中央線快速とは? わかりやすく解説

中央線快速

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/25 14:36 UTC 版)

中央線快速(ちゅうおうせんかいそく)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)の中央本線のうち、東京都千代田区東京駅から東京都八王子市高尾駅までの快速電車の運転系統の案内上および営業上の呼称である。路線図などの案内では山梨県大月市大月駅までとなっているものもある。駅ナンバリングで使われる路線記号はJC[注 2]


注釈

  1. ^ 中央線開業130年記念ラッピング
  2. ^ JR Chūō Line。青梅線五日市線も同じ。
  3. ^ Googleマップにおける中央緩行線など、わずかに港区を通るとする地図もある。
  4. ^ 通勤五方面作戦で線路別複々線の方式がとられたのは、工事のしやすさや、駅ホームのスペースを重視したためと考えられる。(曽根悟「都市鉄道における急行運転の技術」『鉄道ピクトリアル』710号 電気車研究会 p.10 - p.21)
  5. ^ 1988年12月改正以降の特別快速停車駅と同一。1986年11月当時の特別快速は国分寺駅を通過していた。
  6. ^ かつては平日深夜にも設定され、折り返しの快速(2017年3月3日までは中央特快)の送り込みを兼ねていた。
  7. ^ このため、御茶ノ水駅 - 三鷹駅間の複々線区間で、オレンジ帯のE233系同士が並走したり追い抜いたりするシーンも見られた。
  8. ^ 平日ダイヤにおいては、通常の快速と停車駅に差違はなかったが、三鷹駅 - 中野駅間で緩行線を走行するため、種別表示は無表示ではなく、「各駅停車」と表示した。この点で武蔵小金井駅以西発着の「快速」と異なる。
  9. ^ 高尾発22時台の2本。土曜・休日ダイヤでは、上りの快速の運転は武蔵小金井止まりの列車を除き高尾発21時台で終了するため、2本とも東京駅まで先着する。
  10. ^ 日本の普通列車における12両編成の列車はJR西日本の東海道・山陽本線の新快速・快速や、京浜急行電鉄の事例があるが、これらは(貫通編成ではなく)増結によるもので、貫通編成では山手線横須賀・総武快速線の11両が最長であったため、12両貫通編成はこれが初めてかつ最長となる見込み。
  11. ^ 下り電車は平日の東京駅 - 中野駅間、土休日の東京駅 - 吉祥寺駅間で「快速」を表示。上り電車は全区間に渡り表示する。
  12. ^ 2階建てグリーン車を連結している東海道線高崎線宇都宮線横須賀・総武快速線常磐線では、女性専用車が導入されていない。
  13. ^ 東海道線は東京駅から40.9 km先の戸塚駅以西、総武線は東京駅から43.4 km先の都賀駅以東、宇都宮線(東北線)は東京駅から28.7 km先のさいたま新都心駅以北、常磐線は東京駅から37.1 km先の我孫子駅以東が各駅停車区間となるが、中央線は東京駅から14.7 km先の中野駅以西が平日は各駅停車区間となっており、他路線よりも通過運転区間が短くなっている。なお、杉並3駅を通過したとしても、その次の吉祥寺駅までの距離は東京駅から22.5kmと一番短い。
  14. ^ 東海道線などは15両編成で運転しているが、編成が長くなると最小運転時隔も長くなる。古い例ではあるが1964年ごろ、中央線快速が101系で既に10両2分間隔運転で限界とされていたとき、東海道線では15両3分間隔が限界と考えられており、この両者の比較では編成を長くしても輸送力は増大させられない(小沢耕一「東京の通勤輸送の現状と問題点」『鉄道ピクトリアル』156号 電気車研究会 p.4 - p.6)。一方常磐線については15両で2分30秒間隔が可能という1985年頃の意見もある(曽根悟「理想の通勤車両」『鉄道ピクトリアル』451号 電気車研究会 p.20 - p.24)。ただし中央線快速ではそれ以外に車両留置線不足も深刻な問題である(向井慧文「1960年代の中央線の輸送状況」『鉄道ピクトリアル』796号 電気車研究会 p.56 - p.62)。
  15. ^ 立川市、武蔵野市、三鷹市、青梅市、昭島市、小金井市、国分寺市、国立市、八王子市、府中市、調布市、小平市、日野市、東村山市、福生市、東大和市、武蔵村山市、羽村市、あきる野市、西東京市、瑞穂町、日の出町、奥多摩町、檜原村の計20市3町1村

