グレッグ・レイクとは? わかりやすく解説

グレッグ・レイク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/08 15:58 UTC 版)

グレッグ・レイク
Greg Lake
2005年
基本情報
出生名 Gregory Stuart Lake
生誕 1947年11月10日
出身地 イングランド ドーセット州プール
死没 (2016-12-07) 2016年12月7日(69歳没)
ジャンル プログレッシブ・ロック
職業 シンガーソングライター
担当楽器 ベースギター
活動期間 1965年 - 2016年
共同作業者 ユニット・フォー
ザ・タイム・チェックス
ザ・シェイム
キング・クリムゾン
エマーソン・レイク・アンド・パーマー
エイジア ほか

グレッグ・レイク英語: Gregory Stuart "Greg" Lake1947年11月10日 - 2016年12月7日)は、イングランド出身のボーカリストベーシストギタリスト作詞家作曲家

略歴

1960年、12歳の時に母親にギターを買ってもらい、クラシック・ギターの指導者ドン・ストライクに学んだ[1]

1965年、15歳の時にユニット・フォーを結成してリード・ギターとヴォーカルを担当。この頃、ロバート・フリップ[注釈 1]と知り合った。ザ・タイム・チェックスなど多くのローカルバンドで徐々にギタリスト兼ボーカリストとしての頭角を現し、1967年にはザ・シェイム(The Shame)[2]に参加して[注釈 2]、デビュー・シングルを残した[注釈 3][3][4]

1968年春にザ・ゴッズに加入。ボーカルに加えて初めてベース・ギターを担当してライブで活動したが、夏の終わりに脱退[5][6]。秋にはザ・シェイムが発展して生まれたシャイ・リムス(The Shy Slimes)[7][注釈 4]のデビュー・シングル[8]に客演してギターとボーカルを担当した[注釈 5][9]

同年11月、フリップに誘われ、プログレッシブ・ロック・グループのキング・クリムゾンの結成に参加した。1969年に発表されたデビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』でベースボーカルを担当[注釈 6]

1970年キース・エマーソンカール・パーマーエマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)を結成[10]。作詞をほぼ一手に引き受け[注釈 7]、作曲もエマーソンに次いで単独もしくは共同で担当。レコードにはプロデューサーとしてクレジットされた[注釈 8]。ELPの人気が世界的に上昇すると彼も高い知名度を獲得した。

1980年にELPが解散した後、ゲイリー・ムーアテッド・マッケンナ英語版らを迎えたソロ・プロジェクトに着手した。1981年に発表された初のソロ・アルバム『グレッグ・レイク&ゲイリー・ムーア』はELPとは異なったギターを重視した音作りがなされ、ボーカルもハード・ロック的になっている[11]

1983年にはパーマーらが結成したエイジアに一時加入して、ジョン・ウェットン[注釈 9]の後任として日本公演に参加した。武道館で開かれた東京公演の模様はライブ・ビデオ『エイジア・イン・エイジア』に収録された。

1985年、エマーソン、コージー・パウエルとエマーソン・レイク・アンド・パウエルを結成。

その後ソロ活動を行なっていたが、1992年にELPを再結成させてワールド・ツアーを敢行。

2001年リンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンドのアメリカ・ツアーに参加。「クリムゾン・キングの宮殿」と「ラッキー・マン」を歌った。

2010年、エマーソンと2人で北米ツアーを行う。日本公演も予定されていたが、エマーソンの病気によりキャンセルされた。同年7月、ロンドンのハイ・ボルテージ・フェスティバルでELPの1度だけの再々結成ライヴを行う。本人は活動継続を否定し、その言葉通り、これがELPの最後のライブになった。

2013年、ソロで日本公演を行い、キング・クリムゾンとELPの他、エルヴィス・プレスリーなどお気に入りの楽曲も交えて歌った。

2016年12月7日、癌との闘病生活の末に死去。69歳没[12]。同年3月10日に急死したエマーソンの訃報を受けて哀悼のメッセージを発表してから9か月後だった。パーマーは、かつて彼が『展覧会の絵』で歌った「死こそ生なり」という歌詞を引用して追悼した[13]

2018年、生前に完成させた自伝Lucky Man: The Autobiographyが出版された。

音楽性

ELPの中で最もロック・ミュージックに影響を受けたメンバーである。ベーシストとしてはロック的な奏法とジャズ風のベース・ランニングとを使い分けられた。ピック弾きでオルタネイト・ピッキングの名手である。

歳月を経るにつれて声が太く低くなっていったので、ライブで『展覧会の絵』など過去の曲を歌う際にはキーを下げることがあった。

ディスコグラフィ

ソロ・アルバム

  • グレッグ・レイク&ゲイリー・ムーア』 - Greg Lake (1981年)
  • 『グレッグ・レイク&ゲイリー・ムーアII マヌーヴァーズ』 - Manoeuvres (1983年)
  • イン・コンサート』 - King Biscuit Flower Hour Presents Greg Lake in Concert (1995年) ※1981年のライブ・アルバム。旧邦題『キング・ビスケット・ライヴ』。
  • The Greg Lake Retrospective: From the Beginning (1997年) ※コンピレーション・アルバム
  • 『フロム・ジ・アンダーグラウンド Vol.1』 - From the Underground: The Official Bootleg (1998年) ※コンピレーション・アルバム
  • 『フロム・ジ・アンダーグラウンド Vol.2 - ディーパー・イントゥ・ザ・マイン』 - From the Underground 2: Deeper Into the Mine – An Official Greg Lake Bootleg (2003年) ※コンピレーション・アルバム
  • Greg Lake (2007年) ※2005年のライブ・アルバム
  • 『ソングス・オブ・ア・ライフタイム』 - Songs of a Lifetime (2013年) ※2012年のライブ・アルバム
  • 『ライヴ・イン・ピアツェンツァ』 - Live in Piacenza (2017年) ※2012年のライブ・アルバム

