ニーナ・フリーロンとは? わかりやすく解説

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ニーナ・フリーロン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/29 08:55 UTC 版)

ニーナ・フリーロン
Nnenna Freelon
ニーナ・フリーロン(2024年)
基本情報
生誕 (1954-07-28) 1954年7月28日(70歳)
出身地 アメリカ合衆国 マサチューセッツ州ケンブリッジ
ジャンル ジャズポップス
職業 歌手
担当楽器 ボーカル
活動期間 1992年 -
レーベル コンコードコロムビア、Origin
公式サイト nnenna.com

ニーナ・フリーロン[1]Nnenna Freelon1954年7月28日 - )は、アメリカジャズシンガーで、作曲家音楽プロデューサー編曲家

生い立ち

フリーロンは、マサチューセッツ州ケンブリッジでチャールズとフランシス・ピアース夫妻の娘として生まれ、そこで育った[2]。兄のメルヴィンと妹のデビーがいる。若い頃は、地域社会やユニオン・バプテスト教会、そしてセントポールAME(アメリカ精神病院)で精力的に歌っていた。「私も他の多くの人と同じように、教会で歌い始めました…」[3]と彼女は回想する。フリーロンはボストンのシモンズ大学で医療管理学の学位を取得した。その後はノースカロライナ州ダーラムにあるダーラム郡病院法人でしばらく働いていた。

彼女は、ニーナ・シモンビリー・エクスタインといった「有名ではない」人々から影響を受けたと述べ、両親が自宅で彼らのレコードを聴いていたと言う。「子供たちに幅広い音楽環境に触れさせることが大切です」と彼女は言う。「祖母から言われたことを実践しました。『自分の置かれた場所で花を咲かせなさい』『バスに乗ってニューヨークやロサンゼルスに行くのではなく、自分がいる場所で歌いなさい』と」[3]

略歴

クラーク・テリー(右)とフリーロン(2006年)

1990年、ニーナ・フリーロンはサザン・アーツ・フェデレーションのジャズ・ミーティングに参加し、エリス・マルサリスと出会った。「それが大きな転機でした。当時、私は7年間、歌っていました。エリスは教育者で、私を育てて、助けたいと考えてくれていました。当時、私は知らなかったのですが、コロムビア・レコードのジョージ・バトラーが女性シンガーを探していたのです。エリスは私に資料一式を依頼してきました。私は地元向けのプレスキットとオリジナル曲の小さなテープを持っていました。そして2年後に、コロムビア・レコードと契約を交わしました」。1992年、コロムビアからデビューCD『ニーナ・フリーロン』をリリースした時、彼女は30代後半になっていた。同レーベルは1994年に彼女との契約を解除したが、1996年にコンコード・レコードと契約した[4]

彼女はレイ・チャールズ、エリス・マルサリス、アル・ジャロウアニタ・ベイカーアレサ・フランクリンダイアン・リーヴスダイアナ・クラールラムゼイ・ルイスジョージ・ベンソンクラーク・テリーハービー・ハンコックテレンス・ブランチャードといった大物アーティストと共演している。カーネギー・ホールハリウッド・ボウル、エリントン・ジャズ・フェスティバル、モントレー・ジャズ・フェスティバルアポロ・シアターモントルー・ジャズ・フェスティバルジョン・F・ケネディ・センター・フォー・ザ・パフォーミング・アーツなどでパフォーマンスしている。

ベビーソング・ワークショップ

フリーロンは、全米で40万以上の学校および地域社会とのパートナーシップ・プログラムを運営し、芸術教育に尽力する全米教育パートナー協会(NAEP)のスポークスパーソンを務めている[5]。フリーロンは、ジャズのキャリアが順調に発展する一方で、病院での仕事との繋がりも保ち続けている。1990年にデューク大学メディカルセンターで始めたベビーソング・ワークショップでは、若い母親や医療従事者に対し、癒しと育児における人間の声の重要性を教えている。彼女は、脳の発達を促すために、親が子どもに歌を歌うことの重要性を強調している[6]

