ジードルング
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ジードルング(Siedlung)とは、ドイツ語で集落のこと。また、ヴァイマル共和国時代にドイツで建設された集合住宅を指す言葉としても有名。
19世紀後半から人口密度の集中、スラムの発生など都市問題が深刻となり、イギリスの田園都市構想にも刺激を受け、1920年代にドイツ各地で集合住宅が建設された。これらの計画にはバウハウスなどのモダニズムの建築家たちが多く参加し、建築史上は近代建築運動の実践としても評価される。
1927年、ドイツ工作連盟の主催によりシュトゥットガルト郊外のヴァイセンホーフで住宅展が開催され、ペーター・ベーレンス、ヴァルター・グロピウス、ル・コルビュジエ、ブルーノ・タウト、ミース・ファン・デル・ローエらが参加し、様々な実験住宅を建設した(ヴァイセンホーフ・ジードルング)。
2008年にはベルリンの一部がベルリンのモダニズム集合住宅群として世界遺産として登録された。
ジードルングの計画地
など
関連項目
ジードルング
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その後タウトは1924年にベルリンに戻って、住宅供給公社ゲハークの主任建築家になった。 当時、ドイツは第一次世界大戦で敗戦国となり、様々な工業製品を作ることで賠償金を支払っていた。このため労働者は劣悪な環境下で働いており、ベルリンの労働者住宅は監獄のようであった。この次期、タウトは主任建築家として労働者の健康を考慮したジードルング(集合住宅)建設に注力し、1924年から1932年までの間にジードルング1万2千戸の設計を行った。タウトは、1924年から携わったブリッツのジードルングで国際的な評価を受けた。 この間にタウトが設計した建築物のうち、シラーパークのジードルング(wikidata)(1924年 - 1930年)、ベルリン市ブリッツの馬蹄形住宅(wikidata)(1925年 - 1930年)とカール・レギーンの住宅都市(ドイツ語版)(1928-1930年) は、ベルリンのモダニズム集合住宅群の1部として2008年に世界遺産(文化遺産)に登録されている。 1930年、ベルリンにある母校のシャルロッテンブルク工科大学(現:ベルリン工科大学)の客員教授に就任した。
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