中央線快速
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/25 14:36 UTC 版)
中央線快速(ちゅうおうせんかいそく)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)の中央本線のうち、東京都千代田区の東京駅から東京都八王子市の高尾駅までの快速電車の運転系統の案内上および営業上の呼称である。路線図などの案内では山梨県大月市の大月駅までとなっているものもある。駅ナンバリングで使われる路線記号はJC[注 2]。
注釈
- ^ 中央線開業130年記念ラッピング
- ^ JR Chūō Line。青梅線、五日市線も同じ。
- ^ Googleマップにおける中央緩行線など、わずかに港区を通るとする地図もある。
- ^ 通勤五方面作戦で線路別複々線の方式がとられたのは、工事のしやすさや、駅ホームのスペースを重視したためと考えられる。(曽根悟「都市鉄道における急行運転の技術」『鉄道ピクトリアル』710号 電気車研究会 p.10 - p.21)
- ^ 1988年12月改正以降の特別快速停車駅と同一。1986年11月当時の特別快速は国分寺駅を通過していた。
- ^ かつては平日深夜にも設定され、折り返しの快速(2017年3月3日までは中央特快)の送り込みを兼ねていた。
- ^ このため、御茶ノ水駅 - 三鷹駅間の複々線区間で、オレンジ帯のE233系同士が並走したり追い抜いたりするシーンも見られた。
- ^ 平日ダイヤにおいては、通常の快速と停車駅に差違はなかったが、三鷹駅 - 中野駅間で緩行線を走行するため、種別表示は無表示ではなく、「各駅停車」と表示した。この点で武蔵小金井駅以西発着の「快速」と異なる。
- ^ 高尾発22時台の2本。土曜・休日ダイヤでは、上りの快速の運転は武蔵小金井止まりの列車を除き高尾発21時台で終了するため、2本とも東京駅まで先着する。
- ^ 日本の普通列車における12両編成の列車はJR西日本の東海道・山陽本線の新快速・快速や、京浜急行電鉄の事例があるが、これらは(貫通編成ではなく)増結によるもので、貫通編成では山手線と横須賀・総武快速線の11両が最長であったため、12両貫通編成はこれが初めてかつ最長となる見込み。
- ^ 下り電車は平日の東京駅 - 中野駅間、土休日の東京駅 - 吉祥寺駅間で「快速」を表示。上り電車は全区間に渡り表示する。
- ^ 2階建てグリーン車を連結している東海道線・高崎線・宇都宮線・横須賀・総武快速線・常磐線では、女性専用車が導入されていない。
- ^ 東海道線は東京駅から40.9 km先の戸塚駅以西、総武線は東京駅から43.4 km先の都賀駅以東、宇都宮線(東北線)は東京駅から28.7 km先のさいたま新都心駅以北、常磐線は東京駅から37.1 km先の我孫子駅以東が各駅停車区間となるが、中央線は東京駅から14.7 km先の中野駅以西が平日は各駅停車区間となっており、他路線よりも通過運転区間が短くなっている。なお、杉並3駅を通過したとしても、その次の吉祥寺駅までの距離は東京駅から22.5kmと一番短い。
- ^ 東海道線などは15両編成で運転しているが、編成が長くなると最小運転時隔も長くなる。古い例ではあるが1964年ごろ、中央線快速が101系で既に10両2分間隔運転で限界とされていたとき、東海道線では15両3分間隔が限界と考えられており、この両者の比較では編成を長くしても輸送力は増大させられない(小沢耕一「東京の通勤輸送の現状と問題点」『鉄道ピクトリアル』156号 電気車研究会 p.4 - p.6)。一方常磐線については15両で2分30秒間隔が可能という1985年頃の意見もある(曽根悟「理想の通勤車両」『鉄道ピクトリアル』451号 電気車研究会 p.20 - p.24)。ただし中央線快速ではそれ以外に車両留置線不足も深刻な問題である(向井慧文「1960年代の中央線の輸送状況」『鉄道ピクトリアル』796号 電気車研究会 p.56 - p.62)。
- ^ 立川市、武蔵野市、三鷹市、青梅市、昭島市、小金井市、国分寺市、国立市、八王子市、府中市、調布市、小平市、日野市、東村山市、福生市、東大和市、武蔵村山市、羽村市、あきる野市、西東京市、瑞穂町、日の出町、奥多摩町、檜原村の計20市3町1村
出典
- ^ 『2013年3月ダイヤ改正について』(PDF)(プレスリリース)東日本旅客鉄道、2012年12月21日 。2021年1月14日閲覧。
- ^ a b c “E233系1000番代/京浜東北に22日登場”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (2007年12月7日)
- ^ “東京の鉄道文化を決定づけた明治の決断 「外濠」が生み出した中央線”. 乗りものニュース. 2021年12月17日閲覧。
- ^ “中央線「立川まで複々線」はなぜできないのか | 通勤電車”. 東洋経済オンライン (2018年4月5日). 2021年12月16日閲覧。
- ^ 東京圏、3路線が混雑率190%超え - 鉄道チャンネル、2018年7月19日
- ^ 中央線カルチャーを愉しむなら、おススメは夜!いざ夜の社会科見学へ! - FRaU、2016年4月6日
- ^ 「中央線」はなぜ人を惹きつけるのか? ―中央線の持つ“魔力” - ダ・ヴィンチ、2015年4月18日
