無名ユダヤ人犠牲者記念館
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「ショア記念館」の記事における「無名ユダヤ人犠牲者記念館」の解説
1950年、イサック・シュネルソンが「無名ユダヤ人犠牲者記念館 (Le Mémorial du Martyr Juif Inconnu; MMJI)」の設立を決定。当初、ユダヤ社会の一部が「過去を振り返るための施設」は望まないと反対した。 1953年にイスラエルにヤド・ヴァシェムが設立され、「現代ユダヤ資料センター」と緊密な関係を確立。1953年5月17日、無名ユダヤ人犠牲者記念館建設の第一歩として、パリ市が提供した敷地にユダヤ人犠牲者の慰霊碑が建立された。フランス、ベルギー、ルクセンブルク、ユーゴスラビアなどの多くの国が芸術作品を寄贈するなどして設立に貢献した。 1956年10月30日、無名ユダヤ人犠牲者記念館が完成。開館式には世界各国の50のユダヤ人代表団、欧州の政界・宗教界の多くの指導者らが出席した。 1957年2月24日、各地の収容所やワルシャワ・ゲットーから集めた灰を地下礼拝堂 (crypte) に納めた。 1991年、無名ユダヤ人犠牲者記念館がフランスの歴史的記念物に指定され、毎年、国家またはユダヤ社会が開催する重要な式典が行われている。
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