孤児院
「孤児院」とは、保護者のいない児童を引き取って保護養育するための施設のことである。現代日本の「児童養護施設」は、昭和初期に「救護法」成立した当初「孤児院」という名称だった。この「孤児院」は終戦後1947年の「児童福祉法」成立により「養護施設」へ、そして1997年の法改正で「児童養護施設」へと呼び名が改められて今日に至る。
現代日本における「児童養護施設」を敢えて「孤児院」と呼ぶことはあまりないが、「身寄りのない子供を引き取って養う施設」という概念や類型(たとえばフィクションにおける同種の施設)を扱う文脈では「孤児院」という呼び名が用いられることはままある。一般名としては「児童救済施設」のような呼び名が用いられることもある。
「孤児院」の語を冠した具体的な施設としては、1887年に慈善事業家・石井十次が創設した「岡山孤児院」などが挙げられる。
両親のいない子供が施設へ入所する理由としては、親との死別、親の虐待、親の養育放棄、親に養育能力がないと判断されるケースなどが挙げられる。引き取られる子の中には身元不明の状態で入所に至る場合もある。戸籍も何も手がかりがなく子供の名前が一切不明の場合、法的な手続きに基づき市町村長に命名権が委ねられる。苗字は、発見された場所の地名や発見した人の名前などに因んで付けられる傾向がある。
日本における「孤児院」のルーツは、記録に残っている限りでは8世紀に初めて設置された「悲田院(ひでんいん)」と呼ばれる施設に求めることができる。悲田院は仏教の慈悲の教えに則り、身寄りのない子供や貧しい者に慈悲を与えるために設けられたとされる。
日本の「悲田院」が仏教に基づく施設であったように、宗教が福祉事業を引き受けることは世界的にみられる傾向とえいる。キリスト教圏では教会が孤児院の機能を担った例も多く見られる。
日本の児童養護施設には、0歳から18歳までの児童の日々の生活を守るだけでなく、健康的に成長し、自立できるように支援するという役割がある。施設では衣食住を安定させたり学習指導が行われるが、より一般的な家庭に近い環境を整えるため、「里親制度(法的な親子関係を結ばず、一時的にこどもを我が子として家庭で預かり養育する)」や「養子縁組(法的な親子関係を結び、こどもを家庭に引き取る)」などがある。また、ボランティア(家庭教師など)や寄付という形での支援も受け入れている。
「孤児院」の語源・由来
「孤児院」は、「孤児」と「院」からなる熟語である。「孤児」は「親がいないこども」「みなしご」のことである。「院」は、「少年院」や「会計検査院」のように、組織や施設(とりわけ公共施設)の名称に添えられることの多い接尾辞である。
「孤児院」と「児童養護施設」の違い
「孤児院」と「児童養護施設」の違いは、具体的にいつのどの施設を指すかという点に求められる。「児童養護施設」は日本の法律「児童福祉法」に基づき設置され運営されている施設の名称である。
「孤児院」は、「児童福祉法」の歴史的な名称(かつての呼び名)であるか、あるいは同種の「身寄りのない子供を引き取り養育する施設」の一般名である。文脈によっては蔑称という側面もあるかもしれない。
「孤児院」を含む様々な用語の解説
「孤児院テイマー」
「孤児院テイマー」とは、安藤正樹の小説、および、同作品を倉崎もろこがコミカライズしたマンガ作品のタイトルである。「孤児院テイマー」は、小説投稿サイト「小説家になろう」の投稿作品として世に出た(いわゆる「なろう小説」である)。異世界の孤児院に転生した主人公が「神」から授かった特別な能力を発揮しつつ、仲間たちとのんびりと冒険の旅に出る。2018年「HJネット小説大賞」受賞。未完。
「異世界で孤児院を開いたけど、なぜか誰一人巣立とうとしない件」
「異世界で孤児院を開いたけど、なぜか誰一人巣立とうとしない件」とは、初枝れんげの小説のタイトルである。略称は「異世界孤児院」。2016年に小説投稿サイト「小説家になろう」の投稿作品として世に出た(いわゆる「なろう小説」である)。書籍化、漫画化(コミカライズ)、ボイスドラマ化、舞台化など、各種メディアミックスが行われている。「異世界孤児院」は異世界ファンタジーのハーレムものである。異世界に召喚された主人公は戦闘では役立たずと判断されて孤児院の経営を押し付けられる。その孤児院に集まった個性的な少女たちを守るため、秘められた異能を駆使しつてトラブルに立ち向かう。
孤児院
収載図書カーソン・マッカラーズ短編集―少年少女たちの心の世界
出版社近代文芸社
刊行年月1993.3
孤児院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/25 06:00 UTC 版)
