ベーシスト
ベーシスト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/13 03:05 UTC 版)


ベーシスト(Bassist)またはベースプレイヤー(Bass player)は、ベースを演奏するミュージシャンである。ベースにはダブルベース(コントラバス)やエレクトリックベースなど様々な種類があるが、奏者は一様にベーシストと呼ばれる。ベーシストはロック、ファンク、R&B、レゲエ、ジャズなど、多くの音楽ジャンルで演奏を行う。またベーシストは、ドラマーとともにリズム隊としてビートを支える役割を担っている。
概要
エレクトリックベースギターは1940年代後半に開発され、その後ファンク、R&B、ソウルミュージック、ロック、レゲエ、ジャズ/クロスオーバー、フュージョン、ハードロック/ヘヴィメタル、ポップ・ミュージックのリズム楽器として使用されるようになった。またアコースティック楽器であるダブルベース(ウッドベース)は、ジャズ、クラシック音楽、フォーク、ブルーグラス、ロカビリー、ネオロカビリー、カントリーのリズム楽器だった。
弦楽器以外の楽器がベースとして機能している例がある、チューバやスーザフォンなどの低音金管楽器が、ディキシーランド・ジャズやニューオーリンズ・ジャズのバンドのベースとして用いられている。一般的に低音金管楽器奏者がベーシストとは呼称されないが、音楽的役割は似ている。
ベーシストは主にエレクトリックベースとダブルベース、2つある楽器の内どちらか、もしくは両方を担当している。
これらベーシストたち、モンク・モンゴメリー、スティーブ・スワロー、ブーツィー・コリンズ[注釈 1]、ラリー・グラハム[注釈 2]、フレッド・トーマス[注釈 3]、ロバート・クール・ベル[注釈 4]、マーシャル”ロック”ジョーンズ[注釈 5]、バーナード・エドワーズ[注釈 6]、アンディ・フレイザー[注釈 7]、メル・サッチャー[2][注釈 8]、ビル・ワイマン、ポール・マッカートニーらが、1950年代から60年代、そして現在に至るまで、主にエレクトリックベースギターを使用してきた。
1980年にデビューしたストレイ・キャッツのベーシストであるリー・ロッカーら、ネオロカビリー・バンドのベーシストは、当時ポピュラーミュージックでは定番となっていたエレクトリックベースギターではなくダブルベース(コントラバス)を使用していた。
著名なベーシスト

海外ベーシスト
※以下アイウエオ順
ア行
- アドリアン・フェロー(フランスのベーシスト)
- アラン・カロン(UZEB、カナダのベーシスト)
- アンソニー・ジャクソン
- ウィリー・ウィークス
- ウィルトン・フェルダー(ザ・クルセイダーズ)
- エティエンヌ・ムバッペ(フランスのベーシスト)
- エディ・ゴメス
- エドガー・メイヤー
- オスカー・ペティフォード
カ行
- カルロス・ベナベン(スペインのベーシスト)
- キャロル・ケイ
- クリス・スクワイア
- クリスチャン・ガルベス(チリのベーシスト)
- クリスチャン・マクブライド
- クリフ・ウィリアムズ
- グレッグ・レイク
- ゲディー・リー
サ行
- ジェフ・バーリン
- ジェームス・ジェマーソン
- シド・ヴィシャス
- ジミー・ギャリソン
- ジャック・キャサディ(ジェファーソン・エアプレイン、ホット・ツナ)
- ジャック・ブルース
- ジャコ・パストリアス
- ジョー・オズボーン
- ジョン・ウェットン
- ジョン・ディーコン(クイーン)
- ジョン・パティトゥッチ
- ジョン・エントウィッスル
- スコット・ラファロ
- スタンリー・クラーク
- スチュワート・ゼンダー
- スティーブ・スワロー
- スティング
タ行
- ダグ・ウィンビッシュ(リヴィング・カラー)
- タル・ウィルケンフェルド
- チャック・レイニー
- チャールズ・ミンガス
- ティム・ボガード(ヴァニラ・ファッジ)
- トニー・グレイ
- トニー・レヴィン
- ドミニク・ディ・ピアッツァ
ナ行
- ニコ・アスンサォン(ブラジルのベーシスト)
- ニールス・ペデルセン
- ネイザン・イースト
ハ行
- バキティ・クマロ(南アフリカのベーシスト、ポール・サイモン『グレイスランド』の演奏が有名)
- バスター・ウィリアムス
- バニー・ブルネル(フランスのベーシスト)
- ヴィクター・ウッテン
- ピノ・パラディーノ
- ビリー・シーン(MR. BIG)
