桐原牧神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/09 02:23 UTC 版)
桐原牧神社 | |
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所在地 | 長野県長野市桐原一丁目26番33号 |
位置 | 北緯36度39分53.2秒 東経138度12分53.4秒 / 北緯36.664778度 東経138.214833度座標: 北緯36度39分53.2秒 東経138度12分53.4秒 / 北緯36.664778度 東経138.214833度 |
主祭神 | 保食神 |
社格等 | 郷社 |
例祭 | 3月8日(春季例大祭) |
地図 |
桐原牧神社(きりはらまきじんじゃ)は、長野県長野市桐原一丁目にある神社(郷社)。この地は平安時代に「桐原牧」があったとされる地であり[1]、神社には藁駒奉納の行事が伝わっている。
概要

桐原地区は朝廷に馬を献上する「桐原牧」があったとされ、神社にも神馬の像があり、拝殿には「敬神愛国」ならぬ「敬神愛馬」という行灯が掲げられていたこともある。
神社の創建は1000〜1500年前というが[2]、「牧神社」の名は、江戸時代に神職・吉田家より賜ったものだという[3]。
桐原牧神社の藁馬づくり
春季例大祭の際に藁馬(藁駒)を奉納し、参拝者に配布する行事が伝わっており、「桐原牧神社の藁馬づくり」として長野市の選定保存技術に選定されている[4]。
もともと豊作祈願の奉納物として始まったもので、古くは各家が藁で馬をつくり、供物を背負わせて奉納していたという[5]。現在では桐原牧保存会で牝馬を300体ほど製作し、神社に奉納してお祓いを受けた上で参拝者に抽選で配布している[2][3]。
2025年(令和7年)の春季例大祭の場合、高さ約2m・全長約2m50cmの藁駒を氏子35人で地区内を曳き回したのち、300体制作した高さ20cm・長さ30cmの藁駒のうち70体を、神社に集まった参拝客約450人に抽選で配布した[6][7]。
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参拝者に授与される藁駒
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地区内を曳き回される大きな藁駒(令和7年春季例大祭)
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藁駒の配布に集まる参拝客(令和7年春季例大祭)
1961年(昭和36年)には皇太子明仁親王(現: 上皇)に、1964年(昭和39年)には昭和天皇に、2005年(平成17年)には皇太子徳仁親王(現: 今上天皇)に献上されている。
歴史
- 1961年(昭和36年) - 長野産業文化博覧会に藁馬を出品。皇太子明仁親王(現: 上皇)に献上
- 1964年(昭和39年) - 昭和天皇行幸。藁馬づくりを実演の上献上
- 2002年(平成14年)2月13日 - 藁馬づくりが長野市選定保存技術に選定
- 2005年(平成17年) - 皇太子徳仁親王(現: 今上天皇)に藁馬を献上
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交通
脚注
- ^ 『角川日本地名大辞典 20 長野県』角川書店、1990年(ISBN 4040012003)
- ^ a b vol.29 藁馬に願いを込めて 桐原牧神社の藁馬づくり - 八十二文化財団
- ^ a b 091 桐原牧神社〜人気高まる神馬のわら駒 - 週刊長野
- ^ 長野市の文化財(長野市の文化財一覧表)(長野市)※国(文化庁)ではなく長野市独自の制度による選定。
- ^ 桐原牧神社の藁馬づくり - 長野市文化財データベース
- ^ 「かつては名馬の産地、長野市桐原で“わら駒”練り歩き 高さ2メートル、地域の平穏を願う」『信濃毎日新聞』2025年3月8日。2025年3月9日閲覧。
- ^ 「江戸時代から続く伝統の春祭り「わら駒祭り」 450人が参拝後に恒例のくじ引きも」『信越放送』2025年3月8日。2025年3月9日閲覧。
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