プラトン社とは? わかりやすく解説

プラトン社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/21 07:56 UTC 版)

プラトン社
種類 出版社
本社所在地 日本
大阪市東区谷町5丁目乙20番地
(現在の同市中央区谷町5丁目)
設立 1922年(大正11年)
業種 出版業
事業内容 雑誌『女性』『苦楽』『演劇・映画』の編集・発行
単行本の編集・発行
代表者 中山豊三
主要株主 中山太陽堂(現クラブコスメチックス
主要子会社 中山文化研究所
婦人精神文化研究会
関係する人物 河中作造
小山内薫
直木三十五
川口松太郎
山六郎
山名文夫
岩田専太郎
富士川游
外部リンク www.clubcosmetics.co.jp
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苦楽』新年創刊号(第1巻第1号、1924年1月1日発行

プラトン社(プラトンしゃ、1922年 設立 - 1928年 廃業)は、かつて存在した日本の出版社である。大阪の化粧品会社の「中山太陽堂」(現クラブコスメチックス)が設立した。

データ

略歴・概要

1922年(大正11年)に大阪で設立された。

化粧品会社の中山太陽堂を後ろ盾にし、女性を読者層にねらった斬新な文芸誌として、1922年(大正11年)5月に『女性』、1923年(大正14年)12月に『苦楽』の2誌を創刊した[1]。社長は中山豊三、副社長はその義弟の河中作造であった。当初の谷町の地番は、河中の自宅住所だった。

小山内薫が会社の運営に関与し、『女性』の編集を担当、『苦楽』の編集に直木三十五(当時「直木三十二」)、川口松太郎らが携わっていた。また単行本も月1冊程度のペースで刊行。両誌と単行本に山六郎山名文夫岩田専太郎らを起用した華麗なデザインは一世を風靡し、いわゆる大正モダニズム、阪神間モダニズムの勃興に多大な影響を与えたとされる。おもな執筆者は、泉鏡花大佛次郎谷崎潤一郎武者小路実篤与謝野晶子[1]、非常勤編集者に藤澤清造がいた。

1925年(大正14年)4月、堂島ビルヂングに移転、同年、「婦人文化、家庭文化の向上、児童の健全育成、宗教による精神文化の向上」を目的として、研究機関「中山文化研究所」を併設した。所長に富士川游を招いた。富士川はそこに「婦人精神文化研究会」を設置した。同年夏、直木は同社を辞して、連合映画芸術家協会を設立した。

1926年(大正15年)1月には雑誌『演劇・映画』を創刊したが、同年8月には休刊した。

1928年(昭和3年)、6年間をもって廃業した。

おもなビブリオグラフィ

参考文献

  • 小野高裕・西村美香・明尾圭造『モダニズム出版社の光芒 - プラトン社の1920年代』、淡交社、2000年
  • 植村鞆音『直木三十五伝』、文藝春秋、2005年(文春文庫、2008年)

  1. ^ a b #外部リンク内のクラブコスメチックス公式サイト「資料室」リンク先の記述を参照。

外部リンク

  • 資料室 - クラブコスメチックス公式サイト内の社史




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