中山太一
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中山 太一(なかやま たいち、1881年(明治14年)11月17日 - 1956年(昭和31年)10月18日[1])は、日本の実業家、政治家である。「クラブ洗粉」、「クラブ化粧品」で知られる中山太陽堂を創業し、近畿化粧品工業会名誉会長、日本インドネシア協会理事、日本能率協会副会長を歴任、貴族院議員にも選任されたことで知られる。「東洋の化粧品王」、「化粧品業界の巨星」と呼ばれた[2]。
- ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』213頁。
- ^ a b c d e f g h i j k #外部リンク内のクラブコスメチックス公式サイトリンク先の記事「資料室」の記述を参照。二重リンクは省く。
- ^ a b c 財団法人日本電信電話ユーザ協会広島支部公式サイト内の「テレコムニュース」の記事「ひと風土記 第11回 中山太一」(2001年1月)の記述を参照。
- ^ 『私の履歴書 文化人6』(日本経済新聞社、1983年1月 ISBN 4532030765)の東郷青児の項の記述を参照。
- ^ 「高畠華宵大正ロマン館」公式サイト内の記事「山六郎」の記述を参照。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、49頁。
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