その他の歴史的建造物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 08:17 UTC 版)
「イトシュタイン」の記事における「その他の歴史的建造物」の解説
旧市街中核部は小さい。多くの部分に絵が描かれ、装飾が施された木組み建築は、ヘッセン=フランケンの木組み建築様式にライン地方の影響が加わっている。旧市街中核部は、高さ約 50 m のヘクセン塔がある城塞地区とヘールホールとの間に位置している。 ナッサウ家城塞の楼門のすぐ前、ケーニヒ=アドルフ広場の上に1698年に建設された市庁舎がある。この建物は、旧市街を城塞から分離する堀の真上に建つ極めてユニークなものである。特筆すべきはそのグロッケンシュピールである。市庁舎は1928年に落石によって破壊されたが、1932年から1934年に再建された。 ケーニヒ=アドルフ広場は、立派な木組み建築で継ぎ目なく囲まれている。その多くは1600年頃に建設されたものである。市庁舎の左手に、数年前に修復されたシーフェス・ハウスがある。この建物は1727年に民兵団司令官ニコライによって建設された。ウニオンス教会へ向かう広場の出口に1615年に建設された装飾豊かなキリンガーハウスがある。この建物は1987年から博物館および観光局として利用されている。この建物は、文化史の上で、ドイツで最も重要な木組み建築の一つとされている。 旧市街中核部の他の部分も、16世紀から17世紀の木組み建築や邸宅が建ち並んでいる。その一部には大規模な修復がなされた。特に、ケーニヒ=アドルフ広場から市街地に出て、古い市壁があるヘルホーフが建つ高台に通じるオーバーガッセ沿いの坂道が顕著である。その麓付近に、16世紀にシュトックハイム家の屋敷として建てられたシュトックハイマー・ホーフがある。この家系が断絶した後、1768年から1776年にカルム家の所有となり、このためこの土地は現在カルメンホーフと呼ばれている。この木組み建築は2005年まで SPZ カルメンホーフ社会教育センターとして利用された。 ウニオンス教会の麓のレーアー広場に、かつての皮革産業の最後の証拠としてゲルバーハウス(直訳: 革なめし小屋)がある。これはかつて、ヴェルスバッハ川沿いの乾燥倉庫だった建物である。レーアー広場は中世から革なめしや皮革加工が行われていた場所である。これは悪臭と、水が必要であったことから、旧市街の外にあり、イトシュタインを流れる小川の近くで業を営んだためである。ゲルバーハウスは大規模な修復の後、現在は演芸やイベントの会場として利用されている。 旧市街中核部の東には、1700年頃のバロック時代の市域拡大で造られたマルクト広場がある。この広場に通じる道路は、当時の都市建設の理想に則って、分かり易く、互いに直交しており、両側に並ぶ木組み建築の多くは構成的で、その装飾は中核部に比べかなり少ない。建築に支障はなく、大きな変更はなされなかったが、たびたび修復が行われた。これらは密集することで印象深いアンサンブルを形成している。 聖マルティン教会 旧市街と城塞地区とを分ける楼門 魔女狩りの犠牲者を追悼するプレート 旧建築学校 シュトックハイマー・ホーフ
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