青梅短絡線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 17:07 UTC 版)
五日市鉄道の拝島駅 - 立川駅間の旅客線の一部と、ともに浅野財閥系列であった青梅電気鉄道と南武鉄道を立川駅において国鉄を介さずに貨物列車を直通させるために敷設したものである。連絡線自体は、当初五日市鉄道が建設しようとしたが、申請した敷設免許がなかなか交付されず、結局は南武鉄道が完成させた。 1930年(昭和5年)7月13日:五日市鉄道が、立川駅 - 武蔵上ノ原駅間 (0.8km) を立川駅 - 拝島駅間の旅客線の一部として開業。 1931年(昭和6年)11月15日:南武鉄道貨物支線 立川駅 - 武蔵上ノ原駅 - 西立川駅間 (2.1km) が開業(立川駅 - 武蔵上ノ原駅間 (0.9km) は五日市鉄道との二重線籍)。 1940年(昭和15年)8月17日:南武鉄道貨物支線休止。 9月1日:休止中の南武鉄道貨物支線の起点を立川駅から武蔵上ノ原駅に変更 (-0.9km) 。 10月3日:五日市鉄道は南武鉄道に合併し同社五日市線となる。 1944年(昭和19年)4月1日:国により買収・国有化され立川駅 - 武蔵上ノ原駅間 (0.8km) は五日市線となる。休止中の貨物支線、武蔵上ノ原 - 西立川間 (1.2km) は青梅線に編入されたうえで、(営業)廃止。 10月11日:五日市線の立川駅 - 武蔵上ノ原駅 - 拝島駅間を不要不急路線として休止(実質廃止)。ただし、立川駅 - 武蔵上ノ原駅間は青梅線の渡り線として存続され、立川駅 - 武蔵上ノ原駅(廃止) - 西立川駅間という現在の「青梅短絡線」の形ができ上がる。 1950年(昭和25年)10月1日:夕方に東京駅→青梅駅間(下り)で直通電車運転開始。 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道が継承。日本貨物鉄道が第2種鉄道事業者となる。 1998年(平成10年)8月13日:石灰石輸送貨物列車がこの日限りで運転終了。
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青梅短絡線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 09:04 UTC 版)
立川駅以西の中央線と平面交差せずに同線下り線および南武線が青梅線と連絡するために立川駅から西立川駅まで連絡線が設置されている。営業キロは設定されておらず、時刻表にも載っていない。青梅線の渡り線の扱いで、「青梅連絡線」や、JRでは「青梅第三線」と呼称されていたが、現在では「青梅短絡線」が正式名称である。「短絡線」と呼ばれているが、本線より約200m遠回りである。
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