- ^ “中央線が好きだ。”. JR東日本八王子支社. 2012年7月3日閲覧。
- ^ “中央本線(関東エリア)の運行情報・運休情報”. JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社. JR東日本. 2022年10月6日閲覧。
- ^ “検索結果(中央本線の駅)”. JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社. JR東日本. 2022年10月6日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “時刻表 検索結果”. JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社. JR東日本. 2022年10月6日閲覧。
- ^ “JR東日本路線図” (PDF). JR東日本. 2022年10月6日閲覧。
- ^ 『鉄道ピクトリアル』No.796 電気車研究会 p.59。
- ^ 「中央線の電車増発」『中外商業新報』1925年7月1日夕刊(大正ニュース事典編纂委員会 『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p.475 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 「東京立川間、3両連結で16分間隔」『中外商業新報』1929年6月13日夕刊(昭和ニュース事典編纂委員会 『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編pp.444-445 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 1951年(昭和26年)4月14日日本国有鉄道公示第104号「中央本線三鷹停車場から武蔵野競技場前停車場に至る鉄道において運輸営業開始」
- ^ 1959年(昭和34年)10月26日日本国有鉄道公示第386号「中央本線三鷹・武蔵野競技場前間の運輸営業は廃止する件」
- ^ 「荻窪-三鷹間 二線高架、29日から使用」『交通新聞』交通協力会、1967年10月22日、3面。
- ^ 「JR年表」『JR気動車客車編成表 '92年版』ジェー・アール・アール、1992年7月1日、182頁。ISBN 4-88283-113-9。
- ^ a b c “今日から「特快」全停車 乗客数急増のJR国分寺駅”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 2. (1993年4月10日)
- ^ 「東京圏輸送管理システム(ATOS)の展開と更新」 (PDF) 『JR East Technical Review』No.36 Summer 2011、東日本旅客鉄道、p.64
- ^ 信号制御システムの開発概要 (PDF) - 東日本旅客鉄道
- ^ a b c RP2003-9 46-52頁「JR各社の快速運転状況 JR東日本 東京圏」
- ^ RF1984-3 31頁「国電中央線の問題個所」
- ^ a b c d RP2003-9 10-24頁「大都市圏での快速運転の発達 -国鉄時代を中心に-」
- ^ a b c d 『交通公社の時刻表』1987年4月号(復刻版) JTBパブリッシング
- ^ 2023年3月ダイヤ改正について(JR東日本八王子支社)2022年12月16日
- ^ 青梅~奥多摩“完全分離”ホリデー快速も 中央線系統ダイヤ改正 かいじ・あずさは延長も(乗りものニュース)2022年12月17日
- ^ a b RP2003-9 34-35頁「JR東日本 東京圏の「通勤快速」」
- ^ JTBパブリッシング『JTB時刻表』2019年3月号
- ^ 『国鉄監修 交通公社の時刻表』1985年3月号、pp.302-309
- ^ 「【特集】通勤ライナー - 首都圏の国鉄-JR 通勤ライナー運転変遷史」『鉄道ピクトリアル』第747号、電気車研究会、2004年6月、62-63頁。
- ^ “中央ライナー”,E351系による運転終了 - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2018年3月17日
- ^ 交通新聞社『JR時刻表』2018年8月号
- ^ “最混雑区間における混雑率(令和3年度)” (PDF). 国土交通省. p. 1 (2022年7月22日). 2022年7月24日閲覧。
- ^ 「都市交通年報」各年度版
- ^ “地域の復権―東京一極集中を越えて(昭和62年9月)”. 神奈川県 (1987年9月). 2015年1月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月10日閲覧。
- ^ JR東労組 はちおうじ 第179号 (PDF)
- ^ 中央快速線209系導入に伴う申し入れ JR東労組 八王子地本 2018年9月14日 (PDF)
- ^ 『鉄道ピクトリアル』No.796 電気車研究会 p.28 -p.29
- ^ 沢和哉『日本の鉄道ことはじめ』築地書館、1996年、95-97頁。ISBN 4-8067-5595-8。
