現代都市
現代都市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 05:51 UTC 版)
ハニアの新市街では、多くの地元住民が生活し働いている。旧市街より伝統的な印象は薄れるが、いまも歴史的関心を引く美しい地区である。新市街の最古の地区は、18世紀初頭につくられたネア・ホラ(ニュー・タウンの意味)である。これは旧市街の西端の先である。現在も成長する地区だが、非常に美しい地区でもあり、狭い古い路地が小さな漁港へとつながっている。同時期に、ハレパ地区は市の東部へ伸び始め、地元貴族のための住宅地となった。地区の一部の歴史的建造物(外国がハニアにおいた旧大使館も含む)は20世紀に破壊されたか打ち捨てられたままだった。最近、残った建造物に対し修繕を施そうという関心が見られている。 地区にあるその他の歴史的建造物は、エレフテリオス・ヴェニゼロス邸(1876年-1880年建設)、旧フランス人学校(現在クレタ技術大学が所有)、アギア・マグダリニ教会(1901年-1903年)、クレタ総督宮殿(1882年建設。クレタ総督ゲオルギオス王子が暮らした)、エヴァンゲリストリア教会(1908年-1923年)である。ハレパのマリーナ地区の一部がタバカリアと呼ばれ、古い製革業者のユニークな建築複合物がある。コウム・カピ(最初ヴェネツィア人たちは『砂の門』を意味するサッビオナーラと呼んだ。ギリシャ語で訳すとコウム・カピとなる)は旧市街の東部にある市壁の先にある。これは、市壁の外に定住した初めての場所である。最初、ここはオスマン帝国領時代の終わりに実際移り住んだ北アフリカ出身のベドウィン集団、ハリコテス(Halikoutes)の住居だった。現在、この場所には多くの流行に乗ったカフェ、バー、レストランが絵になる砂浜を前に並び、成長著しい場所である。 町の現代部分の古い地区であると以前は名前が挙げられていた場所を離れれば、20世紀の間に数カ所の新たな住宅地、アギオス・イオアニス、コウムベス、レンタリアナなどが成長した。市の中心部の一部(最大ではない)は、色彩豊かな中程度の高さの建物が占め、1950年代から1970年代の典型的なギリシャの都市化時代の様相である。しかし、美しい新古典主義建築の建物が一部、ハニアの東地区、中心部を取り巻く近郊にあり、絵のように美しい。中心地区の設計は非常に優れ、良質の公園とスポーツのグラウンド、ヴェニゼロス・スタジアム、水泳プールがある。屋内市場アゴラはマルセイユの市場を元にした大規模な建物で、旧市街の一角を占め、地元住民と観光客に人気がある。新興の都市区域は裁判所(Dikastiria、19世紀後半完成)、市立の庭園(Kipos、1870年)、庭園の時計塔(Roloi、1924年-1927年建設)、主教邸宅(Despotiko、19世紀初頭建設)、マノウソス・コウンドウロスの家(1909年建設)、文化センター(Pnevmatiko Kentro)がある。ハニア中心部最大の広場は、市場広場(Agora)、裁判所広場、1866年広場である。 最近20年間で、ハニア住民が郊外へ出る傾向、同様に主としてアクロティリ半島など発展途上の場所へ流出する動きがみられた。 ディモクラティアス通りの時計塔 主教邸宅 アギア・マグダリニ教会 マノウソス・コウンドウロスの家
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