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孤児院(こじいん、英語: orphanage または children's house[1])は、親や世話してくれる近親者のない子供、孤児を収容し、養護するための施設である。
日本においては、かつては1929年(昭和4年)4月2日公布、1932年(昭和7年)1月1日施行の救護法第6条に「本法ニ於テ救護施設ト称スルハ養老院、孤児院其ノ他ノ本法ニ依ル救護ヲ目的トスル施設ヲ言フ」と法令で定められた用語であったが、救護法は1946年(昭和21年)10月1日に失効し、同様の施設については1948年(昭和23年)1月1日施行の児童福祉法によって「養護施設」、1998年(平成10年)4月1日施行の同法改正によって「児童養護施設」と改称されている。
したがって、2016年現在においては、日本国内における孤児を保護する施設について表す場合には1947年(昭和22年)以前について表記する場合に用いるか、慣用的に用いられる用語である。諸外国における孤児を保護する施設については2016年現在においても、慣用的に訳語として用いられる。
日本
日本においては、奈良時代に83人の孤児を収容養育した和気広虫や淳和皇后などをはじめ、京都の悲田院や加賀の非人小屋など昔から寺社などに身寄りのない児童が引き取られていた。明確に孤児を保護する施設として設立された最初期のものとしては、19世紀半ばに千葉の大高善兵衛が孤児を養育することを記した看板を自宅の門に掲げ、乳母を雇って30人以上を育てた例のほか[2]、1864年(元治元年)に小野他三郎(太三郎)が金沢で始めた小野救済所(1873年に小野慈善院)、1869年(明治2年)に松方正義によって日田県(大分県日田市)に設立された日田養育館[3]または、1887年(明治20年)に石井十次により設立された岡山孤児院が挙げられる。1872年に生活困窮者の救済を目的に設立された東京市養育院に子供も含まれていたことから、1886年からは親のない児童の救護も同養育院で行なうようになった[4]。また、1890年(明治23年)に発生した経済恐慌から1893年(明治26年)頃までの間の不景気の間にも、資本主義社会の急速な発達と社会福祉制度の不備から貧困住民が増大し、孤児や捨て子が大量に発生し、これらを救済する民間の孤児院が設立された。
第二次世界大戦後の一時期には戦争で両親を亡くした戦災孤児、日本人を母に、アメリカ軍兵士を中心とした父との間に生まれ、両親から見捨てられた混血孤児(GIベビー)が多く発生した。戦災孤児らの保護活動で知られた施設として、「障がい者福祉の父」とも呼ばれた糸賀一雄による近江学園(滋賀県湖南市)がある。設立当初から戦争孤児たちとともに、親のいる家出してきた子どもや障がい児が入園していたとされる[5]。このほか沢田美喜により設立されたエリザベス・サンダースホームが挙げられる。
1948年(昭和23年)以降の孤児を保護する施設については児童養護施設を参照のこと。
アメリカ合衆国
アメリカ合衆国における最初の孤児院は、1740年にジョージ・ホウィットフィールドにより設立されたべセスダ孤児院である。そのほかに著名な孤児院としてはネブラスカ州オマハのフラナガン神父の少年の町(Girls and Boys Town)がある。
近年では、孤児院という言葉にある差別的な語感から、英語表現としては "group home"が用いられることが多くなってきた。ただし、この表現は障害者の社会的自立のための共同住居、高齢者の共同生活住居などにも使われる。日本語では、「〜寮」と訳されることもあるが、カタカナ表記でも使われる。
イギリス
イギリスにおける著名な孤児院としては1870年にトーマス・ジョン・バーナードによって設立されたバーナード・ホームがある。 リバプール近郊にはジョン・レノンがその近くで幼少時を過ごしたとされるストロベリー・フィールズ(en)があった。
イタリア
第二次世界大戦の後、両親を失った子供たちを収容したイタリアの孤児院で、子供たちの成長や発達の遅れ、罹病率、死亡率が高く、まれには社会適応の不良行為少年なども見られた。
そのため世界保健機関がジョン・ボウルビィらに調査研究をさせた結果、子供たちのこうした現象が、最も親密な人間との離別や、それに伴う、保護が十分でない施設での生活によるものではないかとして、「母性的養育の剥奪」という幼児、児童の教育、ケアについての問題提起が盛んに語られるようになった。
インド