- ^ “各駅の乗車人員”. 東日本旅客鉄道. 2023年10月10日閲覧。
- ^ 「中央線「西豊田駅」誘致事業断念決まる 日野市説明会開催へ」『八王子経済新聞』、2019年11月25日。2020年3月25日閲覧。
- ^ a b “荻窪物語”. 天沼8町会. 2021年12月2日閲覧。
- ^ “国鉄中央線快速電車の区内4駅無停車計画変更”. 杉並区議会だよりNo.12 - 杉並区立図書館蔵. (1969年1月14日)
- ^ “中央線土曜日休日ダイヤ化について”. 広報すぎなみ - 杉並区立図書館蔵. (1994年12月11日)
- ^ 例としては『鉄道ピクトリアル』No.796 電気車研究会 p.23
- ^ 『鉄道ファン』No.526 交友社 p.20
- ^ a b c JR中央線の速達性・利便性の向上 - 山梨県、2019年3月26日
- ^ “鉄道連続立体交差”. 武蔵野市 (2016年11月14日). 2016年11月15日閲覧。
- ^ ネットワーク信号システム - 東日本旅客鉄道
- ^ お詫び(インターネット・アーカイブ) - 東日本旅客鉄道
- ^ 山之内秀一郎 『JRはなぜ変われたか』 毎日新聞社、2008年、ISBN 978-4-620-31832-5。
- ^ a b c “中央線は立川まで複々線にできるか”. 日経クロステック. 2015年10月30日閲覧。
- ^ “既設鉄道の複々線化”. 東京都都市整備局. 2019年7月24日閲覧。
- ^ “令和6年度 国の予算編成に対する東京都の提案要求”. 東京都政策企画局. 2024年1月6日閲覧。
- ^ “中央線「三鷹~立川の複々線化」どうなってるの? ず~~っと凍結状態 東京都が“実現に向けた提案”も 乗りものニュース”. 乗りものニュース (2023年11月20日). 2024年2月7日閲覧。
- ^ “企画調整課 基地・渉外担当”. 福生市. 2019年7月24日閲覧。
- ^ “JR中央線三鷹駅立川駅間複々線化事業及び多摩都市モノレール延伸の促進に関する要望”. 武蔵村山市. 2024年1月6日閲覧。
- ^ “7957 JR中央線と多摩都市モノレールについて要望 - 井上信治(イノウエシンジ)”. 井上信治 (2023年3月29日). 2024年11月14日閲覧。
- ^ “平成29年度国の施策及び予算に関する提案・要望について”. 山梨県. 2019年7月24日閲覧。
- ^ “中央東線高速化促進広域期成同盟会”. 山梨県. 2019年7月24日閲覧。
- ^ “中央東線の高速化について”. 長野県. 2020年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月24日閲覧。
- ^ “はぎうだ光一オフィシャルwebsite”. はぎうだ光一事務所. 2019年7月24日閲覧。
- ^ “12分の挑戦 はぎうだ光一の永田町見聞録”. はぎうだ光一事務所 (2008年4月25日). 2024年2月7日閲覧。
- ^ “中央線(三鷹-立川間)複々線化事業 鈴木レオ 八王子のために獅子奮迅!!”. 鈴木玲央 (2008年7月25日). 2024年2月7日閲覧。
- ^ “東京三多摩地域に住む都民の利便と防災力を高めるため、中央線を複々線化しようー東京都が令和5年度予算で調査費”. 土屋正忠 (2023年1月28日). 2024年1月6日閲覧。
- ^ “中央線三鷹~立川間を複々線化するには、どのような仕組みを作るべきなのかー立川市で講演。高架化事業実現の経緯を踏まえて”. 土屋正忠 (2023年2月2日). 2024年1月6日閲覧。
- ^ “衆議院議員 井上信治の活動報告:7731 JR中央線を便利に”. 井上信治. 2024年1月6日閲覧。
- ^ “自由民主党 衆議院議員 小田原きよし公式サイト”. 小田原きよし. 2024年1月6日閲覧。
- ^ “鉄道網の計画的整備 東京五方面作戦のうち複々線化は、中央線だけ取り残されて三鷹までで止まっている ー中央線複々線事業促進のための国会議員の会”. 土屋正忠 (2022年10月29日). 2024年1月6日閲覧。
- ^ “7825 多摩地域の皆さんのために - 井上信治(イノウエシンジ)”. 井上信治 (2023年3月29日). 2024年2月3日閲覧。
- ^ “中央線複々線化PT - 松本洋平OfficialSite”. 松本洋平 (2023年3月29日). 2024年2月3日閲覧。
- ^ “新年度(令和5年度)スタート! 伊藤しょうこうのブログ”. 伊藤祥広 (2023年4月1日). 2024年2月3日閲覧。
- ^ a b 東京都環境局総務部 環境政策課. 事業計画の変更理由および変更内容 (PDF) (Report). 2021年6月9日閲覧。
- ^ 事業内容等変更届について (PDF) - 東京都環境局総務部 環境政策課、2021年6月26日閲覧。
- ^ 東日本旅客鉄道中央本線(三鷹 - 立川間)連続立体交差化及び複々線化事業 変更届 - 東京都環境局総務部 環境政策課、2021年6月9日閲覧。
- ^ “中央線の複々線化計画”. 武蔵野市議 川名ゆうじ blog. 川名ゆうじ. 2023年8月27日閲覧。
- ^ “JR東日本、中央線のグリーン車計画を延期”. 産経新聞. (2017年3月24日) 2017年3月24日閲覧。
