ジム・ライトルとは? わかりやすく解説

ジム・ライトル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/03 23:57 UTC 版)

ジム・ライトル
Jim Lyttle
ニューヨーク・ヤンキースでの現役時代
(1971年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 オハイオ州ハミルトン
生年月日 (1946-05-20) 1946年5月20日(78歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1966年 MLBドラフト1巡目
初出場 MLB / 1969年5月17日
NPB / 1977年4月2日
最終出場 MLB / 1976年10月3日
NPB / 1983年10月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

ジム・ライトル英語: Jim Lyttle, 本名:ジェームズ・ローレンス・ライトル・ジュニアJames Lawrence Lyttle Jr., 1946年5月20日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州ハミルトン出身の元プロ野球選手外野手)。

経歴

1966年MLBドラフト1巡目(全体10位)でニューヨーク・ヤンキースに指名され、契約した。

1969年5月17日にメジャーデビューを果たした。その後はシカゴ・ホワイトソックスモントリオール・エクスポズロサンゼルス・ドジャースと渡り歩く。

1977年広島東洋カープに入団した。NPB1年目から活躍を見せ、衣笠祥雄山本浩二らとクリーンナップを形成し、1979年から1980年の日本シリーズ連覇に貢献した。1980年の日本シリーズではMVPを獲得した。攻守共にバランスが良く、勝負強い打撃、守備では強肩を発揮して広島の黄金時代を支えた[1]1978年から4年連続でダイヤモンドグラブ賞を受賞し、山本浩二らと共に強固な外野守備陣を構成した。1981年には最多安打を獲得している。広島での通算155本塁打は球団外国人選手では最多であり、在籍年数6年もエルドレッドに次ぐ2番目の記録である。なお広島時代、同じ年に広島に入団したエイドリアン・ギャレットと自分の名前とを合わせて「ギャートルズ」と呼ばれていた。この呼び名を付けたのは当時の広島のチームメイトであった衣笠祥雄である[2]

1983年南海ホークスに移籍し、同年のオールスターゲーム第2戦(西宮)ではラジオたんぱの英語中継に解説者として出演[3]

引退後は帰国し、農場経営を務める傍ら、フロリダ・アトランティック大学でコーチを務めた[4]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1969 NYY 28 87 83 7 15 4 0 0 19 4 1 2 0 0 4 0 0 19 0 .181 .218 .229 .447
1970 87 140 126 20 39 7 1 3 57 14 3 6 2 2 10 1 0 26 2 .310 .355 .452 .807
1971 49 97 86 7 17 5 0 1 25 7 0 2 1 1 8 2 1 18 3 .198 .271 .291 .562
1972 CHW 44 84 82 8 19 5 2 0 28 5 0 1 1 0 1 0 0 28 0 .232 .241 .341 .582
1973 MON 49 130 116 12 30 5 1 4 49 19 0 2 2 3 9 2 0 14 3 .259 .305 .422 .727
1974 25 11 9 1 3 0 0 0 3 2 0 0 0 1 1 1 0 3 0 .333 .364 .333 .697
1975 44 70 55 7 15 4 0 0 19 6 0 1 1 1 13 3 0 6 0 .273 .406 .345 .751
1976 42 93 85 6 23 4 1 1 32 8 0 0 1 0 7 1 0 13 2 .271 .326 .376 .703
LAD 23 76 68 3 15 3 0 0 18 5 0 1 0 0 8 4 0 12 0 .221 .303 .265 .567
'76計 65 169 153 9 38 7 1 1 50 13 0 1 1 0 15 5 0 25 2 .248 .315 .327 .642
1977 広島 120 496 452 75 136 23 0 19 216 65 13 3 2 2 38 2 2 60 14 .301 .356 .478 .834
1978 130 578 524 85 155 30 1 33 286 108 2 8 2 7 36 4 9 77 12 .296 .347 .546 .893
1979 130 552 504 54 133 24 0 23 226 61 6 4 2 3 38 2 5 83 14 .264 .320 .448 .768
1980 130 545 507 68 142 25 1 23 238 82 5 7 0 6 28 1 4 74 11 .280 .319 .469 .789
1981 128 534 493 83 157 25 2 33 285 100 0 4 1 4 34 1 2 58 5 .318 .362 .578 .940
1982 126 520 482 54 130 19 1 24 223 75 1 1 1 8 25 3 4 60 10 .270 .306 .463 .769
1983 南海 112 380 357 36 92 5 3 11 136 38 3 2 1 1 19 2 2 57 2 .258 .298 .381 .679
MLB:8年 391 788 710 71 176 37 5 9 250 70 4 15 8 8 61 14 1 139 10 .248 .305 .352 .657
NPB:7年 876 3605 3319 455 945 151 8 166 1610 529 30 29 9 31 218 15 28 469 68 .285 .331 .485 .816
  • 各年度の太字はリーグ最高。

タイトル

NPB
  • 最多安打:1回 (1981年) ※当時連盟表彰なし、1994年より表彰

表彰

NPB

記録

NPB初記録
NPB節目の記録
NPBその他の記録

背番号

  • 21 (1969年)
  • 27 (1970年 - 1971年)
  • 26 (1972年)
  • 2 (1973年 - 1974年)
  • 20 (1975年 - 1976年途中)
  • 41 (1976年途中 - 同年終了)
  • 6 (1977年 - 1982年)
  • 4 (1983年)

脚注

  1. ^ 広島の強肩外野手ジム・ライトルの定位置は常にフェンス前|野球|日刊ゲンダイDIGITAL
  2. ^ よみがえる1970年代のプロ野球 別冊ベースボール Part4 1977年編(ベースボール・マガジン社、2022年4月刊)p.88
  3. ^ 毎日新聞縮刷版p737 昭和58年7月22日9面「24日のプロ野球オールスター戦 ラジオたんぱが英語中継
  4. ^ 【11月2日】1980年(昭55) クビ寸前…“ティチャー”ライトル広島を連覇に導きMVP”. SPORTS NIPPON NEWSPAPERS. 2011年10月28日閲覧。

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類

アメリカ合衆国の野球選手 ジョージ・ヒンショー  リッチ・バチェラー  ジム・ライトル  デニス・レイ・ボイド  トニー・クラーク
福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手 田中俊幸  長冨浩志  ジム・ライトル  中原大樹  マイケル・オルムステッド
野球指導者 岡本克道  河村健一郎  ジム・ライトル  リッチ・モンテレオーネ  武末悉昌
広島東洋カープ及び広島カープの選手 山本一義  長冨浩志  ジム・ライトル  伊東昂大  木山英求
ニューヨーク・ヤンキースの選手 T.J.ビーム  ルー・ゲーリッグ  ジム・ライトル  トニー・クラーク  ジョー・ディマジオ
ロサンゼルス・ドジャース及びブルックリン・ドジャースの選手 ドルフ・カミリ  トミー・ラソーダ  ジム・ライトル  郭泓志  ウェイト・ホイト
シカゴ・ホワイトソックスの選手 グレッグ・ルジンスキー  ブランドン・マッカーシー  ジム・ライトル  ルイス・アパリシオ  スコット・ラインブリンク
ワシントン・ナショナルズ及びモントリオール・エクスポズの選手 ライアン・ランガーハンズ  ジョナサン・アルバラデホ  ジム・ライトル  デニス・レイ・ボイド  ミゲル・バティスタ

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