荒谷望誉
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荒谷 望誉(あらや のぶたか、1968年3月7日 - )は、神奈川県茅ヶ崎市出身で九重部屋所属の元大相撲力士、全日本プロレス所属の元男性プロレスラー。大相撲時代の四股名及び本名は荒谷 信孝(あらや のぶたか)。選手生活晩年は渕正信、菊タローらと会場を暖める試合を展開し、哀愁を感じさせる貴重な選手だった。
- ^ W★INGプロモーションの興行で、高杉正彦がウルトラセブンとしてリングに上がった際、パートナーとして、このリングネームを使っている。
- ^ バルコニーダイブを行ったのは松永光弘に続いて2人目だが、荒谷は頭から飛び下りている。
- ^ 当初は冬木弘道が率いる『冬木軍』の一員として参戦したが、すぐに正規軍入りしている。
- ^ なお、みのるが居ないときにはなぜか荒谷とブッチャーがよく組み、勝率も非常に高い。
- ^ 。しかし結果はわずか1勝で終わる。しかもその1勝もTARU&ゾディアックの反則によるもので実質は全敗だった。
- ^ 東京スポーツ・2011年5月22日付 5面
- ^ プロレスラーとしては史上初の「退場時のテーマ曲」である。
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