- ^ 2018年(平成30年)9月1日付 JR東労組八王子機関紙「はちおうじ」第179号より
報道発表資料
- ^ JR中央線飯田橋駅ホームにおける抜本的な安全対策の着手について (PDF) - 2014年7月2日 東日本旅客鉄道 プレスリリース。2ページ目の図において、線路名を「中央急行線」としている。略称である「中急」は、変電所からの給電線やポイントと連動する信号機など至る所に見られる。
- ^ 中央快速線および青梅・五日市線に新型電車を導入! (PDF) - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2005年10月1日
- ^ a b c 2013年3月ダイヤ改正について (PDF) - 東日本旅客鉄道八王子支社プレスリリース 2012年12月21日
- ^ a b 2013年3月ダイヤ改正について (PDF) 東日本旅客鉄道 2012年12月15日
- ^ 『2019年3月 ダイヤ改正について』(PDF)(プレスリリース)東日本旅客鉄道、2018年12月13日、5・6頁。 オリジナルの2019年11月13日時点におけるアーカイブ 。2019年11月13日閲覧。
- ^ 『2020年3月ダイヤ改正について』(PDF)(プレスリリース)東日本旅客鉄道、2019年12月13日、6頁。 オリジナルの2019年12月13日時点におけるアーカイブ 。2019年12月13日閲覧。
- ^ 終電付近の一部列車運転取りやめについて (PDF) 東日本旅客鉄道 2021年1月13日
- ^ a b 2017年3月ダイヤ改正について (PDF) 東日本旅客鉄道八王子支社 2016年12月16日
- ^ 2010年12月ダイヤ改正について (PDF) - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2010年9月24日
- ^ 『2014年3月ダイヤ改正について』(PDF)(プレスリリース)東日本旅客鉄道、2013年12月20日 。
- ^ 『2020年3月ダイヤ改正について』(PDF)(プレスリリース)東日本旅客鉄道千葉支社、2019年12月13日 。2019年12月14日閲覧。
- ^ a b 中央快速線等へのグリーン車サービスの導入について (PDF) - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2015年2月3日
- ^ 「さよなら中央線201系」キャンペーン<第1弾>を開催します (PDF) - 東日本旅客鉄道八王子支社プレスリリース 2010年2月25日
- ^ 「さよなら中央線201系」キャンペーン<第2弾>を開催します (PDF) - 東日本旅客鉄道八王子支社プレスリリース 2010年6月17日
- ^ 中央線高架化工事に伴う踏切しゃ断時分の改善等について (PDF) - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2003年10月15日
- ^ a b “中央線快速等へのグリーン車サービス開始時期および車内トイレの設置について” (pdf). 東日本旅客鉄道 (2018年4月3日). 2023年11月29日閲覧。
- ^ 変革のスピードアップのための投資計画 ~2022 年度設備投資計画~ (PDF) - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2022年4月27日
新聞記事
- ^ “ATS-P 東京圏中心に導入 工事急ピッチ JR東日本”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 3. (1990年7月16日)
- ^ “JR中央線 『空前』の工事運休”. 朝日新聞(夕刊) (東京都: 朝日新聞社): p. 1. (2003年9月20日)
- ^ a b c d “中央線大混乱 JR高架化工事 配線ミス、復旧8時間遅れ”. 朝日新聞(朝刊) (東京都: 朝日新聞社): p. 1. (2003年9月29日)
- ^ JR中央線、11日始発から通常運転へ 影響50万人(インターネットアーカイブ)- 朝日新聞 2008年4月10日
- ^ 休講:亜大、ICU、一橋大がJR中央線火災で(インターネット・アーカイブ)- 毎日新聞 2008年4月10日
- ^ 中央線快速「運行ダイヤ」はこうして作られる - 2016年12月21日 東洋経済オンライン
- ^ “中央線トラブル 配線図自体に誤り”. 朝日新聞(夕刊) (東京都: 朝日新聞社): p. 14. (2003年10月7日)
- ^ a b JR中央線工事、8時間遅れ終了 配線ミスで信号故障(インターネット・アーカイブ)- 朝日新聞 2003年9月29日
- ^ “JR東日本発 「業者任せ」も一因”. 朝日新聞(朝刊) (東京都: 朝日新聞社): p. 29(第3社会). (2003年10月8日)
- ^ “高架化工事で踏切延長 人も車も立ち往生”. 日本経済新聞(朝刊) (東京都: 日本経済新聞社): p. 39(社会). (2003年10月11日)
- ^ 2004年7月21日、11月9日付け交通新聞
- ^ “中央線対策/JR、歩道橋2カ所新設/エレベーター付き”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 1. (2003-10-21(夕刊))