出典

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中央線快速

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国鉄201系電車」の記事における「中央線快速」の解説

中央快速線201系 電動幕式大型列車種別表示モハ201-24パンタ搭載車画像左側パンタグラフ 中央線快速用分割編成中間組込先頭車 H7編成さよなら運転2010年10月17日 上野原 保留車 クハ201-12014年11月8日 豊田車両センター 中央線快速では、1979年8月20日試作車営業運転開始された。1981年8月より量産車導入開始され昭和55年度第1次債務50両(4両編成5本・6両編成5本)、昭和55年度第2次債務50両(4両編成3本6両編成3本10両編成2本)、昭和55年度第3次債務100両(10両編成10本)の計200両が落成し三鷹電車区豊田電車区(現・豊田車両センター)に配置された。車体塗装色はオレンジバーミリオン朱色1号)である。 これにより103系101系置き換え進められ、中央線快速の103系中央・総武緩行線南武線101系置き換え転用され、1983年3月3日に中央線快速での運転を終了した101系1985年3月14日改正201系への置き換え完了し、中央線快速の201系統一完了した快速系列車と早朝・夜間東京駅発着各駅停車運用された。2008年3月14日までは富士急行大月線河口湖線にも乗り入れていた。富士急行線地上設備側の制約により、6両編成+4両編成による10両編成中の4両付属編成のみ乗り入れ乗り入れていた。2010年まで営業運転終了した後述)。 10単独編成(T編成)と6両+4両の分割可能編成H編成)の2種類編成があり、青梅線五日市線八高線拝島駅 - 高麗川駅間)と富士急行線への乗り入れの関係で運用分かれていた。2008年1月にT編成が、2010年10月H編成営業運転終了した2004年3月までの武蔵小金井電車区所属編成は、分割可能編成10単独編成とも白地文字編成使用していたが、豊田電車区(現・豊田車両センター)への移籍時に10単独編成黄緑地白文字編成交換した狭小限界トンネルのある中央本線高尾以西乗り入れ対応するため、1984年武蔵小金井電車区モハ201-161 - 163パンタグラフ折り畳み高さの小さ試作型のPS918形が装備され3月5日から7日にかけて甲府駅までの入線試運転行っている。翌1985年10月から臨時列車大月駅への乗り入れ開始された。 国鉄末期1986年11月1日ダイヤ改正より、定期列車としてへの大月駅への乗り入れ開始された。高尾以西への乗り入れ備えて分割対応編成パンタグラフがPS21形からPS24形(PS918形の量産版)に換装された。当初高尾駅分割併合の上基本6両編成のみが大月乗り入れていたが、後年になって高尾駅での分割併合行われなくなっている。 JR化後1988年12月1日ダイヤ改正により、青梅線青梅駅まで乗り入れる青梅特快」が設定され従来高尾方面特別快速が「中央特快となった1990年3月10日ダイヤ改正では、大月から富士急行乗り入れ河口湖駅までの直通運転開始された。1993年4月10日ダイヤ改正より、朝ラッシュ時途中国分寺 - 新宿間をノンストップ運転する通勤特快」が新設された。 1992年より、中央線編成先頭車停車駅通過防止装置設置が行われた。停車駅ホーム接近すると、表示灯点灯しアラームが鳴る。 1996年3月16日ダイヤ改正八高線八王子 - 高麗川間が電化され、中央線快速の201系による拝島 - 高麗川間への直通運転開始された。ラッシュ時東京 - 拝島間で五日市線直通列車併結し、拝島での分割併合により付属編成高麗川乗り入れた1997年10月12日発生した大月駅列車衝突事故では、大月駅通過中の特急スーパーあずさ13号E351系)に入換中の201系6両編成衝突し両方車両脱線した201系クハ200-116が復旧まで長期間使用できなくなり車両不足を補うため三鷹電車区中央・総武緩行線201系の1編成武蔵小金井電車区貸し出されオレンジ塗装変更の上使用されていた。 1997年12月ダイヤ改正高尾 - 大月間の初発電車201系使用されることとなり、武蔵小金井電車区分割編成8号車モハ201形の後位寄り霜取りパンタグラフ増設された。当初モハ201-24・87179185206の6両が対象で、菱形のPS24形が増設された。2001年度追加改造されモハ201-90は、シングルアーム式のPS35C形が増設されており、1両に菱形とシングルアーム式の両方搭載され唯一の車両となった。 T編成のPS21形パンタグラフは、降雪によるパンタグラフ降下対策として2000年よりシングルアーム式のPS35C形に換装された。これは、関東大雪となった1998年1月8日ダイヤの乱れ列車長時間停車した際に、重みパンタグラフが上がらなくなった車両続出したことを受けてへの対策である。このPS35C形への換装により、中央快速線201系全編成で高尾以西への乗り入れが可能となった当初101103系同様に先頭車に「特別快速」などの大型種別表示板を掲出していたが、中央線快速の201系統一完了により方向幕での種別表示完備されたことから1986年3月改正種別表示板の使用廃止した1987年5月からは差し込み式種別表示板が復活し先頭車ヘッドマーク受けが設置された。1992年からは1・10号車は電動幕式の種別表示器へと交換された。同年11月からはATS車上子保護する目的スカート設置開始されている。 分割可能編成連結部組成され先頭車には差し込み式種別表示設置されており、自動解結装置装備されている。クハ200-87は大月駅列車衝突事故被災車の代車として10両編成先頭立っていた時期があり、中間先頭車唯一電動幕式大型列車種別表示器が装備された。