団地
団地
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団地(だんち)は、生活または産業などに必要とされる各種インフラおよび物流の効率化を図るために、住宅もしくは目的・用途が近似する産業などを集中させた一団の区画もしくは地域、またはそこに立地している建物および建造物を指す。
- ^ a b c 由井義通「広島市における住宅団地の形成とその居住地域構造」『人文地理』第36巻第2号、人文地理学会、1984年、 152-170頁。
- ^ a b c d 須田康夫「農業団地(小講座)」『都市住宅学75号』第41号、農業土木学会、1973年、 113頁。
- ^ a b c d e f g h i j 『LANDSCAPE DESIGN No.23』マルモ出版、2017年、12-13頁
- ^ a b c d e f 椿建也「大戦間期イギリスの住宅改革と公的介入政策―郊外化の進展と公営住宅の到来―」『中京大学経済学論叢』第18号、中京大学経済学部、2006年、 79-122頁。
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- ^ a b c d e “living heritageとしての"団地" 北欧の団地再生” (日本語). 関西大学戦略的研究基盤団地再編リーフレットVol.024. 2022年9月11日閲覧。
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- ^ 藤森照信『天下無双の建築学入門』 ちくま新書 p.151 2001年 ISBN 4480059121
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- ^ 中層エレベーター設置事業(大阪府)
- ^ a b c d 稲見直子「コウ八ウジングにおける子育て共同化の実践とコミュニティ形成における意義―アメリ力・オレゴン州 TrilliumHollow Cohousingを事例に―」『都市住宅学』第75号、公益社団法人 都市住宅学会、2011年、 145-154頁。
- ^ “ベトナムで広まる「ハイテク農業」” (日本語). グローバルマーケティングラボ. 工業市場研究所. 2022年9月11日閲覧。
- ^ a b c d 青木俊也「1章 団地・2DKの誕生」 『再現・昭和30年代 団地2DKの暮らし』河出書房新社、2001年5月30日、51-53頁。ISBN 4309727093。
団地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 04:48 UTC 版)
「片倉町 (八王子市)」の記事における「団地」の解説
東急片倉台団地 東急不動産が開発した戸建分譲地。八王子バイパスをはさんで北野台の西武北野台団地(西武不動産が開発)と隣接する。
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団地
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「ヴィトリー=シュル=セーヌ」の記事における「団地」の解説
戦後は町の近代化に専念し、古い地区は住宅団地に置き換えられた。工業団地の設置は人口増加につながった。1901年に8900人程度であった人口は、1986年に86,000人を超えた。
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団地
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「生活協同組合香川県労働者住宅協会」の記事における「団地」の解説
