バスター・ウィリアムスとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 音楽家 > ミュージシャン > ジャズ・ミュージシャン > バスター・ウィリアムスの意味・解説 

バスター・ウィリアムス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/06 18:03 UTC 版)

バスター・ウィリアムス
Buster Williams
バスター・ウィリアムス(2008年)
基本情報
出生名 Charles Anthony Williams
生誕 (1942-04-17) 1942年4月17日(83歳)
出身地 アメリカ合衆国 ニュージャージー州カムデン
ジャンル メインストリーム・ジャズハード・バップポスト・バップフュージョン
担当楽器 ダブルベース
活動期間 1959年 -
公式サイト www.busterwilliams.com

バスター・ウィリアムスBuster Williams1942年4月17日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州生まれのモダンジャズベース奏者

1959年から演奏家としての活動を始めた。フィラデルフィアでプロとしてデビューした後、ジーン・アモンズソニー・スティットのクインテットやベティ・カーター、ナンシー・ウィルソンサラ・ヴォーンといった女性歌手のレコーディングに参加、1960年代後半にニューヨークに移りハービー・ハンコックのグループに参加、一時期マイルス・デイヴィスの下でも活躍した。以降はケニー・バロンデクスター・ゴードンジョー・ファレル他にも多くのミュージシャンと活動を共にしている。

ロン・カーターなどと同じく、黒ナイロン巻きスチール弦を用いた個性的なトーンを特色とする。

経歴

生い立ちおよびキャリア

オスロ・ジャズ・フェスティバルで演奏するウィリアムス(2016年)

父親チャールズ・アンソニー・ウィリアムス・シニアもベース、ドラム、ピアノの音楽家だった。幼い頃からジャズに親しんだ。ニュージャージー州の家で父親のバンドのリハーサルをやっていた。

「スターダスト」におけるオスカー・ペティフォードのベース演奏に注目し、十代で演奏を始めた。彼がまだ中学生だったときプロとしての最初のギグがあった。

ジミー・ヒースのバンドとサム・リードのバンドを掛け持ちしていた。父親は「RIP」というクラブでジャム・セッションを開催し、ウィリアムスは1959年に、月曜日の夜のショーで父と一緒に演奏した。

高校卒業直後の1960年にジーン・アモンズソニー・スティットと共演した。ウィリアムスは、1961年8月にアモンズ/スティット・グループと彼の最初の録音を行った。

教育

ウィリアムスはフィラデルフィアの音楽大学で、アモンズ、スティットたちと演奏していくなか、またそれ以後、不規則に音楽を学ぶこととなる。構成・作曲・和音・理論をロナルド・ウィギンズ博士から学んだ[1][2]

ボーカル伴奏者

ベティ・カーター (1962年) やサラ・ヴォーン (1963年) と共演。ヴォーンは、フランスのリビエラでの公演に彼を帯同した。

1964年、ウィリアムスはナンシー・ウィルソンといくつかのアルバムをキャピトル・レコードに録音し、ロサンゼルスに移住することとなる。

シャーリー・ホーン、ジョナサン・シュワルツ、カーメン・マクレエ、ロザンナ・ビトロ、ヘレン・メリル、ジョン・ルシアン、マルグリット・マリアマ、チャンピオン・フルトンとも共演している。

西海岸

西海岸ではナンシー・ウィルソンとのツアーやレコーディングをこなし、ジャズ・クルセイダーズと5枚のアルバムをアトランティックに録音した。

ケニー・ドーハムハロルド・ランドボビー・ハッチャーソンのクインテットと録音し、マイルス・デイヴィスと1967年に数ヶ月間共演した。

ハービー・ハンコック・セクステット

1968年にニューヨークに行き、アート・ブレイキーハービー・マン、メアリー・ルー・ウィリアムスと共演。

アトランティック、ブルーノートプレスティッジマッコイ・タイナーデクスター・ゴードンロイ・エアーズスタンリー・タレンタイン、フランク・フォスター、イリノイ・ジャケー、ジーン・アモンズと共演。

ハービー・ハンコックとマイルス・デイヴィス・クインテットで共演したのをきっかけに、ウィリアムスはハンコックとのバンドであるムワンディシ (Mwandishi)で3枚のアルバムを録音。

ムワンディシ六重奏団はジャズの新しい電子音を探求し、ウィリアムスはアコースティックとエレキベースの両方で演奏した。

リーダーとしてのデビュー

1975年にリーダーとしてのレコーディング・デビューを果たした。

映画やテレビの仕事

ウィリアムスはいくつかの映画のサウンドトラックやテレビコマーシャル(コカ・コーラバドワイザー、オールドスパイス)で演奏した。

1969年の映画『マッケンナの黄金』の音楽ではクインシー・ジョーンズと共演。

1990年代には、アンジェロ・バダラメンティデヴィッド・リンチ監督の『ツイン・ピークス』サントラに参加。

スパイク・リーの映画『クロッカーズ』にも参加。

ブランフォード・マルサリスが率いるテレビ番組『トゥナイト・ショー』のハウス・バンドとも共演した。

ウィリアムスは、2004年のスティーヴン・スピルバーグ監督映画『ターミナル』に自分自身として出演し、ベニー・ゴルソンのカルテットでマイク・レドンヌとカール・アレンと共演した。

私生活

ウィリアムスは中学生のときに出会ったベロニカと1965年に結婚。2014年の時点で妻とカムデンに住んでいる。

1972年に妻が交通事故で脳震盪を起こして以来、仏教に帰依し、創価学会インターナショナル(SGI)に入信し南無妙法蓮華経を唱えている。彼の信仰はハービー・ハンコックウェイン・ショーターに影響をあたえた。

ディスコグラフィ

脚注

  1. ^ Colligan, George. "The Buster Williams Interview", Jazz Truth. Blogger, July 7, 2013. Web. February 19, 2014.
  2. ^ "Biography" Archived 2012-01-25 at the Wayback Machine., Buster Williams website.

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「バスター・ウィリアムス」の関連用語

バスター・ウィリアムスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



バスター・ウィリアムスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのバスター・ウィリアムス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS