南西バージニアとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 南西バージニアの意味・解説 

南西バージニア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/23 04:41 UTC 版)

ジョージ・クルック」の記事における「南西バージニア」の解説

1864年春の作戦開始にあたりユリシーズ・グラント中将大小取り混ぜあらゆる前線北軍前進命じたグラントクルック准将にはウェストバージニア州チャールストン冬季宿営所に派遣しリッチモンドテネシー州ノックスビル南西部とを繋ぐ主要幹線であるバージニア・アンド・テネシー鉄道への攻撃行いバージニア州ソルトビルにある南軍製塩工場破壊命じた。 この時35歳クルックバージニア州シティポイントの軍本部出頭し、そこでグラント任務直に説明したクルックのカノーハ師団チャールストンの140マイル (220 km)南、ダブリンまで進軍しそこの鉄道攻撃するよう指示された。ダブリンでは鉄道使えなくし、南軍軍事施設破壊することになっていた。続いてマイル東にあるニュー川架かる鉄道橋破壊することとされた。製塩工場破壊と共にこれらの行動成し遂げられれば、クルック隊は東に行軍しその間シェナンドー渓谷を南に進軍しているはずのフランツ・シーゲル少将部隊合流することとされた。 兵士達は何ヶ月にもわたる退屈な守備兵任務後で戦え準備ができていた。クルックはその任務性格目標明かさなかったが、あらゆる兵士が何か重要なことが始まろうとしていることを感じていた。第2旅団指揮官ラザフォード・ヘイズ大佐は「全ての行動早い行動指し示している」とその日記に記した1864年4月29日、カノーハ師団チャールストン出て南に向かったクルックウィリアム・Wアブレル准将部隊を西のソルトビルに派遣し、9個歩兵連隊、7個騎兵連隊および15門の大砲総勢約6,500名を3個旅団編成してダブリン向けて進んだ。その春のウェストバージニア田園美しかったが、山岳地の行軍困難さ伴った。道は狭く急であり、春の雨のために踏みつける足が道路ぬかるみ変えたので速度鈍くなった。幾つかの場所ではクルック隊の工兵流出した所にけてから前進しなければならなかった。 部隊5月2日ファイエット到着しその後ローリー・コートハウスやプリンストン通過した5月8日の夜、部隊ダブリン10マイル (16 km)北、シャノン宿営したダブリン南軍直ぐに敵が接近していることに気が付いた。その指揮官ジョン・マコーズランド大佐その1,100名の部隊撤退備えたが、輸送手段到着する前にアルバート・G・ジェンキンス准将からの伝令二人部隊クルック隊の進軍止めるようジョン・ブレッキンリッジ将軍から命令されたと伝えたジェンキンスとマコーズランドの連合部隊は2,400になった上級士官であるジェンキンス指揮を執った。 クルック5月9日の朝に宿営を畳むと、南のクロイズ山の山脚頂上部隊移動させた。北軍前に険し深い森斜面底部広さ400ヤード (360 m)の牧草地があった。牧草地向かい側もう一つ山脚がせり上がっており、そこに急ごしらえ防塞背後ジェンキンス隊が待ち構えていた。 クルックカー・B・ホワイト大佐第3旅団抜けて敵軍右へ側面攻撃掛けるよう派遣した午前11時、ヘイズ第1旅団ホレイショ・G・シッケル第2旅団斜面降りて牧草地の端まで移動させ、そこでホワイト旅団銃声聞けば直ぐに南軍正面攻撃掛けるよう命じた。 前の斜面大層急だったので士官達は馬を下り徒歩降りなければならなかった。クルック攻撃先導するはずのヘイズ旅団と共に行動した長く心配な待ち時間後でヘイズ遂にその左方砲声聞き兵士率いて牧草地緩り進み出て南軍マスケット銃大砲砲火中に進んだクルックはそれを「ゴーリング」(苛立たせる)と呼んだ。その速度敵陣近付につれて速くなったが、上り坂差し掛かる直ぐ前に腰の深さ小川に出くわした。この障害ではほとんど遅れることもなく北軍歩兵は丘に駆け上がり南軍防衛兵接近戦挑んだ。 この小川問題直面したのはクルック将軍一人だった。クルックは馬から降りて、まだ乗馬用の高い長靴を履いており、流れ踏み込んだときに長靴満たされ潜り込んだ近くにいた兵士指揮官の腕を掴んで向こう岸引き上げた北軍兵が荒削り南軍防衛兵接近する荒々しい白兵戦起こった南部兵は追い込まれ再結集図ろうとして再度突破されて、丘を越えてダブリン方向撤退した北軍兵は数百南軍兵を取り囲んで捕虜にし、負傷して倒れていたジェンキンス将軍捕獲した。この時点北軍規律動揺し逃亡する敵兵組織的に追撃できなかった。クルック興奮激し行動のために気を失ってしまい指揮力を発揮できなかった。 ヘイズ大佐冷静さ保ち戦勝の場に屯する兵士の中から約500名を編成した。この即席部隊ヘイズ南軍兵の直ぐ後を追いかけた。 クロイズ山の戦い続いている間に、ダブリン駅に列車入り、ソルトビルでアブレル隊を破ってたばかりジョン・ハント・モーガン将軍新鮮な騎兵隊500名を吐き出した。この新着部隊戦場急行し、クロイズ山から撤退してくる僚友会った。この援兵壊走止めたが、ヘイズ大佐前に現れ部隊勢力知らぬままに、即座に部隊兵に「悪魔のように叫べ」と命じ敵兵突入させた。数分の間にクルック将軍師団残り連れて到着し南軍敗れて逃走した。 クロイズ山では北軍に688名の損失出し南軍は583名が戦死負傷および捕虜となったクルック抵抗もなくダブリンにその部隊移動させ、鉄道軍需補給所破壊した。1隊は東方派遣して線路剥がし枕木を燃やさせた。翌朝主力部隊次の目的地、数マイル東で鉄道重要な地点ニュー川出発した。 この時マコーズランド大佐指揮していた南軍を守るためにニュー川東岸待機したクルック師団西岸停止し長い無益な砲撃戦続いたクルック南軍大砲からの危険性がほとんど無いことを見て取り橋の破壊命じた両軍橋の構造が川に落ちていく雄大な眺め畏敬の念眺めていた。マコーズランドはそれ以上北軍抵抗する資源無かったのでそのボロボロになった部隊東方退かせた。 クルック将軍大きな略奪しように適していない地帯物資乏しくなっており、2つ目の命令である東のシェナンドー渓谷向かってシーゲル隊と合流することに思い至ったダブリンでは、ロバート・E・リー将軍荒野の戦いグラント軍をひどく打ちのめしたという不確実な報告傍受し南軍指揮官はるかに優勢な敵軍をもってクルック隊にすぐにでも迫って来るのではないか考えようになったクルックはバージニア・アンド・テネシー鉄道破壊するという主要な任務部分完遂していたので、その部隊を北に向かわせ、骨の折れる行軍後でウェストバージニア州ミードウブラフの北軍基地到着した

※この「南西バージニア」の解説は、「ジョージ・クルック」の解説の一部です。
「南西バージニア」を含む「ジョージ・クルック」の記事については、「ジョージ・クルック」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「南西バージニア」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「南西バージニア」の関連用語

南西バージニアのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



南西バージニアのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのジョージ・クルック (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS