無名塾主宰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 02:53 UTC 版)
俳優座の看板俳優だった1975年(昭和50年)に、妻・宮崎恭子と共に無名塾を創立して後進の養成を開始した。1979年(昭和54年)には俳優座を退団。以後は無名塾公演で、脚本・演出を妻に任せ、自分が出演する形で演劇を継続してきた。俳優座時代、また無名塾公演でも多くのシェイクスピア作品に主演、日本を代表するシェイクスピア俳優でもある。 映画では1980年(昭和55年)の『影武者』で、監督・黒澤明との確執で降板した勝新太郎の代役として、急遽主役に抜擢(ばってき)され、同作はカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した。同年には『二百三高地』にも主演、人情味をたたえた乃木希典を演じている。1982年(昭和57年)には『鬼龍院花子の生涯』で、傲岸で気性の激しい土佐の鬼政こと鬼龍院政五郎を演じ、全くタイプの異なる役柄を演じ分けた。1985年(昭和60年)の『乱』でも主演し、「戦国版リア王」として悲劇への道をたどる秀虎役を演じた。翌年の『熱海殺人事件』では一転して狂騒的なドタバタ喜劇に出演、それでもなお重厚さのにじみ出る演技を見せた。同作の原作と脚本・つかこうへいは、主役・木村伝兵衛の名を「仲代の名を支えきれない」と二階堂伝兵衛に変えてしまった。 時代劇・現代劇双方を演じられる俳優として、テレビドラマでは大石内蔵助を演じた『忠臣蔵』(1991年)、中国残留孤児となった子を探し続ける父親を演じた『大地の子』(1995年)、千利休を演じた『秀吉』(1996年)などで近年も活躍している。1983年に公開されたアニメーション映画『宇宙戦艦ヤマト 完結編』ではナレーションを務めた。 2010年(平成22年)、久々の主演映画『春との旅』が公開され、日本映画批評家大賞ダイヤモンド大賞(荻昌弘賞)、イタリアのAsian Film Festival Reggio Emilia最優秀主演男優賞を受賞した。また黒澤明誕生100年にあたり、同年の『文藝春秋』7月号で、香川京子と対談した。 2015年(平成27年)、文化勲章を受章。同年にも2本の映画に主演しているが、うち『果し合い』は文化勲章受章後の公開であり、受章後に主演映画を公開した俳優は史上初である。2017年にはさらに主演作『海辺のリア』が公開された。 2020年(令和2年)、86歳にして主演映画『帰郷』が公開された。インタビューにおいて「もしかしたらこの映画が(自分の)最後の作品になるかもしれない」との発言を残している。
※この「無名塾主宰」の解説は、「仲代達矢」の解説の一部です。
「無名塾主宰」を含む「仲代達矢」の記事については、「仲代達矢」の概要を参照ください。
- 無名塾主宰のページへのリンク