ジム・ライリー (アイスホッケー)とは? わかりやすく解説

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ジム・ライリー (アイスホッケー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/21 08:09 UTC 版)

ジム・ライリー
個人情報
本名 ジェームズ・ノーマン・ライリー
国籍 カナダ
生誕 (1895-05-25) 1895年5月25日
カナダ
ニューブランズウィック州ベイフィールド英語版
死去 1969年5月25日(1969-05-25)(74歳)
アメリカ合衆国
テキサス州シギーン英語版
身長 5' 11" =約180.3
体重 180 lb (82 kg) =約81.6
スポーツ
競技 アイスホッケー野球
ポジション
アイスホッケー

レストウイング英語版

野球
二塁手一塁手
チーム
アイスホッケー
野球

ジム・ライリー英語: Jim Riley、フルネーム:ジェームズ・ノーマン・ライリー(James Norman Riley)、1895年5月25日 - 1969年5月25日)は、カナダ連邦ニューブランズウィック州ベイフィールド英語版出身のプロアイスホッケー選手、プロ野球選手。右投左打。

ナショナルホッケーリーグ(以下:NHL)とメジャーリーグベースボール(以下:MLB)の両方の試合に出場した史上唯一の選手である。

経歴

カナダ連邦ニューブランズウィック州ベイフィールド英語版で生まれ、 NHLのシカゴ・ブラックホークスデトロイト・クーガースシアトル・メトロポリタンズ英語版で計17試合に出場[1]パシフィック・コースト・ホッケー・アソシエーション英語版(以下:PCHA)で90試合に出場した[1]。1917年のメトロポリタンズ所属時にスタンレー・カップ優勝を経験している[1]。1922–23年シーズンにはPCHAのファーストチームオールスターに選出された。

アイスホッケー選手として活動する傍らで野球選手としても1921年から1932年の12シーズンを主にマイナーリーグベースボール(以下:MiLB)だったが、プレーしている[1]二塁手として野球のキャリアを始め、1921年7月3日にセントルイス・ブラウンズでメジャーデビューを果たした。これにより、史上初となるNHLとMLBの両方の試合に出場した選手となった[1]。その後もアイスホッケーと野球をプレーしている選手はいるが、NHLとMLB両方でプレーした選手は誕生していない[1]。同年は4試合に出場した。シーズン終了後は一塁手コンバートした。

1922年はMLBの試合に出場することは無かったが、1923年にワシントン・セネタースにて2年ぶりにMLBの試合に出場した。同年は2試合に出場した。その後はMiLBでキャリアを終えた。

1969年5月25日の74歳の誕生日にアメリカ合衆国テキサス州シギーン英語版で死亡した。

脚注

  1. ^ a b c d e f April Whitzman. “MLB Players Who Played Hockey” (英語). MLB.com. 2022年1月2日閲覧。

関連項目

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