2005年以降、6+4編成H編成)の4・5号車列車種別表示撤去され編成があった。 2004年3月13日ダイヤ改正より、武蔵小金井電車区201系豊田電車区移管され、中央線快速の201系配置青梅・五日市線用も含めて豊田電車区集約された。豊田電車区2007年豊田車両センター改称されている。 2004年12月から2005年3月までにドアステッカー下部に「ひらくドアにちゅうい」ステッカー貼付された。 中央線快速運用では東京都から山梨県にまたがる長距離高速運転や日中走行する機会多く累積走行キロ伸び機器など老朽化が進むとともに電機子チョッパ制御保守部品の調達困難になった。中央快速線では2006年平成18年)よりE233系投入されることになり、同年12月26日よりE233系営業運転開始された。これに伴って運用離脱した201系は、主に中央本線篠ノ井線経由編成単位自力回送により長野総合車両センターへの廃車回送が行われた。 201系付属4両編成東京方なのに対しE233系高尾方に組成された。2007年3月18日ダイヤ改正によるE233系分割運用開始に伴い、共通運用となる201系分割編成一部付属編成高尾方とする編成替えが行われ、H編成7本を6+4から4+6に組み替えた。これらの編成は、3月下旬までにH1編成除いて編成番号振り直された。 組替対象外H編成ダイヤ改正をもって分割不可編成となり、3月下旬までにT編成編入された。貫通編成編成番号順次改称され大半編成が元の番号+100とされた(例・T1→T101)。 10貫通T32クハ201-58以下10両)・T130(クハ201-56以下10両)の2編成は、京葉線への転用により京葉車両センター転出した。 T110「2代目編成クハ201-117以下10両)は、2007年8月末に一旦長野回送後、翌9月1日全国新作花火競技大会での臨時列車使用され豊田戻らず廃車回送された。T116編成クハ201-54以下10両)は、サハ201-55を抜いた9両編成2007年9月廃車回送され、抜かれサハ201-55は209系サハ209-901・113系モハ113-1085とともに脱線試験使用された。 2007年11月回送されたT133編成クハ201-60以下10両)は、故障起こした2両(モハ201-141+モハ200-141)が青70編成クハ201-152以下6両)とともに先に回送され、残る8両は後日回送された。 2008年1月17日T112編成廃車回送をもって中央快速線10貫通編成消滅した。H1編成クハ201-1以下10両)は運用離脱後組替え2008年1月31日にトップナンバーを含まない6両編成廃車回送された。2008年6月19日、H1編成残った4両のうちクハ201-1を除く3両が、青梅・五日市線編成最後まで残った青3編成組み込まれ7両編成廃車回送された。 三鷹駅 - 立川駅間の連続立体化工事中は、武蔵小金井駅でのホームでの折返し不可能になったため、一時的に運用本数増やす必要が生じた。これに伴う予備車を確保するため、E233系投入完了後もH4(クハ201-107以下10両)・H7(クハ201-128以下10両)の2編成残存した。両編成とも6+4の10両編成であるが、分割せずに10固定運用使用された。 JR東日本八王子支社では、2010年2月1日を「201系の日」とし、同日より「中央線201系愛され30年キャンペーン開催された。キャンペーン同年3月31日まで展開され、期間中残存するH4・H7編成先頭部に「愛され30年」の記念ヘッドシールが貼り付けられた。 残存編成工事終了する2009年秋中央線での営業運転終了する予定であると東京新聞報道されていたが、最終的に2010年6月20日にH4編成が、10月17日にH7編成が、それぞれ長野総合車両センターへの廃車回送兼ねて中央本線豊田篠ノ井線松本行きさよなら運転行い本系列の運用終了したクハ201-1書類上で2020年令和2年10月1日現在も保留車となっている。 中央線快速用編成東京 青梅高尾大月10貫通編成(T編成号車1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 形クハ201(Tc) ◇モハ201(M) モハ200(M') サハ201(T)モハ201(M) モハ200(M') サハ201(T)モハ201(M) モハ200(M') クハ200(Tc') 搭載機器 CHOP MG,CP CHOP MG,CP CHOP MG,CP 車両重量32.6 t 41.7 t 41.5 t 30.6 t 41.7 t 41.5 t 30.6 t 41.7 t 41.5 t 32.6 t 4+6両分編成H編成号車1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 形クハ201(Tc) ◇モハ201(M) モハ200(M') クハ200(Tc') クハ201(Tc) ◇モハ201(M) モハ200(M') ◇モハ201(M) モハ200(M') クハ200(Tc') 搭載機器 CHOP MG,CP CHOP MG,CP CHOP MG,CP CHOPチョッパ制御装置MG電動発電機ブラシレスMG)、CP空気圧縮機 T編成パンタグラフ後年一部除いてシングルアーム式に換装されている。 一部H編成8号車では霜取り用のパンタグラフ増設されている。 車両重量量産車落成した時点もので、その後増備車で仕様変更により重量変更されている。量産車でも後年の改造などにより変更されている場合もある。 2007年3月以降H編成東京 青梅高尾大月号車1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 形クハ201(Tc) ◇モハ201(M) モハ200(M') ◇モハ201(M) モハ200(M') クハ200(Tc') クハ201(Tc) ◇モハ201(M) モハ200(M') クハ200(Tc')