- ^ 2004年5月19日付け交通新聞
- ^ a b 国交省/東京圏の鉄道新設・延伸23計画の概算建設費試算/都心直結線は4400億円 - 日刊建設工業新聞(2016/10/21版 / 2017年10月30日閲覧)
中央線快速
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 04:55 UTC 版)
中央快速線201系 電動幕式大型列車種別表示器 モハ201-24霜取パンタ搭載車画像左側が霜取パンタグラフ 中央線快速用分割編成中間組込先頭車 H7編成さよなら運転2010年10月17日 上野原 保留車 クハ201-12014年11月8日 豊田車両センター 中央線快速では、1979年8月20日に試作車の営業運転が開始された。1981年8月より量産車の導入が開始され、昭和55年度第1次債務で50両(4両編成5本・6両編成5本)、昭和55年度第2次債務で50両(4両編成3本・6両編成3本・10両編成2本)、昭和55年度第3次債務で100両(10両編成10本)の計200両が落成し、三鷹電車区・豊田電車区(現・豊田車両センター)に配置された。車体塗装色はオレンジバーミリオン(朱色1号)である。 これにより103系と101系の置き換えが進められ、中央線快速の103系は中央・総武緩行線や南武線の101系置き換えに転用され、1983年3月3日に中央線快速での運転を終了した。101系は1985年3月14日改正で201系への置き換えを完了し、中央線快速の201系統一が完了した。 快速系列車と早朝・夜間の東京駅発着各駅停車で運用された。2008年3月14日までは富士急行大月線・河口湖線にも乗り入れていた。富士急行線の地上設備側の制約により、6両編成+4両編成による10両編成中の4両付属編成のみ乗り入れが乗り入れていた。2010年までに営業運転を終了した(後述)。 10両単独の編成(T編成)と6両+4両の分割可能編成(H編成)の2種類の編成があり、青梅線・五日市線・八高線(拝島駅 - 高麗川駅間)と富士急行線への乗り入れの関係で運用が分かれていた。2008年1月にT編成が、2010年10月にH編成が営業運転を終了した。2004年3月までの武蔵小金井電車区所属編成は、分割可能編成・10両単独編成とも白地赤文字の編成札を使用していたが、豊田電車区(現・豊田車両センター)への移籍時に10両単独編成は黄緑地白文字の編成札に交換した。 狭小限界トンネルのある中央本線高尾以西の乗り入れに対応するため、1984年に武蔵小金井電車区のモハ201-161 - 163にパンタグラフに折り畳み高さの小さい試作型のPS918形が装備され、3月5日から7日にかけて甲府駅までの入線試運転を行っている。翌1985年10月から臨時列車で大月駅への乗り入れが開始された。 国鉄末期の1986年11月1日のダイヤ改正より、定期列車としてへの大月駅への乗り入れが開始された。高尾以西への乗り入れに備えて、分割対応編成のパンタグラフがPS21形からPS24形(PS918形の量産版)に換装された。当初は高尾駅で分割併合の上で基本6両編成のみが大月に乗り入れていたが、後年になって高尾駅での分割併合は行われなくなっている。 JR化後の1988年12月1日のダイヤ改正により、青梅線の青梅駅まで乗り入れる「青梅特快」が設定され、従来の高尾方面の特別快速が「中央特快」となった。1990年3月10日のダイヤ改正では、大月から富士急行に乗り入れ、河口湖駅までの直通運転が開始された。1993年4月10日のダイヤ改正より、朝ラッシュ時に途中の国分寺 - 新宿間をノンストップで運転する「通勤特快」が新設された。 1992年より、中央線用編成の先頭車に停車駅通過防止装置の設置が行われた。停車駅のホームに接近すると、表示灯が点灯しアラームが鳴る。 1996年3月16日のダイヤ改正で八高線の八王子 - 高麗川間が電化され、中央線快速の201系による拝島 - 高麗川間への直通運転が開始された。ラッシュ時に東京 - 拝島間で五日市線直通列車と併結し、拝島での分割併合により付属編成が高麗川へ乗り入れた。 1997年10月12日に発生した大月駅列車衝突事故では、大月駅を通過中の特急「スーパーあずさ」13号(E351系)に入換中の201系6両編成が衝突し、両方の車両が脱線した。201系はクハ200-116が復旧まで長期間使用できなくなり、車両不足を補うため三鷹電車区の中央・総武緩行線用201系の1編成が武蔵小金井電車区に貸し出され、オレンジに塗装変更の上で使用されていた。 1997年12月のダイヤ改正で高尾 - 大月間の初発電車に201系が使用されることとなり、武蔵小金井電車区の分割編成の8号車モハ201形の後位寄りに霜取り用パンタグラフが増設された。当初はモハ201-24・87・179・185・206の6両が対象で、菱形のPS24形が増設された。2001年度に追加で改造されたモハ201-90は、シングルアーム式のPS35C形が増設されており、1両に菱形とシングルアーム式の両方が搭載される唯一の車両となった。 T編成のPS21形パンタグラフは、降雪によるパンタグラフ降下対策として2000年よりシングルアーム式のPS35C形に換装された。