インドで孤児を支援する団体で、日本人が関わっているものとしては、コルカタに孤児院を運営するドン・ボスコ希望の家、ヴィシャーカパトナムに孤児院を運営するエル・エンジェル国際ボランティア協会、そしてプネーに孤児院を運営する、母性的養育の剥奪への配慮を特色とするアシュレヤ・イニシアティブ・フォー・チルドレンなどが挙げられる[6]。
開発途上国
開発途上国、後発開発途上国における児童福祉制度の整備の遅れから、孤児の保護をする施設が不足、または存在しないという問題が発生している。これらの問題解決のため、日本からもボランティア団体、NPOによる支援が行われている。
孤児院をテーマにした作品
- 小説
- チャールズ・ディケンズ - 『オリバー・ツイスト』、『デイヴィッド・コパフィールド』
- ジーン・ウェブスター - 『あしながおじさん』
- ジョン・アーヴィング - 『サイダーハウス・ルール』
- ミュージカル
- 漫画
- アニメ
- 映画
- ドラマ
- 音楽
脚注
参考文献
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本庄 豊『児童福祉の戦後史: 孤児院から児童養護施設へ』(吉川弘文館、2023年)ISBN978-4642039239
関連項目
外部リンク
孤児院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 07:02 UTC 版)
『RE:2』に登場。ダウンタウンの北西、セントラル通りの北角にある孤児院。警察署長のアイアンズが、理事長を兼任している。アンブレラの莫大な寄付により、孤児たちは学校に通わないものの、他の養護施設と比較してかなり優遇された環境で過ごしている。一方、ドクターの数や毎日の注射の多さを不審に思う孤児もいるほか、院外へ養子に出された者からの連絡がまったく入らないため、「本当は養子に貰われるのではなくブギーマンの餌にされている」という噂も立っている。現在は孤児院の老朽化に伴う工事のため、全員が他の孤児院へ一時的に退避中であった。
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孤児院
出典:『Wiktionary』 (2021/09/23 12:22 UTC 版)
発音
名詞
翻訳
- アイスランド語: munaðarleysingjahæli (is) 中性
- アラビア語: دار الأيتام (ar) (daar al-'aytaam) 女性
- アルバニア語: jetimore
- インドネシア語: panti asuhan (id)
- ウルドゥー語: اناتھ آشرم (ur) (anāth āśram) 男性
- 英語: orphanage (en)
- エスペラント: orfejo (eo)
- オランダ語: weeshuis (nl)
- ギリシア語: ορφανοτροφείο (el) (orfanotrofeío) 中性
- グリーンランド語: børnehjemmi (kl), meeqqat angerlarsimaffiat (kl), perorsaavik (kl)
- スウェーデン語: barnhem (sv)
- スペイン語: orfanato (es) 男性
- セルビア・クロアチア語: sirotište (sh) 中性
- チェコ語: sirotčinec (cs) 男性
- テルグ語: అనాధశరణాలయం (anaadhaSaraNaalayam)
- デンマーク語: børnehjem
- ドイツ語: Waisenhaus (de) 中性
- トルコ語: yetimhane (tr)
- ハンガリー語: árvaház (hu)
- ヒンディー語: अनाथ आश्रम (hi) (anāth āśram) 男性
- フィンランド語: orpokoti (fi); lastenkoti (fi)
- フランス語: orphelinat (fr) 男性
- ペルシア語: یتیمخانه (fa) (yatim-xâne)
- ポルトガル語: orfanato (pt) 男性
- マケドニア語: сиропиталиште (mk) (siropitálište) 中性
- ロシア語: детский дом (ru) (détskij dom) 男性, детдом (ru) (detdóm) 男性, приют для сирот (ru) (prijút dlja sirót) 男性
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