節内の全座標を示した地図 - OSM節内の全座標を出力 - KML 節内の全座標を出力 - GPX 表示 生協団地は都市郊外の鉄道沿線を中心に展開している。一覧には香川県支部時代に建設された団地を含み、構造は建売もしくは宅地分譲時点の状況を示すため、その後の建て替えや更新などで変化している場合もある。 労住協団地一覧名称所在地整備年構造総戸数備考労住協瓜生ヶ丘団地香川県高松市高松町 1961年 木造平屋 46戸 労住協内浜団地香川県坂出市 1961年 木造平屋 7戸 労住協百相ヶ丘団地香川県高松市仏生山町甲 1962年 木造平屋 121戸 労住協白鳥湊団地香川県東かがわ市 1962年 木造平屋 12戸 労住協柞田団地香川県観音寺市柞田町 1963年 木造平屋 38戸 労住協津田団地香川県さぬき市津田町 1963年 木造平屋 7戸 労住協松の下団地香川県高松市仏生山町乙・甲 1964年 木造平屋 124戸 労住協豊原団地香川県仲多度郡多度津町 1964年 木造平屋 19戸 労住協多肥団地香川県高松市多肥上町 1965年 木造/鉄筋/プレハブ平屋・2階建 157戸 労住協仏生山駅前団地香川県高松市仏生山町 1965年 自主建設 57戸 労住協花園団地香川県高松市花園町 1965年 木造2階 30戸 団地内に第1ビル所在 労住協津森団地香川県丸亀市津森町 1965年 木造/鉄筋平屋 33戸 労住協船岡団地香川県高松市香川町大野 1966年 木造平屋 31戸 労住協木太団地香川県高松市木太町 1966年 木造2階 38戸 労住協善通寺団地香川県善通寺市金蔵寺町 1966年 木造/プレハブ/鉄筋平屋 31戸 労住協円座西団地香川県高松市円座町 1967年 木造/プレハブ/鉄筋平屋・2階建 212戸 労住協円座東団地香川県高松市円座町 労住協丸亀団地香川県丸亀市田村町 1967年 木造/プレハブ平屋 82戸 労住協道福寺団地香川県仲多度郡多度津町 1968年 木造/プレハブ平屋 46戸 労住協平池団地香川県高松市香川町浅野 1969年 木造/プレハブ 127戸 労住協田村団地香川県丸亀市田村町 1969年 木造/プレハブ平屋 103戸 労住協川津団地香川県坂出市川津町 1969年 木造平屋 26戸 労住協多肥中央団地香川県高松市多肥上町 1970年 木造平屋/プレハブ 65戸 労住協仏生山団地香川県高松市仏生山町 1970年 木造2階 4戸 労住協池戸団地香川県木田郡三木町 1970年 プレハブ/木造平屋 27戸 労住協生野団地香川県善通寺市生野町 1970年 木造/プレハブ平屋 84戸 労住協豊田団地香川県観音寺市池之尻町 1970年 木造平屋 63戸 労住協新町団地香川県仲多度郡多度津町日の出町 1970年 木造/プレハブ平屋鉄筋2階 124戸 労住協多肥南団地香川県高松市多肥上町 1971年 木造/プレハブ平屋 63戸 労住協畑田団地香川県綾歌郡綾川町畑田 1971年 プレハブ/木造平屋 165戸 労住協円座駅前団地香川県高松市円座町 1971年 プレハブ 15戸 労住協大的場団地香川県高松市浜ノ町 1971年 木造/プレハブ2階 150戸 団地内に第4~6ビル所在 労住協共同アパート香川県善通寺市 1971年 鉄筋2階 10戸 労住協郡家団地香川県丸亀市郡家町 1971年 木造/プレハブ平屋 72戸 労住協城山団地香川県坂出市府中町 1971年 木造/プレハブ平屋 72戸 労住協詫間団地香川県三豊市詫間町 1971年 木造/プレハブ平屋 101戸 労住協白鳥団地香川県東かがわ市白鳥 1971年 木造平屋 42戸 労住協鹿角団地香川県高松市鹿角町 1972年 木造平屋・2階 37戸 労住協塩江団地香川県高松市塩江町 1972年 自主建設 99戸 労住協土器団地香川県丸亀市土器町東一~三丁目
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団地
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UR 芝浦アイランド UR アクティ汐留 UR シーリアお台場三番街 - 旧住宅・都市整備公団、鹿島、超高層+ミーティングルーム、1996年 都営高輪一丁目アパート - 東京都建築局(1948年)公営住宅を建替え。積水ハウス、宮脇壇建築研究室、1994年 UR 汐路橋団地 - 海岸 市街地住宅 賃貸111 1963年 現存現潮路橋。