あかず‐の‐ふみきり【開かずの踏(み)切(り)】
開かずの踏切
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/16 16:57 UTC 版)
開かずの踏切(あかずのふみきり)とは、遮断機が降りた状態が長時間続き、自動車や歩行者の通行が困難な踏切。運行本数が多い鉄道路線や、複数の線路が並走している区間で、特に駅近くが「開かずの踏切」となりやすい。
出典
- ^ 中山踏切 広島市東区中山西(地図 - Google マップ)
- ^ 政策・仕事>道路>踏切対策の推進>2.踏切道の課題:2-2 交通渋滞に関する課題「●ピーク時遮断時間が40分以上の開かずの踏切は、全国で500箇所以上存在しています。●遮断時間と交通量がともに多い自動車ボトルネック踏切や歩行者ボトルネック踏切も、全国で500箇所以上存在し、踏切が渋滞の起点となっている箇所も多数存在しています。(いずれもR3.9末時点)」国土交通省/2022年6月5日閲覧
- ^ “用語集”. 国土交通省. 2013年6月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月1日閲覧。
- ^ “踏切道の課題 < 踏切対策の推進”. 国土交通省. 2020年10月21日閲覧。
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- ^ 「高架化で急速に消える踏切」『NHK NEWS WEB ONLINE@首都圏』NHK、2012年10月22日。2020年10月21日閲覧。[リンク切れ]
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- ^ 「戸塚大踏切 アンダーパスは3月25日開通」『カナロコ』神奈川新聞社、2015年1月22日。2020年10月21日閲覧。
- ^ 「戸塚アンダーパス完成 地元住民が渡り初め」『カナロコ』神奈川新聞社、2015年3月25日。2020年10月21日閲覧。
- ^ 「名称は戸塚大踏切デッキ < 戸塚区版」『タウンニュース』タウンニュース社、2013年11月14日。2020年10月21日閲覧。
- ^ 開かずの踏切に「賢い踏切」導入へ JR南武線の向河原駅前 ラッシュ時に遮断短縮見込む 乗りものニュース(2022年5月20日)2022年6月5日閲覧
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- ^ 「5人死亡のJR京都線「開かずの踏切」、また死者」『朝日新聞デジタル』朝日新聞社、2008年8月5日。2015年12月5日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 高槻市議会事務局. “平成19年第4回定例会(第3日 9月26日) 岡本茂議員”. 高槻市議会会議録. 高槻市. 2015年12月5日閲覧。
- 1 開かずの踏切とは
- 2 開かずの踏切の概要
- 3 用語
- 4 歴史
- 5 脚注
開かずの踏切
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 15:17 UTC 版)
この駅の南北に踏切があり、それらの踏切はラッシュ時には最大40分間も遮断機が上がらない「開かずの踏切」と呼ばれている。また、待ちきれなくなった通行人が遮断機を越えて渡ろうとし事故になる回数も多い。2004年に阪和線美章園駅 - 我孫子町駅間の上り線(天王寺方面)が、2006年には下り線も同区間で高架化されたが、着工当時は関西本線貨物支線(阪和貨物線)に列車が走っていたため、杉本町駅の高架化は見送られた。
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開かずの踏切
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 18:01 UTC 版)
東横線では1980年代に輸送力増強が実施され、1982年(昭和57年)4月1日から急行列車で大形20 m車8両編成(それまで7両編成)、各駅停車で大形20 m車7両編成(それまで6両編成)運転が開始された。この時点で急行列車において、渋谷側先頭車1両のドアカット扱いが始まった。1986年(昭和61年)4月1日からは各駅停車でも大形20 m車8両編成の運転が開始された。 これは当駅渋谷寄りのホーム脇に踏切(大倉山3号踏切)があり、これと横浜方の急カーブに挟まれた当駅のホーム有効長は東横線の大形20 m車7両編成分の150 m弱しかなかった。そのため、大形20 m車8両編成の列車については渋谷側の先頭車(1号車)をドアカット扱いにし、踏切上にはみだして停車していた。日比谷線直通電車は18 m級車両のため、8両編成すべてがホーム内に停車可能であった。その上、朝夕などは急行を待避する各駅停車が4 - 5分ほど停車するため、ラッシュ時には1時間あたり50分程度は遮断竿が上がらず、駅の脇を通る一方通行道路は大渋滞し、この踏切は開かずの踏切と呼ばれていた。 ドアカット扱い解消のため、1989年(平成元年)12月に大倉山 - 菊名間連続立体交差事業(大倉山 - 菊名間踏切除却立体交差工事)に着手した。立体化するのは、同区間の環状2号線交差部から当駅にかけての延長776.8 mの区間である。工事にあたっては周辺は住宅街に囲まれて、仮線を敷設する用地を確保できないことから、仮線方式を使用しない「直上高架工法」(STRUM・ストラム・Shiftig Track Right Upper Method)により施工した。1991年(平成3年)10月19日終電後に線路を仮高架線に切り替える工事が行われ、翌日からは大倉山1号・2号踏切が除却された。 その後、仮設桁(STRUMでの立体化はあくまで仮高架である)から本設桁とする工事が行われ、1993年(平成5年)3月23日に当駅に隣接していた大倉山3号踏切を廃止、3月31日に当駅における大形20 m8両編成の渋谷方1両のドアカット扱いを終了、翌4月1日からドアカット扱いは解消された。代替として、歩行者用地下通路の新設と大倉山2号踏切跡(現在のサミットストア付近)の道路幅員を拡幅し、歩行者しか通行できなかった高架下を自動車が通過できるように改良した。 後年に、2013年(平成25年)3月16日に運行開始した東京メトロ副都心線との相互直通運転と優等列車の10両編成化に伴い、ホームが渋谷側へ2両分延伸された。
