南西アフリカ戦線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 04:28 UTC 版)
「アフリカ戦線 (第一次世界大戦)」の記事における「南西アフリカ戦線」の解説
詳細は「南西アフリカ戦線(英語版)」を参照 南西アフリカでは、開戦とともに南アフリカ連邦がイギリスに代わりドイツ領南西アフリカ(現在のナミビア共和国)を攻撃、征服した。 ドイツ領南西アフリカは広大で乾燥した地域だった。完全に荒涼としたナミブ砂漠は海岸に隣接しており、ほとんどのドイツ人は大西洋からおよそ320km内陸の植民地首都ヴィントフーク周辺を本拠としていた。現地には防衛隊(Schutztruppe)3,000名がおり、ドイツ入植者のうち成人男性7,000名の大部分からの支援を期待できた。 1914年8月、ヨーロッパでの戦争が拡大の兆しを見せ始めた頃、南アフリカ連邦政府はドイツ植民地と国境を接していることの重要性に気付いていた。南アフリカ連邦首相ルイス・ボータはロンドンに対し、南アフリカは自身を守備することができること、駐留イギリス軍をフランスに派遣できることを伝えた。イギリス政府がボータに対しドイツ領南西アフリカに侵攻できるかどうか尋ねたとき、ボータは南アフリカにはそれができ、そうするだろうと返答した。 1914年9月初旬、南アフリカ連邦軍は司令官ヘンリー・ルーキン(英語版)とサロモン(マニー)・マリッツ(英語版)中佐指揮の下、両国国境沿いに動員された。その後まもなく、別の部隊がリューデリッツ港を占領した。
※この「南西アフリカ戦線」の解説は、「アフリカ戦線 (第一次世界大戦)」の解説の一部です。
「南西アフリカ戦線」を含む「アフリカ戦線 (第一次世界大戦)」の記事については、「アフリカ戦線 (第一次世界大戦)」の概要を参照ください。
- 南西アフリカ戦線のページへのリンク