ビル・フォスター (野球)とは? わかりやすく解説

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ビル・フォスター (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/13 08:38 UTC 版)

ビル・フォスターWilliam Hendrick "Bill" Foster, 1904年6月12日 - 1978年9月16日)は、1920 - 1930年代にアメリカ合衆国ニグロリーグで活躍していた野球選手。主なポジションは投手テキサス州カルヴァート生まれ。左投げ、スイッチヒッタールーブ・フォスターの弟で、ニグロリーグ史上最高の左腕投手と評された。

来歴・人物

1923年ニグロリーグで野球を始める際、入団の契約を廻って兄ルーブといざこざを起こす。大抵はルーブの傲慢な要求が原因だったという(その頃ルーブ自身が神経衰弱に陥ろうとしていた時期でもあった)。直球チェンジアップのキレに加え抜群のコントロールを持っていたビルは、シカゴ・アメリカン・ジャイアンツに所属していた1926年に26試合で23勝を上げ、カンザスシティ・モナークスとリーグ優勝をかけたダブルヘッダーに2試合登板して連勝、逆転でリーグを制覇するという活躍をする。ニグロ・ワールドシリーズでの防御率は1.27だったという記録が残っている。また翌年のシーズン通算成績は32勝3敗というすさまじいものだった。

1933年に開かれたニグロリーグの東西オールスター戦では、そうそうたる選手達を相手に完投勝利を挙げた。またメジャーリーグのチームとの試合では通算で7度先発し6勝を挙げたという記録も残っている。ニグロリーグでは1938年までプレーし、引退後は1978年に亡くなるまで、ミシシッピ州のアルコーン・ステート・カレッジの野球コーチを務めていた。1996年にベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り。

投手としての球種はカーブ、スライダー、チェンジアップ 投球フォームはオーバーハンド、サイドアーム。 (米書 「guide to pitchers」より)

所属球団

  • メンフィス・レッドソックス(1923,1924,1938年)
  • シカゴ・アメリカン・ジャイアンツ(1923~1930,1937年)
  • バーミンガム・ブラックバロンズ(1925年)
  • ホームステッド・グレイズ(1931年)
  • カンザスシティ・モナークス(1931年)
  • コールズ・アメリカン・ジャイアンツ(1932~1935年)
  • ピッツバーグ・クロフォーズ(1936年)

記録・表彰等

  • ニグロリーグ通算成績:265試合、137勝62敗、734奪三振

関連項目

出典・外部リンク




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