タイ・カッブとは? わかりやすく解説

タイ‐カッブ【Ty Cobb】

読み方:たいかっぶ

カッブ


タイ・カッブ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/04 23:38 UTC 版)

タイラス・レイモンド・カッブTyrus Raymond "Ty" Cobb, 1886年12月18日 - 1961年7月17日[1])は、アメリカ合衆国ジョージア州ナローズ出身のプロ野球選手外野手)。アメリカ野球殿堂入りの第1号選手の一人である。


注釈

  1. ^ 「ジョージア・ピーチ」は「南部魂」の意で、アメリカ南部の闘争心こもったプレイヤーという意味合いを示す。このニックネームは、ジョージアの特産物であり象徴的な果実であったモモ(ピーチ)に由来している。
  2. ^ 後年にすでに大打者となったカッブと記事を書いたライス運動部長が野球記者クラブ主催のパーティーで出会い、その場でカッブ本人がライス運動部長に告白したという(八木一郎 著『誇り高き大リーガー』《タイ・カップ》 15-16P参照 講談社 1977年9月発行)
  3. ^ 現在はいたずら程度のものであるが、当時は嫌がらせだったともいわれる。
  4. ^ この年のカッブ以降、タイガースからの三冠王は、2012年のミゲル・カブレラまで出なかった。
  5. ^ この時代の首位打者の条件は不明だが、1920年に出場試合数が100試合以上という条件になり、その後メジャーリーグでは、全試合数の3分の2以上の出場が首位打者の条件とされた。この年のカップは98試合出場・414打席・345打数で6年後に決められた100試合以上出場の条件より少ない。そして1942年にアーニー・ロンバルディが105試合出場・309打数で首位打者を獲得したケースがあって、その後400打数以上の条件に変更され、その後テッド・ウィリアムズが打率ではトップながら、四球が136で打数が386となって規定打数に足りないとして首位打者を逃した。そのためその後に首位打者の条件は全試合数×3.1以上の打席数が必要という今日の条件となった経過がある。
  6. ^ 映画『フィールド・オブ・ドリームス』の中でジョー・ジャクソンが、「タイ・カッブもプレーしたがってたが、生前みんなあの野郎には愛想が尽きてたから、シカトしてやったさ」という台詞がある。
  7. ^ カッブ自身はこれについて否定している。ベーカーの腕にスパイクを刺した事件は、実際はベーカーが二、三塁間の線上に立ちはだかって両手をひろげて待ち構えており(その写真が今でも残っている)、カッブはベースにタッチするためにベイカーからぐっと身をかわしていたという。写真で見るとカッブは普通のスライディング同様に左足で滑り込みながら右の爪先でベースを引っ掛けており、右足がベーカーの二の腕をかすっている。一般的にはベーカーを盾にして見えないようにスパイクで引っ掛けたことになっているが、ベーカーは戦列を離れなければならないような怪我などはしておらず、記事のような「ベイカーが刺されて血まみれになり、泥の中にうつ伏した」ということはなかった。実際、ベイカーは以降も同年シーズン最後まで1イニングすら休まずに活躍していた。この時にフィラデルフィアの記者が過剰な報道をしたため、このような話が生まれてしまい、同記事のおかげかタイガースとの試合では大規模な観客増を果たしている。全市をあげて反タイガース一色に沸き立っていたため、カッブはフィラデルフィアとの試合で警官に警備を依頼するようになったという(ベースボール・マガジン社 野球王タイ・カップ自伝188〜189ページ)。
  8. ^ カッブはこれについて、「私はゲームのことで頭が一杯で、そんなバカな真似をする暇など待ち合わせていなかった。それに自尊心も礼儀もわきまえている私が、そんなことをやるはずがないではないか」と述べている。この悪評はまだ「ヤンキース」と名前を変えない前のニューヨーク・ハイランダースのホーム・グラウンドで起こったことであるという。退屈していたタイガースのベンチウォーマーたちが、整備員から芝刈機を研ぐためのヤスリを借り、彼らは一人を見張りに立たせ、ハイランダースの一行が現れると「来たぞ!」と叫び、それを合図にヤスリでスパイクを研いだ。試合に出たことのない若者たちの他愛もない喜劇であった。ところが、当時の新聞ではなぜかこのスパイク磨きにカッブの名前があげられていたという。同記事では床屋でスパイクを磨いていると書いてあるが、当時の床屋に当然そのような設備はなく、スパイクを磨くには別のヤスリが必要であった。また、これをきっかけに悪評を更に広げてしまう事件がこの頃から多発するが、ほとんどが記者のでっちあげや嘘であるとカッブは述べている。
  9. ^ 1800年代までは、野球が発達していなかったことからリーグ全体の死球数が非常に多かったが、1900年以降は発達に伴って減少し、1950年代以降から再び増加した。実際にカッブの死球数は、同じ時代である1910年代〜1930年代前後当時の他の選手たちと比べると多く、ライバルとして比較されたベーブ・ルースの死球数の2倍以上を記録している。
  10. ^ 当時から両親の事件のことはメディアによって報じられており、カッブがメジャーを代表する選手であったため、カッブの生い立ちは一部の野球ファンの間で知られていた。
  11. ^ 全ての表記が「カッ」だったわけではなく、例えば大阪毎日新聞が大正15年に出版した、大毎野球団「野球の米國」の「大リーグ観戦記」の章では「判断正確な外野手 〜守備も巧みなタイ・カッ〜」(20ページ)と表記されている。しかし、この本自身の表記は「カッ」、「カッ」両方使われており、記者によって変わっている。

