ギタリスト
ギタリスト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/15 17:01 UTC 版)
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ギタリスト(英: Guitarist)は、ギター演奏者の通称。ギタープレイヤーとも称される。
概要
音楽ジャンルによって役割は大きく異り、ロック、ポップ・ミュージック等では主にリードギター、リズムギターで構成され、伴奏とオブリガート、及び主旋律を担う。ブルースやボサノヴァ、カントリー・ミュージックやフォークソングでは、ボーカル兼任のギタリストも多く、歌とギターのみで構成される楽曲も多い。
レゲエ、ファンク、スカでは、伴奏に徹底することが多く、カッティングを延々と繰り返すことが多い。その他のラテン音楽やソウルミュージック、リズム・アンド・ブルース等も同様であるが、必ずしもギタリストの存在を要されていない。
ジャズにおいても、必ずしもギタリストの存在を要されていないが、ウェス・モンゴメリーやジョー・パス、グラント・グリーン等の名ジャズ・ギタリストと目されるギタリストは多く存在する。即興演奏を中心に構成されるビバップなどでは、ソロを演奏する時以外は、控えめなオブリガートでソロイストを引き立てる、または完全に休むことも多い。
フラメンコにおいては、歌、踊りの為の伴奏を担い、ピックを使わず指で激しくかき鳴らす独特の奏法を用いる。
その他のエレクトロニカやヒップホップ等のジャンルにおいてもギタリストとの接触は少なくなく、キーボーディストと共にジャンルを問わず参加を求められる存在となっている。
ギャラリー
ロックギタリスト
(ジミ・ヘンドリックス)ボサノヴァギタリスト
(ジョアン・ジルベルト)
関連項目
ギタリスト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 04:00 UTC 版)
「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」の記事における「ギタリスト」の解説
アンソニーは、「ギタリストの座が安定しないのは、誰もヒレルの穴を埋められないから」とコメントしている。ジョン・フルシアンテを含めて、ギタリストの座は数々のメンバーチェンジを経験した。また、ジョンを含むこの中の多くがストラトキャスターの使い手である。 ヒレル・スロヴァク (Hillel Slovak) (1983年以前、1985年 - 1988年) - 結成メンバー。ユダヤ系アメリカン。名前の発音は、ヒレルというよりもハイレルに近い。1988年6月、ヘロイン摂取過多により死亡。当初は、他の親友とのバンド(チリ・ペッパーズよりも古い)とのかけもちであり、そちらの契約の際に一時的に脱退、セカンド・アルバムで復帰し、サード・アルバム作成にも参加した。アンソニー、フリーの無二の親友であり、フリーにロックラジオのチャンネルを紹介しベースを1から教え、ロックミュージックに引き込んだ人物。彼のギタープレイは、初期バンドサウンドに彩りを与えた。少年期のジョン・フルシアンテの憧れのギターヒーローの一人であり、ヒレルもジョンと同じく絵画が得意だった(4thアルバム「母乳」のアートワークの裸婦画は、生前にヒレルが描いたもの)。生前に、アンソニーと共作した未発表の曲があることが知られているが、アンソニーは「ヒレルが弾かなければそれは違う曲」と、それを音源にする気はない事を明言している。チリ・ペッパーズのギタリストと言えば、フルシアンテという印象が強いが、バンド無名時代からのファンのヒレルへの人気は根強いものがある。本国では、いくつかファンブックも発売されており、実弟のジェイムズ・スロヴァクの著書が最も有名。 ジャック・シャーマン (Jack Sherman) (1983年 - 1985年) - ヒレルが他のレコード会社へ移籍した際に、臨時オーディションで加入、ファースト・アルバム作成に参加した。アンソニー曰く、「テクはあるがオタクなギタリスト」で、弦で指を切ってピックアップを血に染めてまで破天荒なプレイをするようなヒレルに対し、ネックに潤滑スプレーをつけるほどの几帳面なジャックは、アンソニーとフリーの気性には合わず喧嘩が絶えなかった、とアンソニーの自伝で言及されている。脱退後も、「母乳」の「ハイヤー・グラウンド」のコーラスなどで参加しており親交はあったようだが、後にアンソニーを精神的苦痛で訴えた。そのような間柄ではあったが、「初期のバンドを支えてくれた存在であることは間違いない。」として、アンソニーは自伝で敬意を表している。2020年8月、死去したことがバンドのSNS上で発表された。死因は公表されていない。 