北尾光司とは?

北尾光司

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北尾光司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 01:00 UTC 版)

北尾 光司(きたお こうじ、1963年8月12日 - 2019年2月10日[1])は、三重県津市出身の元大相撲力士・元総合格闘家・元スポーツ冒険家・武道家、元プロレスラー[2]大相撲横綱時代(第60代横綱)の四股名は双羽黒 光司(ふたはぐろ こうじ)。


  1. ^ a b “北尾光司さん 早すぎる死 元横綱・双羽黒”. FNN.jpプライムオンライン. フジニュースネットワーク. (2019年3月29日). https://www.msn.com/ja-jp/sports/news/北尾光司さん-早すぎる死-元横綱・双羽黒/ar-BBVnvy6#page=2 2019年6月28日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g h i j ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p22
  3. ^ a b c d e f ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p13
  4. ^ 父親の英才教育を受け、父親と共に毎朝10km程度走り込んでいたという。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n 光文社新書メールマガジン2015年2月配信分で行われた北尾へのインタビュー。
  6. ^ a b c d e f 元横綱・双羽黒、北尾光司さん死去 ケタ外れの才能に翻弄された相撲人生 ちゃんこの味付けめぐり師匠と衝突…廃業へ ZAKZAK 2019.3.30(産経デジタル、2019年3月30日閲覧)
  7. ^ 親方曰く、「(北尾は)怒られると若い衆に八つ当たりするから誰も注意しなくなるし、私に言う人もいなくなる」とのこと。
  8. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p51
  9. ^ この高砂部屋への出稽古で目をかけてもらった高砂が1988年10月に急逝した際、北尾は「廃業事件の際に大変ご迷惑を掛け、深く責任を感じている」という理由で通夜に参列していた。
  10. ^ 相撲史を変えた大器の挫折=元双羽黒の北尾さん死去 JIJI.COM 2019年03月29日22時58分(時事通信社、2019年4月2日閲覧)
  11. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p46
  12. ^ 現在大関昇進の基準は「三役(関脇・小結)の地位で直前3場所合計33勝以上」が目安とされている。3場所前北尾の地位は東前頭筆頭と三役でなかったが、1983年5月場所新大関の朝潮)も3場所前が東前頭筆頭ながら3場所合計35勝だった経緯があり、北尾も朝潮同様に満場一致で大関昇進が決まっている。
  13. ^ 一度は小錦に軍配が上がったものの物言いが付き、取り直しとなった挙句に膝を負傷させられた。
  14. ^ a b c 『大相撲ジャーナル』2017年8月号 p49
  15. ^ a b c d e f g 北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)146ページから147ページ
  16. ^ 【今日は何の日?】横綱・双羽黒が失踪sportiva 2011年12月27日
  17. ^ その後に発生した「1横綱6大関」は、2012年5月場所から同年9月場所までの3場所において、横綱:白鵬、大関:琴欧洲日馬富士把瑠都琴奨菊稀勢の里と、5月場所が新大関の鶴竜
  18. ^ 当時、関脇・保志(大関昇進時に「北勝海」と改名)の大関昇進が決定的で、保志が大関に昇進すると6大関と大関が過剰になってしまい番付や取り組み編成に支障が出ると協会が判断したため、北尾の横綱昇進はいわば「ところてん式」(関脇→大関・大関→横綱の地位に押し出される意味の例え)による昇進だった。優勝が無いまま横綱に昇進した力士は過去に源氏山(昇進2場所目から「西ノ海」に改名)と照國が存在するが、いずれも昇進直前場所はその場所で優勝した横綱(源氏山は栃木山、照國は双葉山)と同成績で、2人とも昇進後に優勝している。また、同時に大関に昇進した力士(源氏山は太刀光、照國は名寄岩)がいたが、この時は大関が過剰になるということも無く、むしろ新横綱の誕生で大関が不足する(東西制の時代だったが、このままでは片大関になる)ための同時昇進だった。
  19. ^ 横綱昇進後も本名のままだった力士は帰化によって本名の変わった外国出身力士を除くと、輪島大士のみである。
  20. ^ 北尾は後年になって「『素質の北尾、努力の保志』とレッテルを貼られ、稽古嫌いと言われ続けたことは非常に心外だった。自分は一生懸命強くなろうと努力したのに誰も評価してくれなかった」と述べている一方で、横綱昇進後も本名で取るか、「『白鳳(はくおう)』を名乗りたかった」と語っていた。