出典

  1. ^
  2. ^ Cobb, Ty”. National Baseball Hall of Fame and Museum. 2012年12月19日閲覧。
  3. ^ 八木一郎 著『誇り高き大リーガー』《タイ・カップ》14P参照 講談社 1977年9月発行
  4. ^ 八木一郎 著 『誇り高き大リーガー』《タイ・カップ》 14P参照 講談社 1977年9月発行
  5. ^ 八木一郎 著『誇り高き大リーガー』《タイ・カップ》 15P参照 講談社 1977年9月発行
  6. ^ 八木一郎 著『誇り高き大リーガー』《タイ・カップ》 16P参照 講談社 1977年9月発行
  7. ^ New York Highlanders vs Detroit Tigers Box Score: August 30, 1905”. Baseball Reference.com ldate=. 2023年7月28日閲覧。
  8. ^ Daley, Arthur (August 15, 1961). "Sports of The Times: In Belated Tribute". The New York Times. p. 32.
  9. ^ ブルース・ナッシュ、アラン・ズーロ「アメリカ野球珍事件珍記録大全」東京書籍、45-46ページ、1991年
  10. ^ THE MAYS/CHAPMAN INCIDENT Prelude To Disaster” (英語). TheDeadballEra.com. 2013年8月8日閲覧。
  11. ^ メジャー初!勝ち投手も負け投手も野手 nikkansports.com 2012年5月8日
  12. ^ 鈴木武樹 著『アメリカ・プロ野球史』 105P参照 三一書房 1971年発行
  13. ^ 鈴木武樹 著『アメリカ・プロ野球史』 106P参照 三一書房 1971年発行
  14. ^ http://www.baseball-reference.com/boxes/DET/DET191909250.shtml
  15. ^ 鈴木武樹 著『アメリカ・プロ野球史』 107P参照 三一書房 1971年発行
  16. ^ 「スラッガー」8月号増刊『MLBを変えて100人』16-17P 《ケネソー・マウンテン・ランディス》参照 日本スポーツ企画出版社 2017年8月発行
  17. ^ 伊東一雄・馬立勝 著『野球は言葉のスポーツ』173P参照 中公新書 1991年4月発行
  18. ^ ベースボール・マガジン社 野球王タイ・カップ自伝432〜447ページ
  19. ^ ベースボール・マガジン社 野球王タイ・カップ自伝448ページ
  20. ^ タイガースでは、前述のハリー・ハイルマンやミッキー・カクレーン、ヘイニー・マナッシュヒューイー・ジェニングスサム・クロフォードジョージ・ケルがカッブと同様背番号導入前が主な活躍時期だったことで同じく苗字で、アーニー・ハーウェルは長くタイガースのアナウンサーを務めた功績からこれも同じく苗字で欠番扱いとなっている。
  21. ^ a b c d e f g “タイ・カッブ、故郷では心優しき英雄”. サンスポ. (2012年6月26日). オリジナルの2013年4月27日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/U2xHu 
  22. ^ Wayne Stewart: Hitting Secrets of the Pros, McGraw-Hill (ISBN 978-0071418249), 2004, 30-31ページ.
  23. ^ “100年の時を経て肩を並べる2人の安打製造機 イチローとタイ・カッブの共通点”. ベースボールチャンネル. (2015年5月25日). http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150525-00010001-baseballc-base 
  24. ^ a b c "イチローが超えた球聖タイ・カッブ、悪評はねつ造?"、日刊スポーツ、2015年8月17日、2017年10月22日閲覧。
  25. ^ a b c d “カッブ孫「祖父と似ているイチロー。見て楽しい」”. 日刊スポーツ. (2015年8月16日). https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/1523700.html 
  26. ^ ブルース・ナッシュ、アラン・ズーロ「アメリカ野球珍事件珍記録大全」東京書籍
  27. ^ ブルース・ナッシュ、アラン・ズーロ「アメリカ野球珍事件珍記録大全」東京書籍、46ページ、1991年
  28. ^ a b Gilbert King (2011年8月30日). “The Knife in Ty Cobb’s Back”. Smithsonian.com. Smithsonian Magazine. 2014年8月5日閲覧。
  29. ^ ベースボール・マガジン社 野球王タイ・カップ自伝202〜204ページ
  30. ^ a b http://nypost.com/2015/05/31/how-ty-cobb-was-framed-as-a-racist/
  31. ^ 「ベースボール・マガジン社 野球王タイ・カップ自伝
  32. ^ PHP文庫 「トップアスリート」名語録
  33. ^ ベースボール・マガジン社 野球王タイ・カップ自伝
  34. ^ 内村祐之著「アメリカ野球物語」(1956年)。また、2位はベーブ・ルースではなく、17票を集めたホーナス・ワグナーであったという。
  35. ^ ベースボール・マガジン社 野球王タイ・カップ自伝288ページ
  36. ^ タイ・カッブの野球カード発見100年以上前に印刷”. デイリースポーツ online (2016年3月3日). 2022年8月25日閲覧。
  37. ^ ベースボール・マガジン社 野球王タイ・カップ自伝223ページ
  38. ^ a b c ベースボール・マガジン社 野球王タイ・カップ自伝335〜341ページ
  39. ^ ベースボール・マガジン社 野球王タイ・カップ自伝47、195ページ
  40. ^ ベースボール・マガジン社 野球王タイ・カップ自伝325ページ
  41. ^ ベースボール・マガジン社 野球王タイ・カップ序文
  42. ^ ベースボール・マガジン社 野球王タイ・カップ自伝323〜325ページ
  43. ^ Richard Bak著「Peach: Ty Cobb In His Time And Ours」(2005年)
  44. ^ 詳細はTy CobbSam Crawfordの項目を参照
  45. ^ ベースボール・マガジン社 野球王タイ・カップ自伝476〜477ページ
  46. ^ ベースボール・マガジン社 野球王タイ・カップ自伝501〜502ページ
  47. ^ 内村祐之訳「野球王タイ・カップ自伝」ベースボール・マガジン社


