ファンカデリック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/06 01:18 UTC 版)
ファンカデリック Funkadelic | |
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出身地 | アメリカ合衆国 ニュージャージー州プレインフィールド |
ジャンル | ファンク |
活動期間 | 1968年 – 1982年、2014年 |
レーベル | Westbound、Warner Bros. |
共同作業者 | パーラメント、ブーツィーズ・ラバー・バンド |
旧メンバー | ジョージ・クリントン グラディ・トーマス レイ・デイヴィス ファジー・ハスキンズ カルヴァン・サイモン ビリー・ネルソン エディ・ヘイゼル タウル・ロス ティキ・フルウッド ミッキー・アトキンス バーニー・ウォーレル ハロルド・ビーン ゲイリー・シャイダー コーデル・モースン ブーツィー・コリンズ キャットフィッシュ・コリンズ ロン・ビコウスキー プラカシュ・ジョン タイロン・ランプキン リオン・パティロ ジミ・カルフーン マイケル・ハンプトン グレン・ゴインズ ジェローム・ブレイリー ドーン・シルヴァ ジュニー・モリソン ロドニー・カーティス マリア・フランクリン ラリー・フラタンジェロ ドウェイン・マックナイト デイヴィッド・スプラドリー ダニエル・リブジー・オウエンズ ルース・コープランド デニス・チェンバース |
ファンカデリック(Funkadelic)は、ジョージ・クリントンがパーラメントと並行して1960年代末に結成したファンクバンド。Pファンクの主要プロジェクトのひとつ。
歴史
クリントンはザ・パーラメンツとして「(I Wanna) Testify」のヒットを放ったが、インヴィクタスに移籍する際に契約問題が発生し、別なグループ名を使用せざるを得なくなった。そのために使用したグループ名が「ファンカデリック」である。1970年にアルバム・デビューしている。主なメンバーはジョージ・クリントン、ブーツィー・コリンズ、バーニー・ウォーレルらで、パーラメント[注 1]のメンバーとはかなりの部分が重複する。ブーツィーは、ジェームズ・ブラウンのバンドからPファンクへ移ったファンク・ベーシストだった。また、ファンカデリックのサウンドはギタリストの比重も大きかった[1]。
ファンクがメインのパーラメントとは違い、ジミ・ヘンドリックスの影響を受けたサイケデリック・ロックに近いサウンドと、ファンクの両方の音楽性を持っていた。この傾向は1970年から1977年ごろまで続いたが、徐々にサイケ度は後退し、ファンク度も上がっていった。『ワン・ネイション・アンダー・ア・グルーヴ』(1978年)からは、ファンカデリックもファンク・ヒットを放つようになった。翌年の「(Not Just) Knee Deep」[注 2](1979年)もソウル・チャートでヒットしている。 ファンカデリックは、パーラメントと共に「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において、第58位に選ばれている。
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム
- 『ファンカデリック』 - Funkadelic [2](1970年、Westbound) ※旧邦題『ファースト・アルバム』
- 『フリー・ユア・マインド…』[3] - Free Your Mind... and Your Ass Will Follow (1970年、Westbound)
- 『マゴット・ブレイン』[4] - Maggot Brain (1971年、Westbound)
- 『アメリカ・イーツ・イッツ・ヤング』[5] - America Eats Its Young (1972年、Westbound)
- 『コズミック・スロップ』[5] - Cosmic Slop (1973年、Westbound)
- 『スタンディング・オン・ザ・ヴァージ・オブ・ゲッティング・イット・オン』[6] - Standing on the Verge of Getting It On (1974年、Westbound)
- 『レッツ・テイク・イット・トゥ・ザ・ステージ』[6] - Let's Take It to the Stage (1975年、Westbound)
- 『テイルズ・オブ・キッド・ファンカデリック』[7] - Tales of Kidd Funkadelic (1976年、Westbound)
- 『ハードコア・ジョリーズ』[7] - Hardcore Jollies (1976年、Warner Bros.)
- 『ワン・ネイション・アンダー・ア・グルーヴ』[8] - One Nation Under a Groove (1978年、Warner Bros.)
- 『アンクル・ジャム・ウォンツ・ユー』[9] - Uncle Jam Wants You (1979年、Warner Bros.)
- Connections & Disconnections (1980年、Avenue)
- 『エレクトリック・スパンキング・オブ・ウォー・ベイビーズ』[9] - The Electric Spanking of War Babies (1981年、Warner Bros.)
- By Way of the Drum (2007年、Hip-O)
- 『トイズ〜ファンカデリシャス・アンリリースド・トラックス』 - Toys (2008年、Westbound)
- First Ya Gotta Shake the Gate (2014年、The C Kunspyruhzy)
ライブ・アルバム
- 『ライヴ1971』 - Live: Meadowbrook, Rochester, Michigan – 12th September 1971 (1996年、Westbound)
コンピレーション・アルバム
- Funkadelic's Greatest Hits (1975年、Westbound)
- The Best of the Early Years Volume One (1977年、Westbound)
- 『45回転のファンカデリック』 - Music For Your Mother: Funkadelic 45s (1993年、Westbound)
- Hardcore Funk Jam (1994年、Charly)
- 『ザ・ベスト・オブ・ファンカデリック』 - The Best of Funkadelic: 1976-1981 (1994年、Charly)
- 『ファイネスト〜ウェストバウンド・イヤーズ』 - Finest (1994年、Westbound)
- Ultimate Funkadelic (1997年、Music Club)
- The Very Best of Funkadelic 1976-1981 (1998年、Charly)
- The Best (1999年、Neon)
- Funk Gets Stronger (2000年、Recall)
- The Complete Recordings 1976-81 (2000年、Charly)
- Cosmic Slop (2000年、Castle Music)
- Suitably Funky (2000年、Castle Music)
- The Original Cosmic Funk Crew (2000年、Metro Music)
- Motor City Madness: The Ultimate Funkadelic Westbound Compilation (2003年、Westbound)
- The Whole Funk & Nothing But The Funk : Definitive Funkadelic 1976 - 1981 (2005年、Metro Music)
- Funkadelic (2007年、Disky)
- 『リワークド・バイ・デトロイターズ』 - Reworked by Detroiters (2017年、P-Vine Records)
関連項目
脚注
注釈
出典
- ^ Green, Tony. Up for the Downstroke: The Guitar Legacy of Parliament Funkadelic.Guitar Player.