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中央線快速

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国鉄101系電車」の記事における「中央線快速」の解説

中央線快速は国鉄初の新性能電車であるモハ90系最初投入線区であり、1957年12月より中央本線急行電車としてモハ90系試作車営業運転開始された。塗装オレンジバーミリオン朱色1号)となり、この塗装は後の103系201系車体色E233系帯色にも継承された。モハ90系1958年3月より量産車投入開始して増備続けられた。 当初編成基本8両編成付属2両編成で、最大10両編成の全電動車による運転が計画されていた。しかし全電動車10両編成では変電所許容量超えるため、試作車運転開始直後から限流値を280 Aほどに抑えられたとされており、当初より本来の加速性能落として運用する状況にあったその後性能試験結果モハ90系統一までは暫定的に基本編成付随車2両を挟んだ6M2Tの8両編成増備されることになり、将来電動車化を考慮した付随車としてサハ98形登場している。 1959年6月形式称号変更により、モハ90形サハ98形101系呼ばれるようになった1959年11月ダイヤ改正では101系8両基本編成青梅線乗り入れ開始されたが、変電所容量の関係で青梅線内では電動車1ユニット無動力として4M4Tで運転された。 101系10両編成で8M2Tの高い電動車比率であり、付随車将来電動車化が想定されていた。しかし電動車新造費用付随車よりも約1,000万円高く国鉄限られた予算の中で電動車の多い101系増備するのは割高大きな負担となった将来的101系統一されても変電所増強など多大な投資が必要で、将来輸送量増加にも見合わないことが分かり国鉄では101系電動車比率下げることが検討されるようになった101系主電動機性能では4M3Tが限界とされたため、10両編成で6M4Tとなるよう基本編成が4M3Tの7両、付属編成が2M1Tの3両となる編成への組み換え1960年行われた中央線急行電車1960年101系統一された。 1961年3月17日中央線急行電車快速電車呼称変更された。これは1960年新宿 - 松本間で急行料金要する気動車急行アルプス」の運行開始されたことにより、急行料金不要な速達列車区別するためである。同年3月20日には中央線国電区間の最西端である浅川駅高尾駅改称された。1961年投入101系には高尾以西狭小トンネル区間にも入線可能な低屋根車800番台含まれており、平日は中央線快速の運用入ったほか、休日新宿 - 甲府定期列車代走高尾 - 相模湖臨時列車相模湖臨)などに運用された。 中央線快速電車車両基地中野電車区三鷹電車区武蔵小金井電車区3区所に置かれていたが、輸送力増強のため1963年豊田駅西方車両基地開設され1966年11月10日には豊田電車区発足した中野電車区緩行線電車のみの所属となり、三鷹電車区地下鉄東西線直通301系中央東線普通列車用115系配置されるようになった1967年7月3日、中央線快速の東京 - 高尾間で特別快速の運転が開始された。運行開始当初前面窓内側に「特別快速」の小型表示版が掲出されたが、9月には大型ヘッドマーク変更された。この表示版・ヘッドマークには「特」と「快」の文字大きく書かれていたため、特別快速を「特快」と略す呼称定着した中央本線支線国分寺 - 東京競馬場前間を結ぶ下河原線では、日中閑散時間帯には旧性能車クモハ40形使用されていたが、朝夕ラッシュ時東京競馬場での競馬開催時には101系運用された。 青梅線では戦後1949年より中央線との直通運転が行われており、101系旧性能電車置き換え1960年代より氷川御嶽方面への直通運転列車使用されていた。