これは、関東で大雪となった1998年1月8日にダイヤの乱れで列車が長時間停車した際に、雪の重みでパンタグラフが上がらなくなった車両が続出したことを受けてへの対策である。このPS35C形への換装により、中央快速線の201系全編成で高尾以西への乗り入れが可能となった。 当初は101・103系と同様に、先頭車に「特別快速」などの大型種別表示板を掲出していたが、中央線快速の201系統一完了により方向幕での種別表示が完備されたことから1986年3月改正で種別表示板の使用を廃止した。1987年5月からは差し込み式の種別表示板が復活し、先頭車にヘッドマーク受けが設置された。1992年からは1・10号車は電動幕式の種別表示器へと交換された。同年11月からはATSの車上子を保護する目的でスカートの設置も開始されている。 分割可能編成の連結部に組成される先頭車には差し込み式の種別表示枠が設置されており、自動解結装置が装備されている。クハ200-87は大月駅列車衝突事故の被災車の代車として10両編成の先頭に立っていた時期があり、中間先頭車で唯一電動幕式大型列車種別表示器が装備された。2005年以降、6+4編成(H編成)の4・5号車の列車種別表示枠が撤去された編成があった。 2004年3月13日のダイヤ改正より、武蔵小金井電車区の201系が豊田電車区に移管され、中央線快速の201系の配置は青梅・五日市線用も含めて豊田電車区に集約された。豊田電車区は2007年に豊田車両センターに改称されている。 2004年12月から2005年3月までにドアステッカー下部に「ひらくドアにちゅうい」ステッカーが貼付された。 中央線快速運用では東京都から山梨県にまたがる長距離高速運転や日中も走行する機会が多く、累積走行キロの伸びや機器などの老朽化が進むとともに、電機子チョッパ制御の保守部品の調達も困難になった。中央快速線では2006年(平成18年)よりE233系が投入されることになり、同年12月26日よりE233系の営業運転が開始された。これに伴って運用を離脱した201系は、主に中央本線・篠ノ井線経由で編成単位の自力回送により長野総合車両センターへの廃車回送が行われた。 201系は付属4両編成が東京方なのに対し、E233系は高尾方に組成された。2007年3月18日のダイヤ改正によるE233系の分割運用の開始に伴い、共通運用となる201系の分割編成の一部で付属編成を高尾方とする編成替えが行われ、H編成7本を6+4から4+6に組み替えた。これらの編成は、3月下旬までにH1編成を除いて編成番号が振り直された。 組替対象外のH編成はダイヤ改正をもって分割不可能編成となり、3月下旬までにT編成に編入された。貫通編成の編成番号も順次改称され、大半の編成が元の番号+100とされた(例・T1→T101)。 10両貫通のT32(クハ201-58以下10両)・T130(クハ201-56以下10両)の2編成は、京葉線への転用により京葉車両センターへ転出した。 T110「2代目」編成(クハ201-117以下10両)は、2007年8月末に一旦長野へ回送後、翌9月1日の全国新作花火競技大会での臨時列車に使用され、豊田へ戻らずに廃車回送された。T116編成(クハ201-54以下10両)は、サハ201-55を抜いた9両編成で2007年9月に廃車回送され、抜かれたサハ201-55は209系サハ209-901・113系モハ113-1085とともに脱線試験に使用された。 2007年11月に回送されたT133編成(クハ201-60以下10両)は、故障を起こした2両(モハ201-141+モハ200-141)が青70編成(クハ201-152以下6両)とともに先に回送され、残る8両は後日回送された。 2008年1月17日のT112編成の廃車回送をもって、中央快速線の10両貫通編成が消滅した。H1編成(クハ201-1以下10両)は運用離脱後に組替え、2008年1月31日にトップナンバーを含まない6両編成で廃車回送された。2008年6月19日、H1編成で残った4両のうちクハ201-1を除く3両が、青梅・五日市線用編成で最後まで残った青3編成に組み込まれ、7両編成で廃車回送された。 三鷹駅 - 立川駅間の連続立体化工事中は、武蔵小金井駅でのホームでの折返しが不可能になったため、一時的に運用本数を増やす必要が生じた。これに伴う予備車を確保するため、E233系の投入完了後もH4(クハ201-107以下10両)・H7(クハ201-128以下10両)の2編成が残存した。両編成とも6+4の10両編成であるが、分割せずに10両固定運用で使用された。 JR東日本八王子支社では、2010年2月1日を「201系の日」とし、同日より「中央線201系・愛されて30年」キャンペーンが開催された。キャンペーンは同年3月31日まで展開され、期間中は残存するH4・H7編成の先頭部に「愛されて30年」の記念ヘッドシールが貼り付けられた。 残存編成も工事が終了する2009年秋に中央線での営業運転を終了する予定であると東京新聞で報道されていたが、最終的に2010年6月20日にH4編成が、10月17日にH7編成が、それぞれ長野総合車両センターへの廃車回送を兼ねて中央本線豊田発篠ノ井線松本行きのさよなら運転を行い、本系列の運用を終了した。 クハ201-1は書類上では2020年(令和2年)10月1日現在も保留車となっている。 