桐原眞二とは? わかりやすく解説

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きりはら‐しんじ【桐原真二】


桐原眞二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/14 00:05 UTC 版)

桐原 眞二
慶大野球部主将時代
基本情報
国籍 日本
出身地 大阪府
生年月日 (1901-08-22) 1901年8月22日
没年月日 (1945-06-10) 1945年6月10日(43歳没)
選手情報
ポジション 遊撃手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
野球殿堂(日本)
殿堂表彰者
選出年 1984年
選出方法 特別表彰

桐原 眞二(きりはら しんじ、1901年8月22日 - 1945年6月10日)は、大阪府出身の野球選手

経歴

北野中学校時代から近畿地方屈指の遊撃手と言われており、学内で花形的存在であった[1]。1年休学した梶井基次郎と同じクラスになり、桐原の家に遊びに来た梶井が宿題の手伝いをしたこともあった[2][1]

梶井は同性愛的な思慕を抱いていた桐原のことを、「美しい容姿と、その容姿に相応しい快活な、そして温順な心を持つてゐた。――形も心もそれは可愛らしい生徒であつた」と習作の中で書き[2][1]、卒業後も、桐原の夢を見てその内容を日記に綴っている[3]。桐原はおでこが出ていたため、「でーやん」と呼ばれていた[1]

1919年慶應義塾大学へ進学[4][1]。走攻守三拍子揃った選手として活躍し、1924年からは主将となり、時には投手としてマウンドに上がることもあった[4]

当時中断されていた早慶戦の復活に向けて早稲田大学野球部監督の飛田穂洲と共に率先して行動し、慶應大学OBや塾当局を必死に説得した甲斐もあって1925年秋の早慶戦復活への道が開いた[4]

大学卒業後は大阪毎日新聞の経済記者となり、後に経済部長になる[4][1]。大毎野球団では選手としても活動を続けていた[4]

第二次世界大戦が始まると応召され、比島軍報道部員となった[1]。終戦直前の1945年6月10日ルソン島の山中で戦死した[4]。43歳没。

1984年野球殿堂入り。東京ドーム内にある野球殿堂博物館戦没野球人モニュメントに彼の名が刻まれている。

息子に、毎日新聞学芸部編集委員の桐原良光[5]

脚注

  1. ^ a b c d e f g 「第四章 迷える羊――北野中学時代」(大谷 2002, pp. 49–73)
  2. ^ a b 習作「帰宅前後」(1924年9月頃)。ちくま全集 1986, pp. 355–372に所収
  3. ^ 「日記 草稿――第一帖」(大正9年・大正11年)。旧2巻 1966, pp. 101–132
  4. ^ a b c d e f 『野球殿堂 2012 The Baseball Hall of Fame』(2012年、ベースボール・マガジン社)、P.72
  5. ^ ”客観報道”の姿勢で作家の実像に迫った桐原良光と『井上ひさし伝』 web版有隣、平成13年7月10日

参考文献

外部リンク


桐原真二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 02:46 UTC 版)

梶井基次郎」の記事における「桐原真二」の解説

北野中学校時代同級生。基次郎1年休学後の同じクラスになり、美少年野球部花形桐原同性愛的な思慕覚えた。基次郎は時々、桐原の家に遊び行って宿題の手伝いをした。基次郎桐原のことを習作の中で、「美し容姿と、その容姿相応し快活な、そして温順な心を持つてゐた。――形も心もそれは可愛らしい生徒であつた」と書いている。基次郎三高進んだ後も、帰省のたびに留守勝ちなのを知りつつ桐原の家を訪ねたり桐原登場する夢を見たりした。友人にも桐原のことを情熱的に語り、いきなり「桐原!」と叫んで友人抱きつくこともあったという。

※この「桐原真二」の解説は、「梶井基次郎」の解説の一部です。
「桐原真二」を含む「梶井基次郎」の記事については、「梶井基次郎」の概要を参照ください。

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