無名時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 06:13 UTC 版)
ノーフォークのセットフォードにコルセット製造業者の子として生まれ、グラマースクールの第6学年から第14学年まで在籍し、歴史・数学・科学を学び、13歳から父親の店で職人としての修行をする。16歳の頃に船乗りになるため家出をし、その後船員・コルセット製造・収税吏・教師と職を転々とする。22歳と34歳の時に結婚し、両方とも離婚している。1772年に収税吏の賃金の実情についてパンフレットを執筆し、文人のオリヴァー・ゴールドスミスと知り合っている。1774年6月にロンドンでベンジャミン・フランクリンに紹介され、人物証明書を持たされてアメリカに移住する。月刊誌『ペンシルベニア・マガジン』の編集主任となり、1775年1月には600人だった購読者を2ヶ月後には1500人に増加させている。植民地の政治問題に触れ、クエーカー教徒の完全な平和主義を批判し、若者への就職準備金や老人への年金支給を含む最低限所得保障が必要なことを説いた論文『農民の正義』(Agrarian Justice)などが書かれたのと同時に、ペンシルベニア州議会に対し独立要求をけしかけている。
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