通勤五方面作戦とは? わかりやすく解説

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通勤五方面作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/30 15:17 UTC 版)

通勤五方面作戦(つうきんごほうめんさくせん)は、1965年昭和40年)に日本国有鉄道(国鉄)が同年度を初年度とする第3次長期計画を策定、この計画は1971年(昭和46年)度までの7年間にわたる長期計画で、それまで東海道新幹線などの幹線系路線の建設や輸送力増強に重点が置かれ予算が圧迫されて遅れをとっていた、都市間旅客輸送、長距離貨物輸送、大都市通勤輸送力増強を一気に遂行するようにされた計画で、この中の大都市通勤輸送力増強、特に、首都圏の国鉄路線のうち、東京都心への輸送を担っている東海道本線横須賀線中央本線高崎線東北本線常磐線総武本線、これら各路線を複々線化するなどして抜本的な輸送力増強策を計画・実行を目指したプロジェクトの通称である。「通勤五方面作戦」と呼ばれる所以は、各線が東京南西から時計回りに放射状に5方面へ延びていることからであり、別名「東京通勤五方面作戦」ともいわれる[1][2]


注釈

  1. ^ 鶴見事故後の1965年(昭和40年)に策定した、1965年度を初年度とした第三次長期計画の総予算が2兆9700億円である事実はよく文献にも載っていることだが、この記事の時点で3兆円という数値が出ている。なお、この時点で第二次五カ年計画の3年目の秋を迎えていたが、目標に対して40%程度しか実現できていなかった。このため、第二次五カ年計画は4年で打ち切られた。
  2. ^ 1965年当時の運行区間は御茶ノ水駅 - 中野駅間であるが、五方面作戦にはこの区間の混雑率を低下させる内容は含まれていない(むしろ快速線からの転移で上昇する)。なお、1966年には営団地下鉄東西線高田馬場駅 - 中野駅間が開業している。
  3. ^ 五方面作戦において、この区間の混雑率を低下させる内容は新川崎駅の設置のみである。なお1971年には京王相模原線京王多摩川駅 - 京王よみうりランド駅間が、1977年には東急新玉川線(現在の東急田園都市線)の渋谷駅 - 二子玉川駅間が、それぞれ開業している。
  4. ^ 最も多いのは平日8時台の29本(平日新宿駅基準)で平均2分間隔である。
  5. ^ さいたま車両センター出入口に設置されている京浜東北線南行を横断する私道上に設置された踏切は除く。
  6. ^ 東海道新幹線の開業によってほとんどの長距離旅客列車が新幹線に移行したことから、東京口の東海道在来線は特急や急行などの長距離列車の廃止によって空いた分を通勤輸送に振り向けることが可能になり、それも東海道線東京口の通勤輸送力増強には大いに役立っている。
  7. ^ 通勤定期62億円、通学定期273億円、学生割引27億円、貨物政策等級44億円、暫定割引21億円、特別措置割引34億円、新聞雑誌特別扱51億円。
  8. ^ 首都圏で存在しない新快速の設定や、急行型電車をしのぐアコモデーションである117系の投入など。
  9. ^ 種村直樹『ローカル線の旅』日本交通公社、1981年、p103。勝田線の1977 - 1979年を平均した1日1kmあたりの利用客は840人で、住民の多い福岡近郊であるにもかかわらずそのような状況を招いたのは、本文に記したような少ない本数で「沿線の用務客輸送掘り起こしを怠った結果だろう」と種村は指摘している。

出典

  1. ^ 佐藤信之編「Ⅰ 総論 鉄道プロジェクトの制度 第1章 戦後の都市鉄道整備の概要 2.相次ぐ大規模投資-昭和40年代」『鉄道ピクトリアル 東京圏都市鉄道プロジェクト』2013年7月号別冊、電気車研究会、2013年7月、11 - 12頁。 
  2. ^ 山田亮「横須賀線と総武快速線-通勤5方面作戦がもたらした異なる沿線文化同士の直通運転- 難航する東海道線複線化」『鉄道ピクトリアル 【特集】 横須賀・総武快速線』2018年3月号 、電気車研究会、2018年3月、13 - 14頁。 
  3. ^ 「線路増設を促進 国鉄の安全策 石田総裁談」『読売新聞』1963年11月16日 朝刊1面
  4. ^ 「広報 あすの国鉄づくり 通勤者の安全守る」『読売新聞』1965年10月30日 朝刊6面
  5. ^ 近藤太郎「国鉄再生の基盤 通勤五方面作戦の総決算について」『運輸と経済』1983年3月 p60
  6. ^ 近藤太郎「国鉄再生の基盤 通勤五方面作戦の総決算について」『運輸と経済』1983年3月 p61
  7. ^ 近藤太郎「国鉄再生の基盤 通勤五方面作戦の総決算について」『運輸と経済』1983年3月P57
    著者は投稿当時日本国有鉄道首都圏本部投資管理室長
  8. ^ a b 「【特集】東海道本線今昔 - 東海道本線 線路改良の記録」『鉄道ピクトリアル』第751号、電気車研究会、2004年9月、pp. 10-23。 
  9. ^ 大宮市史調査報告書 第1集 大宮市歴史年表. 大宮市(現・さいたま市)企画財政部統計資料課. (1997年3月28日) 
  10. ^ 「国鉄、通勤輸送計画繰上げ」『読売新聞』1966年11月10日朝刊1面
  11. ^ JR東海の葛西敬之氏が国鉄改革を行った真の理由、労使問題以上の大問題とは”. ダイヤモンド・オンライン (2022年6月13日). 2023年12月16日閲覧。
  12. ^ 葛西敬之『未完の国鉄改革』第1章P22
  13. ^ 小倉要「国鉄営業の改善」『政策月報』1970年10月P42-43
  14. ^ 一例としては森谷英樹『私鉄運賃の研究』
  15. ^ 岩波映画、1970年
  16. ^ 『日本経済新聞』1967年12月6日
  17. ^ 山本卓明「首都圏における高速鉄道網建設の効果」『JREA』1968年9月
    塚本廣幸「首都圏高速鉄道網建設のための路線選定方法」『交通技術』1969年3月
  18. ^ 馬場知巳「通勤新幹線は再検討を要す」『運輸調査月報』1968年1・2月合併号
  19. ^ 芝逸朗「国鉄通勤輸送のビジョン」『運輸と経済』1972年10月
    著者は当時国鉄旅客局開発企画化総括補佐


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