- ^ ジョージ・クリントン ファンカデリック 2023年2月18日閲覧
- ^ レコード・コレクターズ増刊 Soul&Funk p.275
- ^ レコード・コレクターズ増刊 Soul&Funk p.276
- ^ a b レコード・コレクターズ増刊 Soul&Funk p.277
- ^ a b レコード・コレクターズ増刊 Soul&Funk p.278
- ^ a b レコード・コレクターズ増刊 Soul&Funk p.279
- ^ レコード・コレクターズ増刊 Soul&Funk p.280
- ^ a b レコード・コレクターズ増刊 Soul&Funk p.281
ファンカデリック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 08:33 UTC 版)
「ブーツィー・コリンズ」の記事における「ファンカデリック」の解説
アメリカ・イーツ・イッツ・ヤング America Eats Its Young (Westbound, 1972) レッツ・テイク・イット・トゥー・ザ・ステージ Let's Take It to the Stage (Westbound, 1975) 3曲め"Be My Beach"がブーツィーボイス初出。ベースは弾いていない。 ワン・ネイション・アンダー・ア・グルーヴ One Nation Under A Groove (Priority, 1978) アンクル・ジャム・ウォンツ・ユー Uncle Jam Wants You (Priority, 1979)
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ファンカデリック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 09:07 UTC 版)
ファンカデリックの名は、ファンクとサイケデリックを合成してビリー・ネルソンが命名した名前である。ビリーやエディらは、ジョージらパーラメンツのメンバーよりも若く、スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーン、ジミ・ヘンドリックスといった、サイケデリック・ロック、ハードロック、ファンクに影響を受けた世代であり、彼らの加入によりパーラメンツはそれまでのモータウン調のボーカルグループからサイケデリック・ハードロック・ファンクバンドに変容し、ジョージもこのバンドサウンドを前面に出したサウンド作りを行うことになった。1970年、ファンカデリックはデビュー・アルバム『ファンカデリック Funkadelic 』を発表、ブラック・アルバムチャート10位を記録した。そしてメンバーにタウル・ロス(リズムギター)、バーニー・ウォーレル(キーボード)を迎え入れた。同年、2作目のアルバム『フリー・ユア・マインド Free Your Mind...And Your Ass Will Follow 』を発表し、ビルボードブラックアルバムチャート11位、ポップアルバムチャート92位を記録した。さらに1971年、3作目のアルバム『マゴット・ブレイン Maggot Brain 』を発表し、ブラックアルバムチャート14位、ポップアルバム108位を記録した。このアルバムのタイトル曲では、エディ・ヘイゼルの10分にも及ぶギターソロをフィーチャーした。 1970年パーラメンツの名称に関わるレコードレーベルとの係争が解決し、ジョージはホーランド=ドジャー=ホーランドがモータウンから独立して始めたインヴィクタス・レコードと、「パーラメント Parliament 」の名で契約した。1970年同レーベルからパーラメントとしてのファーストアルバム『オズミウム Osmium 』を発表し、このアルバムからの曲 "The Breakdown" はR&Bチャート31位を記録したが、ファンカデリックとしての活動の方が成功していたため、パーラメントとしての活動は休止していた。 1972年ビリー・ネルソンとエディ・ヘイゼルは、ジョージとの金銭トラブルからバンドを脱退した(エディはすぐに戻ってきた)。ジョージは代わるメンバーを探し、ジェームス・ブラウンのバックバンドだったブーツィー・コリンズ(ベース)とキャットフィッシュ・コリンズ(ギター)のコリンズ兄弟や、ユナイテッド・ソウルのゲイリー・シャイダー(ギター)とコーデル・モースン(ベース)をメンバーに迎え入れた。これらのメンバーにより土臭さが多少抜け、ファンク・ロック色を強めて若干洗練されたサウンドとなり、同年ファンカデリック4枚目の2枚組アルバム『アメリカ・イーツ・イッツ・ヤング America Eats Its Young 』を発表した。ブーツィーはこのアルバム以降数年ファンカデリックとは距離をおいたが、ファンカデリックはエディのギター、バーニーのキーボードを中心として活動を続けた。1974年エディを中心としたアルバム『スタンディング・オン・ザ・ヴァージ・オブ・ゲッティング・イット・オン Standing on the Verge of Getting It On 』を発表した後、エディは薬物不法所持等で懲役刑を受けたが、1975年当時17歳だったマイケル・ハンプトンがギタリストとして加入、エディの代役を果たした。ファンカデリックは1976年までに計8枚のアルバムをウェストバウンドレーベルに残した。
※この「ファンカデリック」の解説は、「Pファンク」の解説の一部です。
「ファンカデリック」を含む「Pファンク」の記事については、「Pファンク」の概要を参照ください。
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