全米女性機構 - ウーマンリブ運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/06 16:29 UTC 版)
「ベティ・フリーダン」の記事における「全米女性機構 - ウーマンリブ運動」の解説
『女らしさの神話』は米国において19世紀末の女性参政権運動に匹敵するウーマンリブ運動(第二波フェミニズム)の引き金となり、1966年、フリーダンは女性の地位に関する第3回全米委員会会議において他の27人の女性たちと共に全米女性機構 (NOW) を設立。初代会長に就任し、政府に女性の権利・地位向上、雇用機会、賃金、昇進に関する男女差別の解消、人工妊娠中絶の自由化などを呼びかけた。全米女性機構は「驚異的人数の会員を獲得し」、1973年には約600の支部、24の全国的な対策委員会が設置された。 全米女性機構の活動で、当時、最も大々的に取り上げられたのが、1970年8月26日に女性参政権獲得50年を記念してニューヨーク市および全米各都市で一斉に行われた「平等を目指す女性たちのストライキ」である。ニューヨーク市ではマンハッタン区5番街でフリーダンを先頭に数万人の女性たちが、「今夜は夕食を作らない、夫に餌を与えない」、「鉄は熱いうちに打て (Strike while the iron is hot)」をもじった「ストライキが熱いうちはアイロンをかけるな (Don't Iron while the Strike Is Hot)」などのスローガンを掲げてデモ行進を行った。最後にブライアント・パークに結集し、フリーダン、グロリア・スタイネム、ベラ・アバグ、ケイト・ミレットらが演説を行った。 1971年10月6日には、フリーダン、スタイネム、アバク、シャーリー・チザム、ファニー・ルー・ヘイマーらを中心に全米から320人の女性たちがワシントン D.C.に集まり、全米女性政治連盟(英語版)(NWPC) が結成された。これは女性の公職選任の推進を目的とする組織で、フリーダンは演説で、「コーヒーを淹れるためではなく、政策を作るために結成されたのである」と語った。また、1973年には大手モデル事務所「フォード・モデル」の創設者アイリーン・フォード(英語版)らの実業家、政治家と共に「初の女性銀行・信託会社」を設立し(失敗に終わり、現在では事業を行っていない)、男女平等憲法修正条項 (ERA) ― 男女差別を禁じる憲法修正27条案 ― の可決のために活発な運動を展開した(1972年に連邦議会で可決されたが、1982年に成立に必要なだけの州議会の批准を得られず不成立)。
※この「全米女性機構 - ウーマンリブ運動」の解説は、「ベティ・フリーダン」の解説の一部です。
「全米女性機構 - ウーマンリブ運動」を含む「ベティ・フリーダン」の記事については、「ベティ・フリーダン」の概要を参照ください。
- 全米女性機構 - ウーマンリブ運動のページへのリンク