ブラックトップと晩年の日々
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「アール・キング」の記事における「ブラックトップと晩年の日々」の解説
1980年代初頭に、彼はブラックトップ・レコードのハモンド・スコットと出会い、同レーベルにレコーディングするようになった。第1作は1986年にリリースとなった「Glazed」で、ブルース・バンドのルームフル・オブ・ブルースが全面的にバックをつとめている。 同年、ジョニー・アダムズとのジョイント・ツアーで初来日を果たし、日本のファンの前で演奏を披露した。このときバックを務めたのは、レコード・デビュー前のジョー・ルイス・ウォーカーのバンドであった。 レーベル2作目「Sexual Telepathy」は1990年にリリースされた。同作はゲストとしてスヌークス・イーグリンが2曲に参加、またロニー・アール&ザ・ブロードキャスターズがバックを務めるトラックも含まれている。レーベルからの3作目「Hard River To Cross」(1993年)は、恐らくブラックトップ時代では最も充実した内容と言えるだろう。ジョージ・ポーターJr.(ミーターズ)、デイヴィッド・トカノウスキー、ハーマン・アーネストなどの強力メンバーがバックをつけ、キングの個性が花を開いている。同作では彼は快調そのものであるが、その後彼の体調は糖尿病により次第に悪くなって行った。結局、2003年に亡くなるまで再び新作を作ることはなく、これが最後の作となってしまった。 2001年の秋、彼はニュージーランドのツアー中に病気で入院してしまった。しかし、彼が演奏活動をやめることはなく、同年12月には3度目となる来日公演も行った。以降も地元では亡くなるまで、断続的に演奏活動は続けた。 彼は恒例のニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバルの1週間前、2003年4月17日に息を引き取った。彼の葬儀はフェスティバルの期間中に行われ、ドクター・ジョン、レオ・ノセンテリ、アーロン・ネヴィルなど多くのミュージシャンも参列した。キングのインペリアル時代のレコーディングは長らく廃盤となっていたが、奇しくも彼が亡くなった直後にようやく完全な形でCD化された。また地元ニューオーリンズの音楽雑誌オフビートは、2003年6月号で彼の特集を組み、その死を悼んだ。
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