植民地首都
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 14:20 UTC 版)
「パースアンボイ (ニュージャージー州)」の記事における「植民地首都」の解説
パースアンボイは1686年から1776年までニュージャージー植民地の首都だった。1684年、イースト・ジャージー植民地の首都となり、1702年にイースト・ジャージーとウェスト・ジャージーが統合されるまで首都を続け、1776年まではバーリントンと共に並列する首都になった。この初期に建設された建物が今日でも幾つか見られる。その中でも著名なのがウィリアム・フランクリンの家屋だった領主邸宅であり、現在も市内ウォーターフロントに建っている。ウィリアム・フランクリンはニュージャージーでは最後の英国総督であり、ベンジャミン・フランクリンとは疎遠になった息子だった。セントピーターズ教会は1718年に州内では初めて設立された聖公会教会だった。現在の建物は1875年からのものであり、周りには初期開拓者の墓地があり、ステンドグラスには宗教的な場面や、ニュージャージーがチャーターを受けた場面、またウィリアム・フランクリンと父のベンジャミンとの会見場面が描かれている。パースアンボイ市役所は1714年に先ず裁判所として建造され、1731年や1764年の大火も生き残り、国内でも連続して使われている最古の市役所となっている。カーニー・コテージは当初あった場所から現在ある場所に移され、18世紀のこの土地特有の建築物が残された例となっている。 植民地時代とその後のかなりの期間を通じて、ニューヨーク市とフィラデルフィアを行き来する旅人の重要な中継所であり、1709年からアーサー・キルを渡ってスタテン島トッテンビルを結ぶフェリーの船着き場でもあった。このフェリーは1928年にアウターブリッジ・クロッシングが開通して、重要性が落ちたものの、1963年まで運航を続けていた。パースアンボイフェリー桟橋は1998年に改修されて1904年の姿を再現した。発券場の模型が建設され、現在は小さな博物館になっている。
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