1970年4月20日ダイヤ改正で春から秋の行楽シーズン休日運転される臨時特別快速設定され、翌1971年より新宿 - 氷川間が「おくたま」、新宿 - 御嶽間が「みたけ」の列車名となった1971年2月1日には青梅線氷川駅奥多摩駅改称されるとともに奥多摩 - 東京間の直通列車五日市線武蔵五日市 - 東京間の直通列車それぞれ運転を開始した1971年10月1日ダイヤ改正では「みたけ」1往復武蔵五日市発着編成拝島駅分割併合を行うとともに、翌1972年より五日市線直通列車に「あきかわ」の愛称が付くようになった同年7月以降は「おくたま」「みたけ」全列車が「あきかわ」と併結するようになった当初は濁らない「あきかわ」表記であったが、後に濁る表記の「あきがわ」に変更されている。 1972年10月ダイヤ改正では平日にも中央線青梅・五日市線直通する快速電車増発され、拝島駅分割併合が行われたほか、併結列車五日市線乗り入れ五日市線運用設定された。 1972年夏には101系試作冷房車投入されており、国鉄では103系試作冷房車1970年投入されていた山手線に次ぐ2番目の通勤冷房車投入線区となった。中央線快速の101系冷房車は主に特別快速運用された。 1973年4月武蔵野線府中本町 - 新松戸間で開業することになり、101系66両が1000番台改造され武蔵野線開業用に転用された。中央線快速には103系冷房車66両が豊田電車区投入されており、101系103系編入しサハ103形750番台組み込まれた。1973年7月103系投入では中央線快速の101系8両が関西本線電化開業用に転用され、同年9月鳳電車区転属した。1974年には103系3編成先頭車高運転台ATC準備車に差し換えられたが、101系への変化はなかった。 1977年南武線性能に伴い、中央線快速と赤羽線101系南武線転用されることになった三鷹電車区には京浜東北線から103系冷房車転入しており、モハ90系が初配置され三鷹電車区101系配置消滅した南武線支線除いて1978年101系統一されている。 1978年からは101系老朽置き換え目的とした103系新製投入開始され101系1979年に初の老朽廃車発生した103系高運転台非ATC車の103系新製投入され101系非冷房車直接置き換えたほか、101系冷房改造車が南武線101系非冷房車置き換え用に転出した例もあった。 1979年には電機子チョッパ制御採用した201系試作車三鷹電車区投入され同年8月20日より営業運転開始した201系1981年量産車登場しており、三鷹電車区同年10月に、豊田電車区1983年3月改正で中央線快速用編成201系統一された。101系武蔵小金井電車区残存したが、103系はこの改正101系よりも先に中央線快速から撤退している。 1982年からは武蔵小金井電車区にも201系の投入開始され、残る101系置き換え開始された。置き換えられ101系大半廃車になったが、1982年8月台風10号により関西本線王寺駅留置線冠水した101系廃車代替として101系54両が関西地区転用されており、そのうち16両が元中央線快速であった1983年9月25日をもって101系低屋根車運転されていた高尾 - 相模湖間の休日臨時列車の運転終了した。翌1984年5月6日には相模湖湖畔行われたコンサート観客輸送として高尾 - 相模湖間で101系10両編成臨時列車運転されており、101系高尾以西乗り入れる最後の運転となった1983年10月1日からは101系分割運用一部201系置き換えられ1984年2月1日ダイヤ改正分割運用全て201系になった。これにより101系青梅・五日市線乗り入れ終了し201系分割行わない10両編成と共通運となった。中央線快速用101系定期運用1985年3月13日をもって終了し、中央線快速は1985年3月ダイヤ改正201系統一された。 1985年4月29日には中央線快速101系さよなら運転が行われ、新宿 - 高尾間1往復での「さよなら電車」の運転をもって中央線快速用101系運用終了した

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