西バージニア軍とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 西バージニア軍の意味・解説 

西バージニア軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/06 17:59 UTC 版)

西バージニア軍(Army of West Virginia)
創設
国籍 アメリカ合衆国北軍
軍種 アメリカ陸軍
兵科 (実質的には軍団
主な戦歴 南北戦争

西バージニア軍(Army of West Virginia)は南北戦争中の北軍野戦軍。 主として西バージニア、南西バージニア、シェナンドー渓谷で活動した。隷下の第23オハイオ連隊には、将来アメリカ大統領となるラザフォード・ヘイズ(第19代大統領)及びウィリアム・マッキンリー(第25代大統領)が所属していた。

歴史

1864年7月25日、ジョージ・クルック少将が西バージニア軍管区(the Department of West Virginia)の司令官に任命された。クルックは当時カナウハ軍(Army of the Kanawha)の司令官を務めていたため、直ちに新しい任務につくことができず、実際の着任は8月9日となった。この際、西バージニア軍と改称されている。「軍」という名称ではあるが、実質的には「軍団」規模(3個師団)であり、フィリップ・シェリダン少将のシェナンドー軍の下部組織となった。このため、しばしば西バージニア軍は第8軍団と呼ばれることがある[1]。しかし、当時ルー・ウォーレスを軍団長とし、ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道の防衛を任務とした正規の第8軍団が存在しており、これとは別組織であるため、混同してはならない。クルックの西バージニア軍は1864年のバレー方面作戦の多くの戦闘に参加した。

第1師団の師団長はジョン・ソバーン(Joseph Thoburn)大佐で、ソバーンがシーダークリークの戦いで戦死した後は、トーマス・ハリス大佐が第1師団長となった。第2師団(カナウハ師団)はイザック・デュバル大佐が師団長を務めたがオペクォンの戦いで重傷を負い、その後はラザフォード・ヘイズが師団を率いてシーダークリークで戦った。ジョン・キッチング(J. Howard Kitching)を師団長とする特設師団がシーダークリーク直前に加わった。特設師団の兵力は約1,000名で第6ニューヨーク砲兵連隊が所属していたが、それ以外の詳細は不明である[2]。キッチングはシーダークリークで重傷を負い、 それが原因で翌年死亡した。

シェナンドー渓谷での戦闘が終了した1864年12月19日、西バージニア軍の名称は廃止され、西バージニア軍管区と呼ばれることとなった。

軍団長

参戦した主たる戦闘

脚注

  1. ^ Eicherの著作Civil War High Commandsでは、西バージニア軍が第8軍団と同義に使われたか確認していない
  2. ^ Cedar Creek Battlefield

参考資料




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「西バージニア軍」の関連用語

西バージニア軍のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



西バージニア軍のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの西バージニア軍 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS