教区の変化:ブルトン教区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 14:24 UTC 版)
「バージニア州の歴史」の記事における「教区の変化:ブルトン教区」の解説
適切な例としてブルトン教区教会は元植民地首都に奉仕を続け、地域教会としての役割に戻った。主にその教区牧師W・A・R・グッドウィン牧師の努力で、アメリカにおける聖公会設立300周年である1907年に教会の改修が完成した。グッドウィンは1903年に教区に着任し、町や教会の記録から集めた情報を使って、募金、教会建物の保存と改修を監督した。 ブルトン教区教会はその他の歴史的建造物改修の先例となった。グッドウィンは多くの18世紀建造物がある歴史のある教区に刺激されて、保護しなければ破壊されてしまうことを恐れた。1924年、グッドウィン博士はこの地区の建造物保存運動を開始した。幸運にもジョン・ロックフェラー(スタンダード・オイル社長)とその妻アビー・アルドリッチ・ロックフェラーの支援を得ることが出来た。彼らの古い都市に関する興味と寛大さがグッドウィン博士達の努力と組み合わさり、古い植民地首都の再生という夢を実現させた。コロニアル・ウィリアムズバーグが造られた。 コロニアル・ウィリアムズバーグの歴史的地区は173エーカー (700,000 m2)に拡がり、88棟の当初の建造物と50棟の主要な再建物がある。コロニアル・パークウェイによって歴史三角の他の2点ジェームズタウンとヨークタウンとを繋いでいる。 今日のブルトン教区教会は南部バージニアのエピスコパル教区の中でも最も活動的な教区である。2千人近い教会員がおり、日曜日は5回の通常礼拝があり、活動的な青年とカレッジの組織がある。教会は植民地時代に改修されていた。その信者席にある銘板は当時からの有名な参拝者の名前を刻んでいる。今も1761年に鋳造された鐘を使っており1776年にはアメリカ独立宣言の署名を祝ってまた1783年には独立戦争の終わりを告げるパリ条約の調印を祝って鳴らされた。
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