土橋正幸
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土橋 正幸(どばし まさゆき、1935年12月5日 - 2013年8月24日)は、東京都台東区出身[1]のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。
注釈
- ^ 前年に記録した梶本隆夫とタイ記録。2022年4月10日に佐々木朗希が更新するまで、60年以上もの間、日本記録であった[9]。
- ^ 前年までの日本プロ野球記録は2度であったが、この年近鉄バファローのルーキー・徳久利明が土橋の成績を上回る5度も記録している。
- ^ 毎日の練習メニューが江本曰く半端なものではなく、うさぎ跳び100回、レフトとライトのボール間を全力で10本ダッシュ、腹筋と背筋を500回ずつでここまでがウォーミングアップでフリーバッティングに登板し約40分間。試合ではベンチ入りした。
- ^ 大沢は、王貞治や上田利治を候補に考えていたが王は自身の活動スケジュール(主に世界少年野球推進財団の関連)の都合で辞退し、上田は好意的だった大社義規オーナー(日本ハムの前身は、上田の出身地だった徳島県で起業した。)以外の球団上層部から「関西出身の上田では人気が出ない」と了解を得られなかったという。その後、他の幹部を押し切る形で大社自らの要請により、上田が大沢の後任として監督を務めている。
- ^ 8月26日は試合がなかったため
- ^ 土橋がパイを投げる直前に岡村を抱えて落としたと言われるが、これは別人である。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『野球小僧 6月号 2012』白夜書房、白夜書房、2012年、P186-P195
- ^ 草野球出身土橋正幸、シーズン30勝!これで優勝だ!?
- ^ a b c 『プロ野球三国志』116頁
- ^ 週刊ベースボール 2020年6月8日号 連載『張本勲の喝!!』50-51頁
- ^ プロの給料5000円、軟式野球5試合やれば5000円、60年前のプロ野球の待遇はひどすぎた。合宿のご飯もおかわりダメ
- ^ 『豪球列伝-プロ野球不滅のヒーローたち』159頁
- ^ ベースボールマガジン別冊夏祭号 1954-1972東映フライヤーズ暴れん坊伝説 ベースボール・マガジン社.2020年.p16-17
- ^ 『豪球列伝-プロ野球不滅のヒーローたち』160頁
- ^ “佐々木朗希が連続13奪三振、64年ぶり記録更新…六回まで「完全試合」も継続中”. 読売新聞オンライン. (2022年4月10日) 2022年4月10日閲覧。
- ^ 『豪球列伝-プロ野球不滅のヒーローたち』161頁
- ^ 『プロ野球三国志』117頁
- ^ a b c d e “難病と闘った江戸っ子エース・土橋正幸さん ゆかりの人々からあふれる思い出話”. 産経ニュース. 2013年9月7日閲覧。
- ^ 宇佐美徹也『日本プロ野球記録大鑑』講談社、430頁
- ^ 『プロ野球三国志』118頁
- ^ a b c d e f 『週刊プロ野球データファイル』2012年53号、ベースボール・マガジン社、P19-P20
- ^ 日刊ゲンダイ2015年7月29日号、高橋善正「プロ野球サムライは死んだか」第7回
- ^ 江本孟紀『野球バカは死なず』文藝春秋、2018年、P91
- ^ 『野球バカは死なず』P102-107
- ^ 恩讐の彼方に――張本勲氏が日本ハムのユニホームで初めての始球式 スポーツニッポン
- ^ 【虎番疾風録(39)】仰天ロッテ山本監督決定 産経新聞、2018年10月10日
- ^ a b c d e f g h i j k l m 徳永喜男『ヤクルトスワローズ球団史』、ベースボール・マガジン社、pp.307-310
- ^ 監督代行の代行/メモ
- ^ a b c d e f g h i j 『ヤクルトスワローズ球団史』、ベースボール・マガジン社、pp.312-315
- ^ 【セ・パ誕生70年記念特別企画】よみがえる1980年代のプロ野球 Part.2 [1986年編] (週刊ベースボール別冊冬桜号)ベースボール・マガジン社、2019年、92頁
- ^ 週刊ベースボールプラス6 1950-2011 わが愛しのスワローズ 国鉄から始まった栄光の軌跡、ベースボール・マガジン社、2011年、P58-P59
- ^ a b c d e f g h i j 『ヤクルトスワローズ球団史』、ベースボール・マガジン社、pp.318-322
- ^ a b 大沢啓二『球道無頼』(集英社、1996年)、P216-P220
- ^ 週刊ベースボール2018年9月10日号大島流『危険球に負けない方法』【大島康徳の負くっか魂!!第75回】、79頁
- ^ 「ケンカみたいになっちゃって」元日本ハム・西崎幸広が明かす“やりにくかった監督”とは? 栗山政権は評価も「エースが出てこなかった」
- ^ 幻に消えた宮沢りえ監督【田中幸雄連載#11】 東京スポーツ
- ^ 週刊ベースボール2024年3月4日号、レジェンドを訪ねる、昭和時代の言い残し、田中幸雄(元日本ハム)②、60頁
- ^ 知恵の森文庫「お笑いプロ野球殿堂 ダメ監督列伝」テリー伊藤、光文社、2004年11月、ISBN 9784334783259。
- ^ 土橋正幸氏死去 東映の主力投手として活躍、ヤクルトの監督も スポーツニッポン 2013年8月26日閲覧
- ^ “元東映投手、土橋正幸さん死去 ヤクルト、日ハムで監督”. MSN産経ニュース. (2013年8月26日). オリジナルの2013年8月30日時点におけるアーカイブ。 2022年11月8日閲覧。
- ^ “ヤクルト&日本ハム 土橋氏しのび喪章でプレー 試合前には黙とう”. スポニチ. (2013年8月28日) 2013年8月28日閲覧。
- ^ “走り込み、投げ込みは必要か/上原浩治氏の投球論2”. 日刊スポーツ (2020年5月9日). 2020年5月10日閲覧。
- ^ 『プロ野球助っ人三国志』114頁
- ^ a b c d e f 「特集 佐々木信也責任編集・プロ野球ニュース革命〜巨人、ON偏重報道から一線を画し、新たな野球の見方を提示した伝説の番組〜 『関根順三×佐々木信也×土橋正幸 ここからすべて始まった』」『野球小僧』白夜書房、2010年12月、pp. 108-115頁。
- ^ 『ナインティナインのオールナイトニッ本』(vol.1) ISBN 978-4847041945
- ^ 第三話 西崎幸広25歳。俺の評価が低すぎる事件の真相 - デーブ大久保チャンネル・2022年5月10日
- ^ 「今月の広告批評 / 東海林さだお ; 高橋源一郎 ; 高橋章子 ; 中森明夫 ; 編集部」『広告批評』第102号、マドラ出版、1988年2月1日、104 - 105頁、NDLJP:1853067/54。
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