無名スカウトの伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/16 16:06 UTC 版)
「ウィリアム・ディクソン・ボイス」の記事における「無名スカウトの伝説」の解説
詳細は「無名スカウトの善行」を参照 伝説に拠れば、ボイスが1909年に霧の中で道に迷ったとき、名も知らぬボーイスカウトが助けに現れて、目的地まで案内してくれた。この少年はボイスが差し出したチップを断り、単にボーイスカウトとしての義務を果たしているだけだと説明した。ボイスは当時のボーイスカウト協会の長であったロバート・ベーデン=パウエルと会見した。ボイスはアメリカに帰って、4ヶ月後の1910年2月8日にアメリカ・ボーイスカウトを設立した。ボイスはアメリカ・インディアンの伝承に訓練計画を基づかせようと考えた。この伝説はアメリカ・ボーイスカウトのハンドブックや雑誌に何度も掲載された。この伝説には他の変化形もあり、ボイスは少年に遭う前にボーイスカウトのことを知っており、無名ボーイスカウトはスカウトの本部にボイスを連れて行ったという話もある。 実際にボイスはイギリス領東アフリカを探検に行く「途中で」ロンドンに立ち寄った。見知らぬボーイスカウトがボイスを助け、チップを断ったのは事実である。しかしこのボーイスカウトはボイスが通りを横切ってホテルに行くのを助けただけであり、ボイスをボーイスカウト本部に連れて行かなかったし、ボイスはベーデン=パウェルと会見したわけでも無かった。ボイスの要請に応じて見知らぬボーイスカウトは本部の住所を教え、ボイスがそこに行って「少年のためのスカウト運動」などスカウト運動に関する資料を持って帰った。ボイスは探検の間にこれらの資料を読み、大変感銘を受けたので、サンフランシスコを経由して世界周遊する替わりにロンドンのボーイスカウト本部に行った。ボイスはアメリカでスカウト運動を組織化することを提案し、本部の資料を使う許可を得た。ボイスの最初の証言では霧のことに触れていないが、1928年の証言では霧が出ていたと言っている。気象学者に拠れば、その日ロンドンには霧が無かった。
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