  21. ^ 明治時代後期に活躍した幕内力士で、立浪襲名後に双葉山、羽黒山の両横綱を育てた人物。最高位は小結で、1952年に死去。
  22. ^ 小室明「天晴れ小錦―プライドが支えた5638日」イーハトーヴ出版 1997年
  23. ^ Sports Graphic Number (文藝春秋)2019年2月28日号 p64
  24. ^ 1987年9月場所後に昇進した大乃国も、東正横綱を一度も経験しないまま土俵をさっている。
  25. ^ 日刊スポーツ 2017年11月22日
  26. ^ 【今日は何の日?】横綱・双羽黒が失踪sportiva 2011年12月27日
  27. ^ 北尾光司さんが死去 元横綱双羽黒 日本経済新聞 2019/3/29 23:16(毎日新聞社、2019年3月30日閲覧)
  28. ^ 元双羽黒の北尾光司さん死去 波乱の力士人生、角界に影落とす 毎日新聞2019年3月30日 05時00分(毎日新聞社、2019年3月30日閲覧)
  29. ^ 元横綱双羽黒の北尾光司さん死去、55歳 優勝ゼロ、師匠とトラブルで廃業 産経ニュース 2019.3.29 20:59(産経新聞社、2019年3月30日閲覧)
  30. ^ a b 朝日新聞 2019年3月30日 東京本社朝刊38面
  31. ^ 委員からは「破門、または除名すべし」との意見もあったが、まだ24歳という青年の将来を配慮して恩情的に「廃業」という形が採用され、立浪が当面謹慎および3ヶ月間3割の減俸処分、理事全員が3ヶ月間2割の減俸処分を決定した。また双羽黒に対する恩情の背景として、春日野理事長がインタビューで立浪に対してかなり突き放した内容のコメントを残している
  32. ^ a b 横綱からスポーツ冒険家へ「北尾光司さん」自分を貫いた55年 Smart Flash 2019.03.29(光文社、2019年4月28日閲覧)
  33. ^ ただし、番付上では琴櫻と同じく横綱在位9場所となる。
  34. ^ 野坂昭如との対談で語った事の真相”. bunshun.jp. 2018年10月31日閲覧。
  35. ^ 1990年7月場所後の旭富士から2012年9月場所後の日馬富士に至るまでの8人は、全員が大関での連続優勝によって昇進を決めている。
  36. ^ わずか2年8カ月で歴史を変えた男。輪島大士はプロレス界の触媒だった。(堀江ガンツ)” (日本語). Number Web - ナンバー(2018年10月16日). 2021年6月23日閲覧。
  37. ^ 輪島さん 借金、親方廃業、「大事件」プロレス入り - 大相撲 : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com(2018年10月10日). 2021年6月23日閲覧。
  38. ^ 「八百長発言」が出た1991年4月1日の神戸ワールド記念ホール大会の僅か2日前、北尾とテンタは同年3月30日の東京ドーム大会で初めてシングルで対戦した。フォール負けした北尾は自身の試合が終わると、大会の全カード終了を待たずして会場から去ってしまう事件を起こしている。「八百長」事件後の一部週刊誌では、この試合で、相撲時代の番付では遥かに上だった自分が、テンタ相手に「負け役」をやらされたという不満が募っていた事も事件の引き金になったのではないかと指摘されている。また、天龍やカブキは、北尾は渋々ではあるが「負け役」を了承していたが、若松市政ドン荒川ら天龍たちに反感を持つレスラーが北尾を焚きつけたのではないかと発言している(ただし、これに関しては若松や荒川の証言はなく真偽は不明)。
  39. ^ a b 北尾vs.テンタ戦は八百長発言より『うるせえババア!』の方が問題です(船木誠勝) - YouTube (2019年5月24日)
  40. ^ 当日の第1試合鈴木みのるアポロ菅原戦でも、両者の技の受けあいが一向に始まらないまま時間が経過し最後は菅原の試合放棄で決着しており、これを含めた当日の試合について社長夫人が控室のレスラーらに向かって叱責したところ北尾の上記の反応となった。
  41. ^ 双葉社『俺たちのプロレス SWS30年目の真実 証言06藤原組とメガネスーパー』P59
  42. ^ 復帰に際して記者会見を行った際に頭を丸刈りにして現れたり、用意した声明文を読み上げる際に丁寧な表現を使うなど、既にそうした態度の一端は窺えた。
  43. ^ キャンセルとなった事情は明らかになっていない。もちろんキャンセルが確定した後だが、北尾は大会と同日、すなわち真裏で行われた大日本プロレス戸田市スポーツセンター大会に参戦、8人タッグマッチに出場している。
  44. ^ a b c 北尾さん 関係者が素顔明かす「角界を去ってからは別人のように優しかった」 Sponichi Annex 2019年3月30日 05:30(スポーツニッポン新聞社、2019年3月31日閲覧)
  45. ^ 北尾光司さん 55歳の若さで死去 第60代横綱双羽黒 13年から闘病生活 Sponichi Annex 2019年3月30日 05:30(スポーツニッポン新聞社、2019年3月31日閲覧)