キング・クリムゾン

エマーソン・レイク・アンド・パーマー

エマーソン・レイク・アンド・パウエル

グレッグ・レイク&ジェフ・ダウンズ

  • 『ライド・ザ・タイガー』 - Ride the Tiger (2015年) ※1989年-1990年の録音

キース・エマーソン&グレッグ・レイク

  • 『ライヴ・フロム・マンティコア・ホール』 - Live from Manticore Hall (2014年) ※2010年のライブ・アルバム

著書

  • Lake, Greg (2018). Lucky Man: The Autobiography. London: Constable. ISBN 978-1472126504 

日本公演

脚注

注釈

  1. ^ レイクに先立つこと2年前にストライクにギターを学んだ。
  2. ^ フリップが1週間ほどローディとして在籍した。
  3. ^ ジャニス・イアンのDon't Go 'Way Little Girl。
  4. ^ メンバーにはアンディ・マカロックがいた。
  5. ^ B面収録曲にはフリップもリード・ギターで客演した。
  6. ^ キング・クリムゾンからの離脱を表明した後のセカンド・アルバムでは、デビュー・アルバムの制作前に脱退していたピーター・ジャイルズが客演でベースを担当した。フリップは「スタジオに入って初見でベースが弾けるため」とレコーディングでの合理性を説明している。
  7. ^ 1977年以後、ピート・シンフィールドとの共作がある。
  8. ^ 但しエマーソンはインタビューで「グレッグがこだわったので譲っただけ。楽曲の半分以上を書いてアレンジも含めサウンドの中心である自分が最もプロデューサー的役割を担っている」という主旨の発言をした。
  9. ^ レイク同様、元キング・クリムゾンだった。在籍期間は1972年から1974年まで。

出典

  1. ^ Smith (2019), p. 33.
  2. ^ Discogs”. 2024年6月20日閲覧。
  3. ^ Discogs”. 2024年6月20日閲覧。
  4. ^ Macan (2006), pp. 55–56.
  5. ^ Smith (2019), p. 34.
  6. ^ Macan (2006), pp. 57–59.
  7. ^ Discogs”. 2024年6月20日閲覧。
  8. ^ Discogs”. 2024年6月20日閲覧。
  9. ^ Macan (2006), p. 56.
  10. ^ Keith Emerson of Emerson, Lake & Palmer Dead at 71 of Suicide”. billboard (2016年3月11日). 2016年3月13日閲覧。
  11. ^ Eder, Bruce. “Greg Lake - Biography & History”. AllMusic. 2020年4月18日閲覧。
  12. ^ エマーソン、レイク&パーマーのグレッグ・レイクが死去”. amass (2016年12月8日). 2016年12月8日閲覧。
  13. ^ https://jp.reuters.com/article/elp-emerson-idJPKBN13Y065

引用文献

  • Macan, Edward (2006). Endless Enigma: A Musical Biography of Emerson, Lake and Palmer. Chicago: Open Court. ISBN 978-0-8126-9596-0 
  • Smith, Sid (2019). In the Court of King Crimson: An Observation over Fifty Years. Panegyric. ISBN 978-1916153004 

参考文献

  • 吉田弘和 編集『エマーソン・レイク・アンド・パーマー 衝撃のロック・トリオ伝』新興楽譜出版社、1977年2月。ASIN B000J8VFP2 
  • 北村昌士『キング・クリムゾン―至高の音宇宙を求めて』新興楽譜出版社、1981年6月。 ISBN 978-4401610815 
  • 『UKプログレッシヴ・ロックの70年代』マーキー・インコーポレイティド、1996年6月
  • シド・スミス『クリムゾン・キングの宮殿 風に語りて』宮脇浩 編集 池田聡子 翻訳、ストレンジ・デイズ、2007年7月。 ISBN 978-4902342109 
  • キース・エマーソン『キース・エマーソン自伝』川本聡胤(訳)、三修社、2013年4月。 ISBN 978-4384057256 

外部リンク


グレッグ・レイク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 21:18 UTC 版)

ゲイリー・ムーア」の記事における「グレッグ・レイク」の解説

グレッグ・レイク&ゲイリー・ムーア』 - Greg Lake (1981年) 『グレッグ・レイク&ゲイリー・ムーアII マヌーヴァーズ』 - Manoeuvres (1983年) 『イン・コンサート』 - King Biscuit Flower Hour Presents Greg Lake in Concert (1995年) ※1981年ライブ・アルバム。旧邦題『キング・ビスケット・ライヴ』。

※この「グレッグ・レイク」の解説は、「ゲイリー・ムーア」の解説の一部です。
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