アール・キングとは? わかりやすく解説

アール・キング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/16 13:38 UTC 版)

アール・キング
1997年ジャズフェスでプレイするアール・キング
基本情報
出生名 Earl Silas Johnson IV
生誕 1934年2月7日
米国ルイジアナ州ニューオーリンズ
死没 (2003-04-17) 2003年4月17日(69歳没)
米国ルイジアナ州ニューオーリンズ
ジャンル ブルースR&B
職業 シンガーギタリストソングライター
担当楽器 ギター
活動期間 1953年 - 2003年
レーベル サヴォイ・レコード
スペシャルティ・レコード
エイス・レコード
インペリアル・レコード
モータウン・レコード
ブラックトップ・レコード
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アール・キングEarl King, 1934年2月7日 - 2003年4月17日)はアメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ出身のギタリストシンガーソングライター。本名はアール・サイラス・ジョンソンIV世。「Come On」(ジミ・ヘンドリックス等のカヴァーで有名)、プロフェッサー・ロングヘアの「Big Chief」などの曲を数多く作曲し、ニューオーリンズに留まらず、広範囲に影響を与えている。

来歴

幼少期からデビューまで

キングがまだ1歳の頃、地元ニューオーリンズで活動するピアニストだった父親は亡くなり、彼は母親によって育てられる。母親に連れられて、幼い頃から教会に通うようになった。当初はゴスペルを歌っていたが、友人の薦めを受け、より収入を得られるブルースに転向した[1]

15歳の頃、ギターを始めた。間もなく、彼はデュー・ドロップ・インなどのクラブでタレント・コンテストに参加するようになる。その過程で彼のアイドル、ギター・スリムと出会うことになる。キングは、スリムを模倣するようになり、スリムの存在はキングの音楽の方向性に大きな影響を与えた。

1954年、スリムは交通事故に遭いツアーに出られなくなってしまった。ちょうど彼は「Things That I Used to Do」がR&Bチャートの1位を記録するヒットを飛ばした頃で、焦った彼のマネジャーは、急遽キングをスリムの替え玉として起用、無事ツアーを切り抜けたのだった。これ以降キングは、デュー・ドロップ・インのレギュラーを務めるようになった。

デビューから70年代の活動

彼の初レコーディングは1953年。サヴォイ・レーベルからSP盤 「Have you Gone Crazy」 b/w 「Begging At Your Mercy」をアール・ジョンソン名義でリリースした。翌年、タレント・スカウト、ジョニー・ヴィンセントの紹介でスペシャルティ・レコードと契約する。このレーベルでは「Mother's Love」などの曲を残している。1955年には、ジョニー・ヴィンセントのレーベル、エイスに移籍。「Those Lonely, Lonely Nights」がR&Bチャートの7位というヒットを記録した。エイスには5年間在籍し、この間ローランド・ストーンやジミー・クラントンなど他のアーティストへも曲を提供した。

1960年デイヴ・バーソロミューに誘われインペリアルと契約。ここではバーソロミューの他、ボブとジョージのフレンチ兄弟、ジェイムズ・ブッカーワーデル・カゼアなどのミュージシャンのサポートを受けてレコーディングを重ねた。「Come On」、「Trick Bag」などの代表曲が生まれたのはこの時代である。(前者はジミ・ヘンドリックススティーヴィー・レイ・ヴォーン、アンソン・ファンダーバーグらによってカバーされ広く知られるようになった。また後者もポップ・シンガーのロバート・パーマーを始め多くのカバーがある。

しかし1963年、インペリアルがリバティー・レコードへ売却され、キングの契約も終了する。同年、彼はジョニー・アダムス、ジョー・ジョーンズらとともにデトロイトに赴き、モータウンで計16曲をレコーディングするが、リリースには至らなかった[2]。(1996年になって、3トラックがCD『Motown's Blue Evolution』でリリースされた。)

以後、60年代を通じてキングはレコード契約がないまま過ごすこととなった。この間、彼はエイミー、ホットラインなどのレーベルからのシングルはあるものの、主にノーラ、ウォッチなどの地元レーベルでのソングライター、プロデューサーとして活躍した。この頃彼の書いた曲にはプロフェッサー・ロングヘアの「Big Chief」、ウィリー・ティーの「Teasin' You」、リー・ドーシーの「Do-Re-Mi」、ダニー・ホワイトの「Loan Me a Handkerchief」などがある。

1972年には、彼はアラン・トゥーサンミーターズとスタジオに入り、アルバム『Street Parade』をレコーディングした。当初はアトランティックが興味を持っていたものの結局リリースすることはなく、当時は地元のカンス・レーベルからシングルが1枚リリースとなっただけに終わった。アルバムは1982年にイギリスのチャーリーがリリースしてようやく日の目を見た。

1970年代にはあと1枚アルバムを残している。1977年、ソネットからリリースになった『That Good Old New New Orleans Rock 'n Roll』である。あとは、ライブ・アルバム『New Orleans Jazz And Heritage Festival 1976』にも彼の曲が収録されている。

