荒野の戦い
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荒野の戦い(こうやのたたかい、英:Battle of the Wilderness)は、南北戦争の中盤1864年5月5日から7日に、北軍ユリシーズ・グラント中将が、南軍ロバート・E・リー将軍の北バージニア軍に対して起ち上げたオーバーランド方面作戦の最初の戦いである。この戦いで両軍は大きな損失を出し、グラント対リーの流血の多い消耗戦の始まりとなり、最終的にアメリカ連合国首都リッチモンドを囲むまで続いた。戦闘そのものは戦術的に引き分けたが、グラントはその鉾先を逸らし攻勢を継続した。
- 1 荒野の戦いとは
- 2 荒野の戦いの概要
- 3 戦場の保存
- 4 外部リンク
荒野の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/21 17:08 UTC 版)
「ジョージ・ヒューム・ステュアート」の記事における「荒野の戦い」の解説
1864年夏、5月5日から7日の荒野の戦いで、ステュアートは激しい戦闘を経験した。ステュアートはそのノースカロライナ歩兵部隊を率いて北軍ニューヨーク2個連隊に対抗し、北軍にほぼ600名の損失を出させた。この戦いのときにステュアートの弟のウィリアム・ジェイムズ・ステュアートが腰部を負傷し、リッチモンド市にある士官用病院のギニア・ステーションに送られた。5月21日、弟はその傷がもとで死んだ。バージニア大学で家族の友人の一人が遺族となった父に次のような手紙を送った。 「貴方は私を責めないだろう。私は貴方の悲しみの神聖さに割り込むことで、貴方の大きな悲しみに私の深い心からの同情を表明できないまでもそうありたいと願う。貴方は既に正しい側に大きな犠牲を払われたので、提供できるものはこれが最後だということ、最も価値ある提供物は貴方の性格の不屈さを持ったものでもあり、1人のキリスト教徒を提出することであるのを知っている。さらには、貴方の子供の中でこの息子があなたの利益にとって如何に貴重だったか、貴方の心にとって如何に慈しむものだったかを私は知っており、貴方の恐ろしい損失について聞いた深い心からの悲しみというものも私は貴方に告げることができない。」
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