アール・コームスとは? わかりやすく解説

アール・コームス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/16 09:51 UTC 版)

アール・コームス
Earle Combs
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 ケンタッキー州
生年月日 1899年5月14日
没年月日 (1976-07-21) 1976年7月21日(77歳没)
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
初出場 1924年4月16日
最終出場 1935年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1970年
選出方法 ベテランズ委員会選出

アール・コームスEarle Bryan Combs1899年5月14日 - 1976年7月21日)は、アメリカ合衆国ケンタッキー州ペブワース出身の元プロ野球選手中堅手)。右投げ左打ち。

ニックネームは"The Kentucky Colonel"(ケンタッキー・カーネル)。現役時代の背番号は『1』。1920年代ヤンキースで「殺人打線」を形成したリードオフマン。

経歴

1924年にマイナーのルイビル球団からヤンキースに入団、1年目は24試合に出場し14安打、打率.400をマークし、2年目からヤンキースのセンターに定着した。2年目の1925年には200安打以上を打ち、打率.342を記録する。当時のヤンキースはベーブ・ルースをはじめ、トニー・ラゼリルー・ゲーリッグボブ・ミューゼルらを要しており、足の速かったコームスは、彼らが後に控える強力打線の先頭打者として活躍した。

1926年から3年続けてワールドシリーズに出場。1927年には打率.356、231安打で、23本の三塁打(現在も球団記録)のキャリア最高の打撃記録を挙げ、同年のピッツバーグ・パイレーツとのワールドシリーズも制した。

その後1932年まで、8年連続で100得点以上を挙げるなど不動のリードオフマンだった。ミラー・ハギンスは、コームスの安定して高い打撃・守備能力について、「自分のクラブにコームスが9人いたら、毎晩赤ん坊のようにぐっすり眠れるのに」と称していた。しかし1934年にセントルイスでの試合中、コームスは打球を追って外野壁に衝突し、頭蓋骨骨折の重傷を負う。結局この年は63試合に出場しただけだった。翌1935年に復帰するも、今度は外野守備で味方野手との衝突にあい、同年引退に追い込まれた。

1970年にベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。1976年ケンタッキー州で77歳で死去。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1924 NYY 24 39 35 10 14 5 0 0 19 2 0 1 0 -- 4 -- 0 2 -- .400 .462 .543 1.004
1925 150 674 593 117 203 36 13 3 274 62 12 13 11 -- 65 -- 4 43 -- .342 .411 .462 .873
1926 145 670 606 113 181 31 12 8 260 55 8 6 14 -- 47 -- 3 23 -- .299 .352 .429 .781
1927 152 725 648 137 231 36 23 6 331 64 15 6 12 -- 62 -- 2 31 -- .356 .414 .511 .925
1928 149 709 626 118 194 33 21 7 290 56 11 8 4 -- 77 -- 2 33 -- .310 .387 .463 .850
1929 142 666 586 119 202 33 15 3 274 65 12 7 11 -- 69 -- 0 32 -- .345 .414 .468 .881
1930 137 617 532 129 183 30 22 7 278 82 16 10 11 -- 74 -- 0 26 -- .344 .424 .523 .947
1931 138 636 563 120 179 31 13 5 251 58 11 3 2 -- 68 -- 3 34 -- .318 .394 .446 .840
1932 144 675 591 143 190 32 10 9 269 65 3 9 1 -- 81 -- 2 16 -- .321 .405 .455 .860
1933 122 472 417 86 125 22 16 5 194 64 6 4 3 -- 47 -- 1 19 -- .300 .372 .465 .837
1934 63 295 251 47 80 13 5 2 109 25 3 1 4 -- 40 -- 0 9 -- .319 .412 .434 .847
1935 89 335 298 47 84 7 4 3 108 35 1 3 1 -- 36 -- 0 10 -- .282 .359 .362 .722
MLB:12年 1455 6513 5746 1186 1866 309 154 58 2657 633 98 71 74 -- 670 -- 17 278 -- .325 .397 .462 .859
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 「-」は記録なし

獲得タイトル・記録

  • ワールドシリーズ出場:4回(1926年、1927年、1928年、1932年)
  • 最多安打:1回(1927年)
  • 8年連続100得点以上(1925年 - 1932年)
  • シーズン三塁打数球団記録:23(1927年)

関連項目

外部リンク


アール・コームス

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オウスリー郡 (ケンタッキー州)」の記事における「アール・コームス」の解説

野球選手のアール・ブライアン・コームスは、1899年5月13日にペブワースで生まれた1924年から1935年までニューヨーク・ヤンキース所属し1970年野球の殿堂入りした。1920年代から1930年代伝説チームにとって理想的なリードオフマンだった。ベーブ・ルースルー・ゲーリッグと共にプレイした。1シーズン200安打近く放ち70四死球選んだ生涯打率は .325 だった。その生誕地であるペブワースの州道11号線近くには銘板立てられている。 コームス18歳1917年学業のために郡を離れたその後はほとんど戻ることは無かった1954年にはケンタッキー州リッチモンド移った

※この「アール・コームス」の解説は、「オウスリー郡 (ケンタッキー州)」の解説の一部です。
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