中央線快速用編成 ← 東京 青梅・高尾・大月 → 10両貫通編成(T編成)号車1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 形式 クハ201(Tc) ◇モハ201(M) モハ200(M') サハ201(T) ◇モハ201(M) モハ200(M') サハ201(T) ◇モハ201(M) モハ200(M') クハ200(Tc') 搭載機器 CHOP MG,CP CHOP MG,CP CHOP MG,CP 車両重量32.6 t 41.7 t 41.5 t 30.6 t 41.7 t 41.5 t 30.6 t 41.7 t 41.5 t 32.6 t 4+6両分割編成(H編成)号車1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 形式 クハ201(Tc) ◇モハ201(M) モハ200(M') クハ200(Tc') クハ201(Tc) ◇モハ201(M) モハ200(M') ◇モハ201(M) モハ200(M') クハ200(Tc') 搭載機器 CHOP MG,CP CHOP MG,CP CHOP MG,CP CHOP:チョッパ制御装置、MG:電動発電機(ブラシレスMG)、CP:空気圧縮機 T編成のパンタグラフは後年に一部を除いてシングルアーム式に換装されている。 一部のH編成8号車では霜取り用のパンタグラフが増設されている。 車両重量は量産車が落成した時点もので、その後の増備車では仕様変更により重量が変更されている。量産車でも後年の改造などにより変更されている場合もある。 2007年3月以降のH編成 ← 東京 青梅・高尾・大月 → 号車1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 形式 クハ201(Tc) ◇モハ201(M) モハ200(M') ◇モハ201(M) モハ200(M') クハ200(Tc') クハ201(Tc) ◇モハ201(M) モハ200(M') クハ200(Tc')
※この「中央線快速」の解説は、「国鉄201系電車」の解説の一部です。
「中央線快速」を含む「国鉄201系電車」の記事については、「国鉄201系電車」の概要を参照ください。
中央線快速
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 04:24 UTC 版)
中央線快速は国鉄初の新性能電車であるモハ90系の最初の投入線区であり、1957年12月より中央本線の急行電車としてモハ90系試作車の営業運転が開始された。塗装はオレンジバーミリオン(朱色1号)となり、この塗装は後の103系、201系の車体色やE233系の帯色にも継承された。モハ90系は1958年3月より量産車の投入を開始して、増備が続けられた。 当初の編成は基本8両編成と付属2両編成で、最大10両編成の全電動車による運転が計画されていた。しかし全電動車10両編成では変電所の許容量を超えるため、試作車の運転開始直後から限流値を280 Aほどに抑えられたとされており、当初より本来の加速性能を落として運用する状況にあった。その後の性能試験の結果、モハ90系統一までは暫定的に基本編成に付随車2両を挟んだ6M2Tの8両編成で増備されることになり、将来の電動車化を考慮した付随車としてサハ98形が登場している。 1959年6月の形式称号変更により、モハ90形・サハ98形は101系と呼ばれるようになった。1959年11月のダイヤ改正では101系8両基本編成の青梅線乗り入れが開始されたが、変電所容量の関係で青梅線内では電動車1ユニットを無動力として4M4Tで運転された。 101系は10両編成で8M2Tの高い電動車比率であり、付随車も将来の電動車化が想定されていた。しかし電動車の新造費用は付随車よりも約1,000万円高く、国鉄の限られた予算の中で電動車の多い101系を増備するのは割高で大きな負担となった。将来的に101系に統一されても変電所の増強など多大な投資が必要で、将来の輸送量増加にも見合わないことが分かり、国鉄では101系の電動車比率を下げることが検討されるようになった。101系の主電動機性能では4M3Tが限界とされたため、10両編成で6M4Tとなるよう基本編成が4M3Tの7両、付属編成が2M1Tの3両となる編成への組み換えが1960年に行われた。中央線急行電車は1960年に101系で統一された。 1961年3月17日、中央線急行電車は快速電車の呼称に変更された。これは1960年に新宿 - 松本間で急行料金を要する気動車急行「アルプス」の運行が開始されたことにより、急行料金が不要な速達列車を区別するためである。同年3月20日には中央線国電区間の最西端である浅川駅が高尾駅に改称された。1961年投入の101系には高尾以西の狭小トンネル区間にも入線可能な低屋根車800番台も含まれており、平日は中央線快速の運用に入ったほか、休日は新宿 - 甲府間定期列車の代走や高尾 - 相模湖間臨時列車(相模湖臨)などに運用された。 中央線快速電車の車両基地は中野電車区・三鷹電車区・武蔵小金井電車区の3区所に置かれていたが、輸送力増強のため1963年に豊田駅西方に車両基地が開設され、1966年11月10日には豊田電車区が発足した。中野電車区は緩行線電車のみの所属となり、三鷹電車区は地下鉄東西線直通用301系や中央東線普通列車用115系も配置されるようになった。 