- ビル・ワイマン(ローリング・ストーンズ)
- フィル・レッシュ(グレイトフル・デッド)
- フェニックス(リンキン・パーク)
- ブーツィー・コリンズ
- フリー(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)
- ポール・マッカートニー
- ボブ・ボーグル(ザ・ベンチャーズ)
マ行
- マーカス・ミラー
- マシュー・ギャリソン
- ミシェル・ンデゲオチェロ
- ミロスラフ・ヴィトウス
ヤ行
ラ行
国内ベーシスト
※以下あいうえお順
あ行
か行
さ行
た行
な行
- 中村正人(ドリームズ・カム・トゥルー)
- 鳴瀬喜博(カシオペア)
は行
ま行
や行
ら行
関連項目
脚注
注釈
- ^ ジェームス・ブラウン、パーラメント、ファンカデリックなどのベースを担当した
- ^ スライ&ザ・ファミリー・ストーン、グラハム・セントラル・ステーションのベーシスト
- ^ liner-notes by Alan Leeds, Thomas performed on: "Doing It to Death", "Hot Pants (James Brown song)、Hot Pants Road", "Pass the Peas", "Gimme Some More (The J.B.'s song)", "Givin' Up Food for Funk", "Same Beat", "Damn Right I Am Somebody", "Breakin' Bread", "(It's Not the Express) It's the J.B.'s Monaurail", "If You Don't Get It the First Time...
- ^ クール&ギャングのベース奏者
- ^ オハイオ・プレイヤーズのベーシスト
- ^ シックのベースを担当
- ^ フリーの初代ベーシスト
- ^ グランド・ファンク・レイルロードのベーシスト
出典
ベーシスト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 17:24 UTC 版)
ベーシストとしては、日本におけるチョッパー奏法の元祖と語られることがあり(実際はいかりやの特徴的な奏法を見て近田春夫が面白半分に広めたデマである)、2001年の自著『だめだこりゃ』でも「いかりや奏法」「いかりや弾き」「長介弾き」という呼称には躊躇いつつも、感謝を書き留めている。いかりやは戦後日本のカントリーミュージックの代表格だった「ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ」に在籍していたが、その頃、ウッドベースからエレキベースギターに転向、または兼任していたジャズ、ロカビリーの古参ベーシストたちが米軍基地でアメリカ人の演奏を見て始めたのが、この「親指弾き」だった。しかし、マウンテン・プレイボーイズ、ドリフターズ両方の元メンバーで旧知だったジャイアント吉田は「(当時のステージレパートリーで主流のカントリー&ウエスタンや、ロックンロールに)このチョッパー奏法と呼ぶものは(エレキ・ベース・ギターでは)不要でやったことはない」と語っている。 この奇妙な再認識は、いかりやのミュージシャンとしての活動最盛期がビートルズ以前の時代で、現代では古典的な奏法になっていたことに起因している。いかりやのバンドマン時代を知らない若年層にとって、いかりやが演奏する姿が新鮮だったことから、前述の「いかりや奏法」「いかりや弾き」「長介弾き」という俗語が生まれたのだが、実際にはファンク系のベーシストが現在も多用しており、特に際立った奏法ではない。ただし、日本においてフェンダー製エレキベースを使用し、表舞台に立ったベースプレーヤーとしては先駆け的存在である。なお、事務所の後輩でグループ・サウンズブームを牽引したザ・ワイルドワンズのベーシスト島英二によると、いかりやは当初は島の勧めでピック奏法を試みたが、ピックが邪魔でコントに支障をきたすため親指奏法に切り替えたという。
※この「ベーシスト」の解説は、「いかりや長介」の解説の一部です。
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ベーシストと同じ種類の言葉
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