  46. ^ a b c 元「双羽黒」北尾さん逝去 一人娘が振り返る“空白の15年” 週刊新潮 2019年4月11日号掲載(新潮社、2019年4月14日閲覧)
  47. ^ 「時代」を彩った男と女・あの人は今 第60代横綱、双羽黒こと北尾光司さん - リアルライブ、2010年01月28日。
  48. ^ 元横綱双羽黒の北尾光司さん死去 格闘家でも活躍」『ニッカンスポーツ・コム』(日刊スポーツ新聞社)、2019年3月29日。2019年3月29日閲覧。
  49. ^ 大相撲の元横綱双羽黒・北尾光司氏 2月10日に死去していた 55歳 - Sponichi Annex 2019年3月29日
  50. ^ a b 北尾光司さんが死去、慢性腎不全で 元横綱双羽黒 廃業後、プロレスラーに デイリースポーツ online 2019.03.29.(デイリースポーツ、2019年3月30日閲覧)
  51. ^ 2月に死去した北尾光司さん、重度の糖尿病で両脚切断を告げられていた…妻が壮絶な闘病を明かす(スポーツ報知/報知新聞社 2019年6月28日)”. Microsoft News. 2019年6月29日閲覧。
  52. ^ 元横綱北尾光司さん 両脚切断の危機、自殺未遂…知られざる闘病生活を妻が初告白/デイリースポーツ online” (日本語). デイリースポーツ online(2019年6月28日). 2019年6月29日閲覧。
  53. ^ “[http://www.tokyo-art.info/g/j-theater/gallery.htm ■《日本人作家シリーズ》『近代作家コレクションvol.6 さよなら平成公演』 2019年3月12日(火)-3月13日(水) 下北沢 「劇」小劇場]”. www.tokyo-art.info. Jシアター. 2019年7月7日閲覧。
  54. ^ 朝乃山以前の富山出身三役、元関脇・琴ケ梅さんの店名物「水晶鍋」 2019年11月12日 11時59分スポーツ報知(2019年12月5日閲覧)
  55. ^ 北尾光司さん波乱の人生に幕 豊かな才能開花できず」『ニッカンスポーツ・コム』(日刊スポーツ新聞社)、2019年3月30日。2019年3月30日閲覧。
  56. ^ 元横綱・双羽黒の北尾光司さんに死去報道 ネットでは「若すぎる」「稀代のヒールキャラ」と悼む声 J-CAST 2019/3/29 19:59(株式会社ジェイ・キャスト、2019年3月30日閲覧)
  57. ^ 北尾光司さんの死に92年激突・高田延彦が教え子・望月成晃が涙” (日本語). 東スポWeb - 東京スポーツ新聞社(2019年3月30日). 2019年3月31日閲覧。
  58. ^ 双羽黒さん 晩年は表舞台避ける 2013年から闘病”. 毎日新聞Web(2019年3月30日 19時32分). 2019年4月3日閲覧。
  59. ^ 柴田惣一 (プロレスtoday編集長) (2019年4月3日). “【編集長コラム】「悼む 北尾光司さん」” (日本語). プロレスTODAY. 2019年5月20日閲覧。
  60. ^ ミスター高橋『知らなきゃよかった プロレス界の残念な伝説』宝島社、2018年。ISBN 9784800289216 pp.132-133
  61. ^ 相撲史を変えた大器の挫折=元双羽黒の北尾さん死去”. 時事ドットコム (2019年3月29日). 2019年11月22日閲覧。
  62. ^ 90s チョベリー90年代〜00年代の芸能ニュースや懐かしの流行を考察!”. www.excite.co.jp (2016年6月2日). 2018年10月14日閲覧。
  63. ^ 『紙のプロレスRADICAL 12号(1998/10/15発行)』
  64. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年12月号p42
  65. ^ 2016年11月場所まで、当時大関の稀勢の里が優勝次点を12回しながら、幕内優勝・優勝同点が皆無だった(更に2016年の稀勢の里は、大相撲史上初となる優勝皆無で年間最多勝の受賞者に)。しかし翌2017年1月場所で稀勢の里は悲願の幕内初優勝を達成し、同場所後に第72代横綱への昇進を果たしている。
  66. ^ 朝日新聞 2019年3月30日 東京本社朝刊18面
  67. ^ 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)P104
  68. ^ 左足母趾第二趾中足趾関節挫傷により9日目から途中休場、13日目から再出場
  69. ^ a b 千代の富士優勝決定戦
  70. ^ 頸部捻挫及び神経根症により7日目から途中休場
  71. ^ 膝関節挫傷・左膝蓋靭帯英語版及び左膝外側側副靭帯損傷により10日目から途中休場
  72. ^ 1988年1月場所前に廃業を表明
  73. ^ ツームストーン・パイルドライバーの一種とされる場合があるが、膝で相手の頭を挟み込まない点が異なる
  74. ^ 光文社新書メールマガジン”. www.kobunsha.com (2015年2月14日). 2018年10月14日閲覧。





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