私生活

1979年、建築家のフィリップ・フリーロンと結婚[2]。夫と共にディーン、マヤ、ピアースの3人の子供を育てた後、ジャズ・シンガーとしてプロの活動​​を始めることを決意した[7]。息子のピアース・フリーロンはヒップホップ・アーティストであり、ノースカロライナ中央大学の政治学客員教授を務めている。また、ウェブサイト「Blackademics」の創設者でもあり、アンジェラ・デイヴィスマヤ・アンジェロウ、ニッキ・ジョヴァンニ、ジェシー・ジャクソンなど、多くの著名人にインタビューを行っている[8]。ディーン・フリーロンは、ペンシルベニア大学アネンバーグ・コミュニケーション・スクールの学長教授として、ソーシャルメディアと政治を研究している[9]。娘のマヤ・フリーロン・アサンテはヴィジュアル・アーティストである[10]

受賞歴

  • ユービー・ブレイク賞 : ユービー・ブレイク国立ジャズ協会
  • ビリー・ホリデイ賞 : アカデミー・デュ・ジャズ

ディスコグラフィ

アルバム

  • 『ニーナ・フリーロン』 - Nnenna Freelon (1992年、Columbia)
  • 『ヘリテイジ』 - Heritage (1993年、Columbia)
  • 『リッスン』 - Listen (1994年、Columbia)
  • 『シェイキング・フリー』 - Shaking Free (1996年、Concord)
  • 『処女航海』 - Maiden Voyage (1998年、Concord)
  • 『ソウルコール』 - Soulcall (2000年、Concord)
  • 『テイルズ・オブ・ワンダー』 - Tales of Wonder (2002年、Concord)
  • 『ライヴ』 - Live (at The Kennedy Center, Washington D.C.) (2003年、Concord) ※ライブ
  • 『ブループリント・オブ・ア・レディ~ビリー・ホリデイに捧ぐ』 - Blueprint of a Lady: Sketches of Billie Holiday (2005年、Concord)
  • Better Than Anything (2008年、Concord) ※コンピレーション
  • 『ホームフリー』 - Homefree (2010年、Concord)
  • Christmas (2012年、Brown Boulevard)
  • Time Traveler (2021年、Origin)
  • AnceStars (2023年、Blackspace) ※with ピアース・フリーロン

グラミー賞歴

ニーナ・フリーロン グラミー賞
カテゴリー タイトル 結果
1997 最優秀ジャズ・ボーカル・パフォーマンス 『シェイキング・フリー』 ノミネート
1999 『処女航海』 ノミネート
2001 最優秀ジャズ・ボーカル・アルバム 『ソウルコール』 ノミネート
最優秀ボーカル伴奏インストゥルメンタル・アレンジメント ボタン・アップ・ユア・オーヴァーコート
"Button Up Your Overcoat"(『ソウルコール』収録)
ノミネート
2006 最優秀ジャズ・ボーカル・アルバム 『ブループリント・オブ・ア・レディ~ビリー・ホリデイに捧ぐ』 ノミネート
2022 Time Traveler ノミネート
2024 最優秀子供向けアルバム AnceStars ノミネート

脚注

  1. ^ ネナ・フリーロン」の表記もある。
  2. ^ a b “Interview with Nnenna's husband, architect Philip G. Freelon”. Baltimore Sun. (2005年6月5日). http://www.baltimoresun.com/features/bal-as.afam05jun05,0,7406682.story?page=2 2007年8月18日閲覧。 
  3. ^ a b Billy Taylor's Jazz”. Npr.org. 2020年5月11日閲覧。
  4. ^ The Profound, Introspective and Supremely Talented, Nnenna Freelon, Web.archive.org, (Retrieved August 18, 2007)
  5. ^ Nape HQ | Spreading Education” (2018年2月1日). 2007年8月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月28日閲覧。
  6. ^ Boston Globe – June 9, 2006, Freelon not afraid to voice individuality, Boston.com,(Retrieved August 18, 2007)
  7. ^ “Marian McPartland's Piano Jazz: Nnenna Freelon”. NPR.org (National Public Radio). https://www.npr.org/programs/pianojazz/previousguests/spring2002/freelon.html 2017年12月26日閲覧。 
  8. ^ Blackspace”. Blackademics.org. 2024年7月28日閲覧。
  9. ^ Faculty Profile – Deen Freelon”. Asc.upenn.edu (2024年1月15日). 2024年5月5日閲覧。
  10. ^ I Want to Make Joy: Maya Freelon Asante”. DareGreatly.com. Cadillac (2017年2月7日). 2017年12月26日閲覧。

外部リンク




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