ブラックトップと晩年の日々

1980年代初頭に、彼はブラックトップ・レコードのハモンド・スコットと出会い、同レーベルにレコーディングするようになった。第1作は1986年にリリースとなった『Glazed』で、ブルースバンドのルームフル・オブ・ブルースが全面的にバックをつとめている。

同年、ジョニー・アダムズとのジョイント・ツアーで初来日を果たし、日本のファンの前で演奏を披露した。このときバックを務めたのは、レコード・デビュー前のジョー・ルイス・ウォーカーのバンドであった。

レーベル2作目『Sexual Telepathy』は1990年にリリースされた。同作はゲストとしてスヌークス・イーグリンが2曲に参加、またロニー・アール&ザ・ブロードキャスターズがバックを務めるトラックも含まれている。レーベルからの3作目『Hard River To Cross』(1993年)は、恐らくブラックトップ時代では最も充実した内容と言えるだろう。ジョージ・ポーターJr.(ミーターズ)、デイヴィッド・トカノウスキー、ハーマン・アーネストなどの強力メンバーがバックをつけ、キングの個性が花を開いている。同作では彼は快調そのものであるが、その後彼の体調は糖尿病により次第に悪くなって行った[3]。結局、2003年に亡くなるまで再び新作を作ることはなく、これが最後の作となってしまった。

2001年の秋、彼はニュージーランドのツアー中に病気で入院してしまった。しかし、彼が演奏活動をやめることはなく、同年12月には3度目となる来日公演も行った。以降も地元では亡くなるまで、断続的に演奏活動は続けた。

彼は恒例のニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバルの1週間前、2003年4月17日に息を引き取った。彼の葬儀はフェスティバルの期間中に行われ、ドクター・ジョン、レオ・ノセンテリ、アーロン・ネヴィルなど多くのミュージシャンも参列した[1]。キングのインペリアル時代のレコーディングは長らく廃盤となっていたが、奇しくも彼が亡くなった直後にようやく完全な形でCD化された。また地元ニューオーリンズの音楽雑誌オフビートは、2003年6月号で彼の特集を組み、その死を悼んだ。

ディスコグラフィー

オリジナル・アルバム

  • 1977年That Good Old New New Orleans Rock 'n Roll』 (Sonet)
  • 1982年Street Parade』 (Charly, 1972年録音)
  • 1986年Glazed』 (Black Top) w/The Roomful of Blues
  • 1990年Sexual Telepathy』 (Black Top)
  • 1993年Hard River To Cross』 (Black Top)

編集盤

  • 1982年Trick Bag』 (Imperial/Pathe Marconi) ※インペリアル音源
  • 1997年Earl's Pearls: The Very Best of Earl King 1955-1960』 (Westside) ※エイス音源
  • 2003年Come On: The Complete Imperial Recordings』 (Okra-Tone)
  • 2006年The Chronological Earl King 1953-1955』 (Classics) ※サヴォイ、スペシャルティ、エイス音源
  • 2007年Those Lonely, Lonely Nights -The Ace Recordings-』 (P-Vine) ※エイス音源
  • 2016年Come On: 40 Original Rhythm & Blues Classics』 (Not Now Music) ※スペシャルティ、エイス、インペリアル音源
  • 2019年More Than Gold -The Complete 1955-1962 Ace & Imperial Singles-』 (Soul Jam) ※エイス、インペリアル音源

主な楽曲

キング他のアーティストに提供した主な楽曲は以下の通り。括弧内は、これらの曲を演奏したアーティスト名[4]

参考文献

  • ジョン・ワート『ニューオーリンズR&Bをつくった男 ヒューイ・“ピアノ”・スミス伝』陶守正寛訳、DU BOOKS、2022年11月

脚注

外部リンク





固有名詞の分類

ポピュラー音楽の音楽家一覧 (個人) ディオニシオ・アグアド  グラハム・ボネット  アール・キング  デシ・スラヴァ  ジェイク・E・リー
アメリカ合衆国の歌手 マンディ・ムーア  ジュニア・ウェルズ  アール・キング  ゲイリー・ビーチ  キャロル・キング
アフリカ系アメリカ人のミュージシャン ソニー・クリス  ジュニア・ウェルズ  アール・キング  ロバート・ゴーディ  ドン・チェリー
アメリカ合衆国の作曲家 ジョン・ハービソン  マーク・ブリッツスタイン  アール・キング  デアリ・ジョン・ミゼル  カーター・バーウェル
アメリカ合衆国のギタリスト ポール・ジャクソン・ジュニア  ポール・サイモン  アール・キング  ジェイク・E・リー  チャーリー・クリスチャン
ブルース・ミュージシャン 山岸潤史  ジュニア・ウェルズ  アール・キング  ウエスト・ロード・ブルース・バンド  チャールズ・ブラウン

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