1967年7月3日、中央線快速の東京 - 高尾間で特別快速の運転が開始された。運行開始当初は前面窓の内側に「特別快速」の小型表示版が掲出されたが、9月には大型のヘッドマークに変更された。この表示版・ヘッドマークには「特」と「快」の文字が大きく書かれていたため、特別快速を「特快」と略す呼称が定着した。 中央本線の支線で国分寺 - 東京競馬場前間を結ぶ下河原線では、日中の閑散時間帯には旧性能車のクモハ40形が使用されていたが、朝夕のラッシュ時や東京競馬場での競馬開催時には101系が運用された。 青梅線では戦後の1949年より中央線との直通運転が行われており、101系も旧性能電車の置き換えで1960年代より氷川・御嶽方面への直通運転列車に使用されていた。1970年4月20日のダイヤ改正で春から秋の行楽シーズン休日に運転される臨時特別快速が設定され、翌1971年より新宿 - 氷川間が「おくたま」、新宿 - 御嶽間が「みたけ」の列車名となった。 1971年2月1日には青梅線の氷川駅が奥多摩駅へ改称されるとともに、奥多摩 - 東京間の直通列車と五日市線の武蔵五日市 - 東京間の直通列車がそれぞれ運転を開始した。1971年10月1日のダイヤ改正では「みたけ」1往復が武蔵五日市発着編成と拝島駅で分割併合を行うとともに、翌1972年より五日市線直通列車に「あきかわ」の愛称が付くようになった。同年7月以降は「おくたま」「みたけ」全列車が「あきかわ」と併結するようになった。当初は濁らない「あきかわ」表記であったが、後に濁る表記の「あきがわ」に変更されている。 1972年10月のダイヤ改正では平日にも中央線と青梅・五日市線を直通する快速電車が増発され、拝島駅で分割併合が行われたほか、併結列車の五日市線乗り入れや五日市線内運用も設定された。 1972年夏には101系の試作冷房車が投入されており、国鉄では103系試作冷房車が1970年に投入されていた山手線に次ぐ2番目の通勤冷房車投入線区となった。中央線快速の101系冷房車は主に特別快速で運用された。 1973年4月に武蔵野線が府中本町 - 新松戸間で開業することになり、101系66両が1000番台に改造されて武蔵野線開業用に転用された。中央線快速には103系冷房車66両が豊田電車区に投入されており、101系を103系に編入したサハ103形750番台が組み込まれた。1973年7月の103系投入では中央線快速の101系8両が関西本線電化開業用に転用され、同年9月に鳳電車区へ転属した。1974年には103系3編成で先頭車が高運転台ATC準備車に差し換えられたが、101系への変化はなかった。 1977年の南武線新性能化に伴い、中央線快速と赤羽線の101系が南武線に転用されることになった。三鷹電車区には京浜東北線から103系冷房車が転入しており、モハ90系が初配置された三鷹電車区の101系の配置は消滅した。南武線は支線を除いて1978年に101系に統一されている。 1978年からは101系の老朽置き換えを目的とした103系の新製投入が開始され、101系は1979年に初の老朽廃車が発生した。103系は高運転台非ATC車の103系も新製投入され、101系非冷房車を直接置き換えたほか、101系冷房改造車が南武線の101系非冷房車置き換え用に転出した例もあった。 1979年には電機子チョッパ制御を採用した201系の試作車が三鷹電車区に投入され、同年8月20日より営業運転を開始した。201系は1981年に量産車が登場しており、三鷹電車区は同年10月に、豊田電車区は1983年3月改正で中央線快速用編成が201系に統一された。101系は武蔵小金井電車区に残存したが、103系はこの改正で101系よりも先に中央線快速から撤退している。 1982年からは武蔵小金井電車区にも201系の投入が開始され、残る101系の置き換えが開始された。置き換えられた101系は大半が廃車になったが、1982年8月の台風10号により関西本線王寺駅の留置線で冠水した101系の廃車代替として101系54両が関西地区に転用されており、そのうち16両が元中央線快速用であった。 1983年9月25日をもって、101系低屋根車で運転されていた高尾 - 相模湖間の休日臨時列車の運転を終了した。翌1984年5月6日には相模湖湖畔で行われたコンサートの観客輸送として高尾 - 相模湖間で101系10両編成の臨時列車が運転されており、101系が高尾以西へ乗り入れる最後の運転となった。 1983年10月1日からは101系の分割運用の一部が201系に置き換えられ、1984年2月1日のダイヤ改正で分割運用が全て201系になった。これにより101系は青梅・五日市線の乗り入れを終了し、201系の分割を行わない10両編成と共通運用となった。中央線快速用101系の定期運用は1985年3月13日をもって終了し、中央線快速は1985年3月のダイヤ改正で201系に統一された。 1985年4月29日には中央線快速101系のさよなら運転が行われ、新宿 - 高尾間1往復での「さよなら電車」の運転をもって中央線快速用101系の運用は終了した。
※この「中央線快速」の解説は、「国鉄101系電車」の解説の一部です。
「中央線快速」を含む「国鉄101系電車」の記事については、「国鉄101系電車」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 中央線快速のページへのリンク