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開かずの踏切
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2005年3月15日には、東武伊勢崎線竹ノ塚駅南側の手動式踏切(いわゆる「開かずの踏切」のため手動式にしていた)にて、誤って遮断機を上げてしまい女性4名が列車にはねられ2名が死亡し2名が負傷した。踏切の閉鎖が長いため悪質な者は詰め所のドアを蹴ったり、警手に対して罵声を浴びせていたため、精神的圧迫を感じていた警手らは「一人でも多くの待ち時間を減らしたい」と考え、焦って踏切に駆け込んできた通行人に対して、違法であることを知りつつロックの解除を行った。(日本の鉄道事故 (2000年以降)#東武伊勢崎線竹ノ塚駅踏切死傷事故)このため、踏切は自動化に戻され、車両基地の関係で高架化ができなかった竹ノ塚駅付近の連続立体交差化が決まった(東武伊勢崎線竹ノ塚駅付近連続立体交差事業)。 2006年7月、東武東上線の池袋駅と北池袋駅間および埼京線の池袋駅と板橋駅間の開かずの踏切で東上線の池袋発志木行き下り普通列車に親子がはねられ、母親は死亡し子供は重傷を負った。この親子は遮断機が下りていた踏切をくぐった男性に続いて踏切内に進入した模様。この踏切は以前から遮断機が下りている状態での歩行者の横断が目立っていて、2001年(平成13年)にも男性が埼京線の列車にはねられる死亡事故が起きていることも明らかになっている。また、事故当日は併走する埼京線のダイヤが乱れ、70 - 80分間も踏切が開かない時間があった。 2007年2月6日には、東武東上線ときわ台駅構内で、女が自殺しようとしていると地域住民からの通報を受け、命がけで保護しようとしていた警視庁板橋警察署常盤台交番の50代の警察官が跳ねられ殉職した(東武東上線ときわ台駅構内死傷事故)。警察官は「止まってくれ、止まってくれ」と手を振って合図をしたが、事故を起こした列車は当駅を通過する急行列車でスピードが高く、緊急停止が間に合わなかった。同警察官は轢かれる前に身を挺して、女をプラットホーム下の退避スペースに押し込んだため、女は重傷を負ったものの救助された。また、この警察官は、交番から見える位置にあって交通量も多い「開かずの踏切」である現場付近の踏切に普段から気をかけ、一時停止をしない車を走って追いかけて取り締まったり、遮断が始まっても高齢者が残されていた場合に駆けつけるなどしていたため、そのような地道な姿と人柄を見ていた地域住民が同警察官が意識不明であった時から交番に集まって(事故当時は他の事件に出動していた)同僚を励まし、千羽鶴や見舞い品が山のように集まった。殉職後には同情した地域住民や全国から募金が集まり、常盤台交番付近に記念碑「誠の碑」が立てられた。なお、同駅のプラットホーム上には非常通報装置を押す駅員もおらず、踏切内に設置された列車に危険を知らせるセンサーも人を感知するタイプのものではなかった。
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開かずの踏切
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 14:22 UTC 版)
かつて、駅のすぐ北側には、名鉄名古屋本線・常滑線とJR東海道本線を含めた8本の線路をまたぐ踏切(JR東海御田踏切と名鉄神宮前1号踏切)があり、いずれの路線も本数が多いため開かずの踏切となっていた(特にJR東海側は通過列車に合わせて比較的長い遮断時間となる)。なお、歩行者は踏切横にある歩道橋の利用が可能であるが、利用者はあまり多くない実情があった。 遮断時間を可能な限り短縮するため、手動で遮断機を上げ下ろしする踏切となっており、更に踏切全体を3つに区切って別々に動かせるようになっていて、「全開」・「閉鎖」の他にその内の一部の踏切だけ上げられる「半開」があった。これは、自転車・歩行者のみが通行できるように遮断機を半分だけ上げるものである。しかし2007年、この踏切で2度にわたり「半開」状態で列車が進入・通過をする事案があった。列車は神宮前駅を発車した直後で速度が出ていなかった上、踏切を通過する歩行者や自転車がいなかったため一人も負傷者を出さなかったが、重大事故につながるインシデントであったことから、以下のような安全対策をとることになった。 1度目の事案の際には、遮断機の係員を1時間毎に交代するよう変更。 2度目の事案の際には、遮断機の上昇・下降を知らせる警報音の音量を上げたほか、神宮前駅のホームに遮断機の状態を確認する係員を2名配置。 2度目の事故発生後、名鉄は名古屋市と話し合いを進め高架線に切替えて踏切を撤去する意向を示していた。また、列車の誤通過を防ぐために1・2番線に速度超過検知用のATS線上子を多数設置した。しかし、安全対策もむなしく2008年11月に死亡事故が発生し(これ以前の2002年、これ以降の2009年などにも死亡事故が発生している)、中日新聞社会面でも大きく報道されるなど社会的影響もあった。 その後、この踏切は廃止が決定し、従来の歩道橋は廃止のうえ旧道路付近にエレベーター・スロープ付きの歩道橋を新設することが計画された。当初は2010年に完成する予定であったが延期になった後、市および名鉄とJRの協議がまとまり、2012年7月1日をもって踏切は廃止となった。 廃止の後、自転車が通行可能な歩道橋が整備され、2016年9月1日に暫定供用された。なお、踏切廃止後は車両の通行が不可能となったが自転車を除いて特段の代替路は整備されず、既存の道路(熱田陸橋・秋葉アンダーパス)を経由する必要がある。また、現存の歩道橋は事業の進捗に合わせて撤去される。 名鉄側(神宮前1号踏切) JR側(御田踏切) 踏切跡に新設された「みたこせんきょう」
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