ジェイムズ・ブッカーとは? わかりやすく解説

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ジェイムズ・ブッカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/13 00:33 UTC 版)

ジェイムズ・ブッカー
ジェイムズ・ブッカー, 1978年
基本情報
出生名 James Carroll Booker III
生誕 1939年12月17日
アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ
死没 (1983-11-08) 1983年11月8日(43歳没)
アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ
ジャンル R&Bジャズブルース
職業 ミュージシャン
担当楽器 ピアノ
レーベル アイランド・レコード
ラウンダー・レコード
JSPレコード

ジェイムズ・ブッカー(James Booker、1939年12月17日 - 1983年11月8日)は、米国ピアニストシンガー

クラシックからジャズ、R&B、ロックまで幅広く弾きこなす、ニューオーリンズきっての技巧派プレイヤーだった。

クラシック・ピアノの巨匠アルトゥール・ルービンシュタインは、1958年にニューオーリンズを訪問した際彼のプレイ聴いて驚愕し、「私はあんな風には絶対に弾けない。少なくともあのようなテンポでは」と語ったという[1][2]

来歴

ルイジアナ州ニューオーリンズ生まれ。父親はバプテスト教会の牧師であり、ブッカーは幼少期を父親が牧師を務めるミシシッピ州の湾岸で過ごした。母親にサクソフォンを与えられたが、鍵盤楽器に興味を示し、父親の教会でオルガンを弾くようになった。

10代になってニューオーリンズに戻ったブッカーは、徐々にその頭角を現していった。わずか11歳でゴスペルのラジオ局WMRYで自らの番組枠を持ち、ピアノをプレイするようになる。14歳のときには、デイヴ・バーソロミューの目に留まり、インペリアル・レコードにリトル・ブッカーの名前で初レコーディング。また、同レーベルではスタジオ・ミュージシャンとしても活躍し、ファッツ・ドミノアール・キングらのレコーディングでプレイした。

1958年頃からは、ツアーに出るのを嫌うようになったヒューイ・"ピアノ"・スミスの代わりに彼のグループ、ザ・クラウンズのピアニストとしてツアーに出るようになった[3]

1961年、自己名義のインスト・ナンバー"Gonzo"をリリース。これがニューオーリンズ周辺でヒットとなる。1950年代から60年代にかけてブッカーは、主にセッション・ミュージシャンとして数多くのアーティストのレコーディング、ツアーに参加し活躍した。彼が当時バックを務めたアーティストには、ウィルソン・ピケットB.B.キングロイド・プライスシャーリー&リーエイモス・ミルバーンジュニア・パーカーリトル・リチャードなどがいる。

1967年、ヘロイン不法所持の罪で有罪となり、アンゴラ刑務所に1年間服役した。このため一時的に活動の中断を余儀なくされたが、出所後間もなくファッツ・ドミノFats Is Back (1968年)への参加など、すぐにまたセッション・ミュージシャンとしての活動を再開している。

1970年代に入ると、自己名義の活動を増やしていった。1973年、後にThe Lost Paramount Tapesとしてリリースされることとなるアルバムをロサンゼルスでレコーディングする。また、1976年には、ニューオーリンズのシーセイント・スタジオでアルバムJunco Partnerのレコーディングを行った。

一方、ブッカーは地元のメイプル・リーフ、ティピティーナス、スナグ・ハーバーといったクラブへ頻繁に出演、またニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバルへも出演するなど、ライヴ活動も積極的に行っていった。1977年にはヨーロッパ・ツアーも行い、現地でKing of the New Orleans Keyboardなど、アルバムのレコーディングもしている。

しかしながら、この頃からブッカーはアルコール中毒と麻薬中毒に加え、精神病を患い、体調を崩していった。演奏も調子のよいときと悪いときの落差が激しくなり、また奇行も目立つようになった。1982年のアルバムClassifiedのレコーディングの際には直前に倒れて入院する事態となったが、奇跡的にアルバムは完成した。しかしながら、これが彼の生前最後の作品となってしまった。

1983年11月8日、コカインの過剰摂取で倒れ、ニューオーリンズのチャリティー病院にて43歳で死去した。彼は車椅子に座り、救急治療室で診察を待ちながら人知れず息絶えていた。死因はヘロインとアルコールの常習に起因する腎不全だった[4]

死後歳月が経っても、彼は未だにニューオーリンズで最高のピアニストの一人として多くのミュージシャン、ファンから尊敬を集めている。2003年には、彼を尊敬するピアニスト達が集結し、トリビュート・アルバム『Patchwork: A Tribute to James Booker』がリリースされた。

2013年、リリー・ケバー監督の手によりブッカーの人生と音楽を掘り下げた伝記映画「Bayou Maharajah」が完成し、サウス・バイ・サウスウエスト (SXSW)にて封切られた。同年オクスフォード・アメリカン誌の最優秀南部映画賞、SXSWの24ビーツ・パー・セカンド・オーディエンス賞などの賞を受賞している[5]

ディスコグラフィー

  • 1976年 Junco Partner (Island)
  • 1976年 The Piano Prince Of New Orleans (Aves)
  • 1976年 Blues & Ragtime From New Orleans (Aves)
  • 1977年 New Orleans Piano Wizard: Live!" (Gold)
  • 1982年 Classified (Rounder)
  • 1984年 King of New Orleans Keyboard Vol. I (JSP)
  • 1984年 Mr. Mystery (Sundown)
  • 1985年 King of New Orleans Keyboard Vol. II (JSP)
  • 1991年 Let's Make A Better World! (Amiga)
  • 1993年 Resurrection Of The Bayou Maharajah (Rounder)
  • 1993年 Spider on the Keys (Rounder)
  • 1995年 The Lost Paramount Tapes (DJM)
  • 1996年 Gonzo: More Than All The 45's (Night Train)
  • 1996年 New Orleans Keyboard King (Orbis)
  • 1997年 Live at Montreux (Montreux Sounds)
  • 2000年 United, Our Thing Will Stand (Night Train)
  • 2000年 A Taster of Honey (Night Train)
  • 2007年 Manchester '77 (Document)
  • 2018年 At Onkel Pö's Carnegie Hall Hamburg 1976 Vol. 1 (Jazzline)[6]
  • 2023年 Behind The Iron Curtain Plus... (Richard Weize Archives)[7]

注釈

外部リンク


ジェイムズ・ブッカー

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戦闘妖精・雪風」の記事における「ジェイムズ・ブッカー」の解説

FAF少佐特殊戦戦隊指揮官イギリス出身唯一の友人日本人である上の日本通で、特殊戦三番機への「雪風」の命名漢字ペイント彼の手によるもの。元ロイヤルマリーン所属パイロット電子工学スペシャリストでもあり、人間ジャム、そして雪風はじめとするFAF戦闘機械群との関係に疑念抱いている。ブーメラン製作が趣味イギリス軍所属のころ、殺したくなるほど憎みながらも同棲していた女性ブッカー仕業見せかけ何者かに殺された際、軍法会議であえていっさい抗弁せず有罪となり、FAF送られた。無神論者であり、その様は「哲学崇拝している」とたとえられるが、ジャム総攻撃のなかではたびたび神や信仰について語る。

※この「ジェイムズ・ブッカー」の解説は、「戦闘妖精・雪風」の解説の一部です。
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