譲渡返還 UR 鶴沢団地 - 広尾 男女単身 賃貸344 1960年 UR 羽沢団地 - 広尾、分譲32 1959年 UR 本芝団地 - 芝 市街地住宅 賃貸41 1957年 UR 田町駅前住宅 - 芝 市街地住宅 賃貸389 1966年 UR 田村町五丁目団地 - 西新橋 市街地住宅 賃貸10 1959年 西新橋三丁目に改称後建替え UR 赤坂仲ノ町団地 - 赤坂 市街地住宅 賃貸18 1959年 赤坂六丁目に改称後、駐車場 UR 溜池団地 - 赤坂 市街地住宅 賃貸84 1958年 現存赤坂一丁目に改称後、譲渡 UR 赤坂団地 - 赤坂、分譲60 女子単身 賃貸126 1959年 UR 白金台団地 - 白金、白金台町団地、分譲45 1958年 UR 芝白金団地 - 白金台、分譲96 1964年 UR 青山南町五丁目第二団地 - 南青山 市街地住宅 賃貸164 1964年 現存、南青山三丁目 UR 青山北町五丁目団地 - 北青山 市街地住宅 賃貸251 1963年 現存、北青山三丁目 UR 六本木団地 - 六本木 市街地住宅 賃貸19 1958年 UR 北日ヶ窪団地 - 六本木、分譲116 1958年 新シャルム浜松町 都営住宅田町 都営高輪一丁目アパート(積水ハウス、宮脇壇建築研究室、東京都、公営住宅建替え、高輪 1-15、1990 - 1993年) 都営高輪アパート(東京都建築局、東京都、1948年) 都営港南三丁目アパート(港南 3-1、1989年) 都営港南三丁目第2アパート(港南 3-9、1995年) 都営港南四丁目アパート(港南 4-5、1973 - 1975年) 都営港南四丁目第2アパート(港南 4-7、1993年) 都営港南四丁目第3アパート(港南 4-2、1998 - 2003年) 都営三田一丁目アパート(三田 1-3、1991年) 都営芝五丁目アパート(芝 5-18、1970 - 1971年) 都営芝浦四丁目第2アパート(芝浦 4-19、1971年) 都営芝浦四丁目アパート(芝浦 4-4、1970年) 都営赤坂五丁目アパート(赤坂 5-5、1975年) 都営台場一丁目アパート(台場 1-3、1991 - 1997年) 都営南青山一丁目第2アパート(南青山 1-18、1970年) 都営南青山一丁目アパート(南青山 1-3、2002年) 都営南青山一丁目アパート(南青山 1-3、1970年) 都営南麻布四丁目アパート(南麻布 4-3、1965 - 1966年) 都営北青山一丁目アパート(北青山 1-6、1993 - 1996年) 都営青山北町アパート(北青山 3-4、1957 - 1968年) 香川育英会東京学生寮
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団地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 08:53 UTC 版)
シーアイハイツ和光 - 「中央工業新倉工場」跡地の一部で「米軍新倉倉庫」(1971年(昭和46年)6月23日返還)となっていた地区を1972年(昭和47年)に伊藤忠商事が取得して再開発した団地である。 西大和団地 - 日本住宅公団が1965年(昭和40年)4月に開設。 諏訪原団地 - 「国立埼玉病院」の敷地の一部に日本住宅公団が1966年(昭和41年)10月に開設。
※この「団地」の解説は、「和光市駅」の解説の一部です。
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団地
「団地」の例文・使い方・用例・文例
- 団地
- 産業団地
- 地方自治体の出資による団地
- 彼らは政府にもっと住宅団地を増やすよう嘆願した
- 私は当時、バスで15分ぐらいの団地に住んでいました
- これは工業団地の被割当者のリストである。
- 東部工業団地に第二工場を設立しました。
- 団地.
- 大工業団地, 大コンビナート.
- 州[市, 町]営住宅団地[フラット].
- 住宅団地 (《主に米国で用いられる》 housing development).
- 過剰人口用住宅団地.
- 子供のころ, なぜ団地でペットを飼ってはいけないのかどうしても得心がいかなかった.
- サン・フェルナンド・バレーの住宅団地の一軒で育った少女
- 団地サイズという,住宅や家具などの寸法
- 団地などに設けられた上部に水槽を持つ塔
- 団地の住民
- 団地保険という火災保険
- 団地造林という,薪炭材確保のための植林
- 私の団地の近くには屋台がいくつかあって,さまざまな朝食を出しています。
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