北尾光司
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北尾 光司(きたお こうじ、1963年〈昭和38年〉8月12日 - 2019年〈平成31年〉2月10日[1])は元大相撲力士で第60代横綱。立浪部屋所属。引退後は総合格闘家、スポーツ冒険家、武道家、プロレスラー[2]等、多くの肩書を名乗った。三重県津市出身。
注釈
- ^ 父親の英才教育を受け、父親と共に毎朝10km程度走り込んでいたという。
- ^ 親方曰く、「(北尾は)怒られると若い衆に八つ当たりするから誰も注意しなくなるし、私に言う人もいなくなる」とのこと。
- ^ この高砂部屋への出稽古で目をかけてもらった高砂が1988年10月に急逝した際、北尾は「廃業事件の際に大変ご迷惑を掛け、深く責任を感じている」という理由で通夜に参列していた。
- ^ 現在大関昇進の基準は「三役(関脇・小結)の地位で直前3場所合計33勝以上」が目安とされている。3場所前北尾の地位は東前頭筆頭と三役でなかったが、1983年5月場所新大関の朝潮)も3場所前が東前頭筆頭ながら3場所合計35勝だった経緯があり、北尾も朝潮同様に満場一致で大関昇進が決まっている。
- ^ 横綱昇進後も本名のままだった力士は帰化によって本名の変わった外国出身力士を除くと、輪島大士のみである。
- ^ 北尾は後年になって「『素質の北尾、努力の保志』とレッテルを貼られ、稽古嫌いと言われ続けたことは非常に心外だった。自分は一生懸命強くなろうと努力したのに誰も評価してくれなかった」と述べている一方、横綱昇進後も本名で取るか、「『白鳳(はくおう)』を名乗りたかった」と語っていた。
- ^ 明治神宮での奉納土俵入りは露払い・高望山、太刀持ち・魁輝が務めている。なお高望山は、北勝海の横綱昇進後に、千代の富士の露払い・太刀持ちに転じている。
- ^ その後に発生した「1横綱6大関」は、2012年5月場所から同年9月場所までの3場所において、横綱:白鵬、大関:琴欧洲・日馬富士・把瑠都・琴奨菊・稀勢の里と、5月場所が新大関の鶴竜。
- ^ 当時、関脇・保志(大関昇進時に「北勝海」と改名)の大関昇進が決定的で、保志が大関に昇進すると6大関と大関が過剰になってしまい番付や取り組み編成に支障が出ると協会が判断したため、北尾の横綱昇進はいわば「ところてん式」(関脇→大関・大関→横綱の地位に押し出される意味の例え)による昇進だった。優勝が無いまま横綱に昇進した力士は過去に源氏山(昇進2場所目から「西ノ海」に改名)と照國が存在するが、いずれも昇進直前場所はその場所で優勝した横綱(源氏山は栃木山、照國は双葉山)と同成績で、2人とも昇進後に優勝している。また、同時に大関に昇進した力士(源氏山は太刀光、照國は名寄岩)がいたが、この時は大関が過剰になるということも無く、むしろ新横綱の誕生で大関が不足する(東西制の時代だったが、このままでは片大関になる)ための同時昇進だった。
- ^ 1987年9月場所後に昇進した大乃国も、東正横綱を一度も経験しないまま土俵を去っている。
- ^ ただし、番付上では琴櫻と同じく横綱在位9場所となる。
- ^ 曲の途中に「Break down Thunder Storm…」というコーラスが入る部分がある。
- ^ ジ・アンダーテイカー、スコット・ホール、マイク・カーシュナーなど。
- ^ サミングではなく、人差し指と中指を突き出した非常に危険な行為である。この時テンタが避けたため未遂に終わった。
- ^ 「八百長発言」が出た1991年4月1日の神戸ワールド記念ホール大会の2日前に、北尾とテンタは同年3月30日の東京ドーム大会で初めてシングルで対戦した。フォール負けを喫した北尾は自身の試合が終わると、同大会の全試合終了を待たずして会場から帰ってしまうトラブルを起こしている。また「八百長」事件後、一部週刊誌の報道によると、この試合で相撲時代の番付では遥かに上だった自分がテンタ相手に「負け役」をやらされた、という不満が募っていたのも事件の引き金になったと指摘している。また天龍・カブキによると、北尾は「負け役」を渋々了承していたが、天龍達に対して不信感・反感を持っていた若松市政やドン荒川などの人物が、北尾を焚き付けたのではないかと証言・推測している。ただしこの件に関して若松や荒川の証言が無いため、その真相は不明である。
- ^ この時。辞表を提出した天龍に対して田中社長は慰留した。
- ^ 当日の第1試合鈴木みのる対アポロ菅原戦でも、両者の技の受け合いが一向に始まらないまま時間が経過し、最後は菅原の試合放棄で決着した。これを含めた当日の試合について社長夫人が控室のレスラーらに向かって叱責した所に、北尾の上記の反応となった。
- ^ 復帰に際して記者会見を行った際に頭を丸刈りにして現れたり、用意した声明文を読み上げる際に丁寧な表現を使うなど、既にそうした態度の一端は窺えた。
- ^ キャンセルとなった事情は明らかになっていない。もちろんキャンセルが確定した後だが、北尾は大会と同日、すなわち真裏で行われた大日本プロレスの戸田市スポーツセンター大会に参戦、8人タッグマッチに出場している。
- ^ 尚2016年11月場所まで、当時大関の稀勢の里が優勝次点を12回しながら、幕内優勝・優勝同点が皆無だった(更に2016年の稀勢の里は、大相撲史上初となる優勝皆無で年間最多勝の受賞者に)。しかし翌2017年1月場所で稀勢の里は悲願の幕内初優勝を達成し、同場所後に第72代横綱への昇進を果たしている。
- ^ 左足母趾第二趾中足趾関節挫傷により9日目から途中休場、13日目から再出場
- ^ a b 千代の富士と優勝決定戦
- ^ 頸部捻挫及び神経根症により7日目から途中休場
- ^ 左膝関節挫傷・左膝蓋靭帯及び左膝外側側副靭帯損傷により10日目から途中休場
- ^ 1988年1月場所前に廃業を表明
- ^ 唯一使った一回は相手からギブアップを奪っているので関節技に分類されている。
- ^ 実際は通常のパワースラムだが、ミスムーヴにより脳天から落ちるような形になった。
- ^ ツームストーン・パイルドライバーの一種とされる場合があるが、膝で相手の頭を挟み込まない点が異なる。
出典
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- ^ a b c d e f g h i j k l m n 光文社新書メールマガジン2015年2月配信分で行われた北尾へのインタビュー。
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- ^ 北尾光司が「急性アルコール中毒」で運ばれた夜 天龍源一郎らの〝洗礼〟に大の字 東スポWEB 2022年11月20日 10:00 (2024年1月24日閲覧)
- ^ “光文社新書メールマガジン”. www.kobunsha.com (2015年2月14日). 2018年10月14日閲覧。
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