デュエイン・“ブラックバード”・マクナイト (DeWayne "Blackbyrd" McKnight) (1988年 - 1989年) - ヒレルが亡くなった後に加入した、黒人ギタリスト。その後すぐ脱退したが、「母乳」以前のいくつかのEPでは、彼がギターを弾いてレコーディングした曲も存在する。元はP-Funk周辺で活躍しており、現在もジョージ・クリントンバンドの一員。 ザンダー・シュロス (Zander Schloss) (1992年) - 日本でフルシアンテが突如脱退した直後、急遽残っていたオーストラリア公演のために声をかけられるが、フリーに「チリペッパーズ向きのプレイではない」と難色を示され、わずか4日で解雇。現在はベーシスト、映画俳優として活動。 アリク・マーシャル (Arik Marshall) (1992年 - 1993年) - Lonnie Marshallと共に、兄弟バンド「Marshall Law?」を組んでいたギタリスト。92年のベルギー公演から93年のロサンゼルス公演まで参加。インディーで活動していたアリクにとっていきなりの重労働のスタジアムツアーは、心身共にきついものだったようで、ツアーバス内で強迫的に睡眠をとることで、その難を和らげようと苦心していたという。 ジェス・トビアス (Jess Tobias) (1993年) - アリク脱退後、加入。1週間のみ在籍。 デイヴ・ナヴァロ (Dave Navarro) (1993年 - 1999年) - ジェーンズ・アディクションから加入。 チャド・スミスとはとても仲が良く、メタルとヘヴィロック志向の重厚なサウンドを得意とする彼のプレイも評価が高かったが、アルバム1枚とツアー参加のみで、音楽性の違いから脱退した。 ジョシュ・クリングホッファー (Josh Klinghoffer) (2009年 - 2019年) - 2007年のステイディアム・アーケイディアム・ツアーの合間からサポートミュージシャンとして参加。2010年2月、チャド・スミスより、2009年12月に脱退したジョン・フルシアンテに代わって、新ギタリストとなることが発表された。2019年12月、チリ・ペッパーズの公式インスタグラムにより、脱退が発表された。チリ・ペッパーズとの親交は1998年からあり、2000年には当時在籍したバンドであるバイシクル・シーフがチリ・ペッパーズの前座を務めた。特にジョン・フルシアンテとの関係が深く、2004年にアルバムA Sphere In The Heart Of Silenceを共作し、ジョンのソロアルバムShadows Collide With PeopleとThe Will to Deathにも参加、さらにFugaziのジョー・ラリーと共に3人でAtaxiaというバンドを組みアルバムを2枚出した。
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「ギタリスト」の例文・使い方・用例・文例
- そのギタリストはコンサートで趣のある力強い演奏を見せた。
- 彼女は自分自身を上手いギタリストだと思っている。
- 速く弾くことの出来るギタリストは沢山います。
- 私の夢はギタリストになることです。
- 私はギタリストになりたい。
- 米国のギタリストで、エレキギターによる革新的なスタイルがロック・ミュージックの発展に影響を及ぼした(1942年−1970年)
- 英国のロックスター、ギタリスト、作詞作曲家で、ポール・マッカートニーと共にビートルズのための音楽の大部分を書いた(1940年−1980年)
- その4人の日本人受賞者は人気ロックデュオB'zのギタリストの松本孝(たか)弘(ひろ)さん,クラシックピアニストの内(うち)田(だ)光(みつ)子(こ)さん,ジャズピアニストの上(うえ)原(はら)ひろみさん,琴奏者の松山夕(ゆ)貴(き)子(こ)さんだ。
- 彼は米国のジャズ・フュージョン・ギタリストであるラリー・カールトンさんと共同で同賞を受賞した。
- BBCのインタビューで,バンドのリードギタリストであるキース・リチャーズさんは,バンドの長いキャリアについて「途方もない冒険だった。」と語った。
- ギタリストの布(ほ)袋(てい)寅(とも)泰(やす)さんは映画「キル・ビル」のテーマ曲を演奏した。
- その他にも尺(しゃく)八(はち)奏者の中村明(あき)一(かず)さん,シンガーソングライターでギタリストの雅-MIYAVI-などの日本人アーティストも出演した。
- あるアマチュアギタリストが,1967年にサンディエゴの中古楽器店でこれを購入し,後に友人のジョン・マカウさんにそのギターを売った。
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