「タイ・カッブ」の続きの解説一覧

タイ・カッブ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 23:23 UTC 版)

1907年のメジャーリーグベースボール」の記事における「タイ・カッブ」の解説

タイ・カッブ はこの年打率.350で初の首位打者以後9年連続首位打者となり、通算12首位打者に輝く大打者第一歩踏み出した。そして打点119安打212リーグ最多であった。同じチームメイトランニング・ホームラン記録を持つサム・クロフォードこの年打率.323、後にメジャーリーグ歴代最多通算309本の三塁打打って三塁打王と呼ばれるクロフォードこの年得点102最多得点となった1910年代までいわゆる三冠王」は打率安打数・得点数部門制した選手指していたとすれば(本塁打数はこの時期注目されていなかった)、カッブクロフォード三冠分け合ったことになる。ただし、別の説として、この時期の「三冠王」は打率安打数・打点部門制した選手とするものがあり、その説に従えばこの1907年カッブ打撃部門の「三冠王」を取ったことになる。しかし公式には2年後1909年打率.377、打点107本塁打9本でカッブ三冠王になった、とされている。

※この「タイ・カッブ」の解説は、「1907年のメジャーリーグベースボール」の解説の一部です。
「タイ・カッブ」を含む「1907年のメジャーリーグベースボール」の記事については、「1907年のメジャーリーグベースボール」の概要を参照ください。


タイ・カッブ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 03:55 UTC 版)

1917年のメジャーリーグベースボール」の記事における「タイ・カッブ」の解説

アメリカン・リーグ首位打者にタイ・カッブが.383で返り咲き前年首位打者トリス・スピーカー3位であった。またカッブ盗塁55この年盗塁王輝いていたが、このタイトルこの年最後となった

※この「タイ・カッブ」の解説は、「1917年のメジャーリーグベースボール」の解説の一部です。
「タイ・カッブ」を含む「1917年のメジャーリーグベースボール」の記事については、「1917年のメジャーリーグベースボール」の概要を参照ください。

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