盛とともに職業野球団の結成意欲燃やしていた正力松太郎日本での野球人気の高まり着眼し大リーグ選抜招待して17試合主催した。この時の参加メンバーにはルー・ゲーリッグヤンキース)、ミッキー・カクレーン当時アスレチックス)、レフティ・グローブアスレチックス)、アル・シモンズ(アスレチックス)、フランキー・フリッシュカージナルス)、ラビット・モランビル(ブレーブス)、レフティ・オドールロビンス)などで、この選抜チーム対戦相手は、当時日本で最高レベルであった東京六大学単独チーム(第1戦は立教大、第2戦は早稲田大、第3戦は明治大)であったり、東京六大学現役学生OB混成組織され全日本代表チームで、この全日本代表の主なメンバーOBでは宮武三郎慶応大OB)、山下実慶応大OB)、伊達正男早稲田OB)、久慈次郎(早稲田OB)、学生では三原侑(早稲田大)、水原茂(慶応大)、松木謙治郎(明治大)、若林忠志(法政大)、苅田久徳(法政大)など総勢27であった。また地方試合をする場合各地大学実業団チーム対戦したゲーリッグは第5戦で死球受けてケガしたため以後試合には出場していなかったが、11月7日から30日まで全17試合行い圧倒的な大差日本17連敗であった。しかし、総計45万人観衆集めたと言われる。これにより日本ではますます野球熱が高まり一緒に来日した全米野球記者協会の元会長フレッド・リーブは日本野球が盛んであったことに驚いたと後の回想録記している。主催読売新聞社参加メンバーであったレフテイ・オドールに今回参加しなかったベーブ・ルース次の機会には参加してほしい旨を伝え、これが3年後に再び大リーグ選抜チーム再来日つながった。この3年後2度目全米大リーグ選抜チームベーブ・ルース参加)の来日から今日プロ野球チーム結成動き本格化した。

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全米大リーグ選抜チームの訪日

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 23:14 UTC 版)

1934年のメジャーリーグベースボール」の記事における「全米大リーグ選抜チームの訪日」の解説

3年前実現した全米大リーグ選抜チーム続きこの年に再び全米大リーグ選抜チーム日本訪問し特別編成の全日本選抜チームとの17試合17全勝(15試合15全勝とする資料もある)の戦績残した前回当代一の人気者で日本でも有名になっていたベーブ・ルース参加しなかったため主催読売新聞社3年前外野手として訪日したレフティ・オドールルース含めて全米大リーグ選抜チーム来日要請し、それが実現したであった監督コニー・マック助監督レフティ・オドール投手レフティ・ゴメス、アール・ホワイトヒル、ジョン・カスカレラ、捕手はチャーリー・ベリー、モー・バーグ一塁手ルー・ゲーリッグ二塁手 チャーリー・ゲーリンジャー三塁手ジミー・フォックス遊撃手エリック・マクネア、そして外野手ベーブ・ルースヘイニー・マナシュ、アール・エプリル等が揃った当時アメリカでもなかなか見られない豪華版だった。そしてベーブ・ルース13本の本塁打打ち全米選抜チーム全体本塁打47本を記録する猛打圧倒的な強さ見せつけた。 一方対戦した全日本選抜には沢村栄治ビクトル・スタルヒン三原修(三原脩)、二出川延明らが参加して11月20日静岡草薙球場での試合では弱冠17歳沢村栄治が6回まで2安打無得点抑え、7回にゲーリッグ打たれ本塁打だけの1失点完投した試合球史に残る試合となった。 この時に全米選抜チーム対戦する3年前のように大学チーム等でなく、職業野球目指しチーム編成を行うこととしプロ契約をした選手含んで全日本チーム作り全米選抜チーム帰国後の12月26日にこれら全日本代表の中から19名を選んで大日本東京野球倶楽部結成された。これが後の読売ジャイアンツである。

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