主な力士との幕内対戦成績とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 主な力士との幕内対戦成績の意味・解説 

主な力士(横綱・大関)との幕内対戦成績

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 03:45 UTC 版)

若嶋津六夫」の記事における「主な力士横綱・大関)との幕内対戦成績」の解説

力士名勝負数力士名勝負数力士名勝負数朝潮 20 13 旭富士 9 12(1) 大乃国 10 12(1) 北の湖 8 6 霧島 3 1 琴風 7 16 小錦 2 10 千代の富士 3 25 双羽黒 7 7 北天佑 16 15 北勝海 9 13カッコ内は勝敗数の中に占め不戦勝不戦敗の数) 「昭和大横綱」と呼ばれた北の湖とは、北の湖引退間際時期であったこともあって、優位に立っていた。2度優勝はいずれ千秋楽前に北の湖勝って決めている。 反面北の湖同じく昭和大横綱」だった千代の富士には全く相性悪く28回の取組中僅か3勝と一方的な対戦成績だった。それでも1985年3月場所では、若嶋津星1つの差で追う千代の富士左四つがっぷり力相撲の末、下手投げ倒した館内大騒ぎであった若嶋津本人生涯最高の相撲自賛するほどで、大相撲史上に残る大熱戦だった。続く5月場所でも、千代の富士優勝決定後取組ではあったが、前場同様に左四つ右上手の体勢持ち込んで寄り切り連勝千代の富士両国国技館での初黒星をつけた。 また横綱双羽黒にも当初は7勝3敗と得意にしていたが、その後4連敗喫して互角成績に。ほか、のちに横綱昇進した北勝海大乃国には、共に力関係逆転して負け越している。さらに、のち横綱旭富士にも1985年9月までは9勝1敗とカモにしており、旭富士突っ張りにも動じず上手く組みとめていたが、その後簡単に土俵を割ることが多くなり、1985年11月以降引退まで10連敗喫してしまった。 大関では、朝潮対戦成績では7つの差で勝ち越しライバル視されていた北天佑とはほぼ互角成績だった。 その他大関では、琴風小錦大の苦手にしており、結果的に千代の富士琴風小錦対す成績不振横綱昇進遠ざけたという声も少なくない。もともと痩せ型で、大関昇進後も「もっと胸厚くしないと四つに組んだときに不利」と親方から言われていたが、思うよう体重増えず、特に大型力士には自分分の四つに組んでも分が悪かった若嶋津引退後大関成った霧島幕内での初対戦1984年7月場所14日目、前日若嶋津13全勝2度目幕内優勝決めた翌日実現。この取組では若嶋津送り出しで勝ち大関面目保った。だが、優勝決めた翌日相手新入幕で、さらに同期入門1975年3月場所)で同郷鹿児島県出身霧島とあってさすがに若嶋津本人は「やりにくかった」と後年語っている。なお霧島とは4回の取組中3勝したが、その内1敗は1985年11月場所9日目で、当場所での若嶋津は3勝12敗と絶不調だった。 関脇以下では、怪力誇った出羽の花に対しても、1415敗と苦手としていた。また現役晩年には、益荒雄初顔から4連敗一度勝てず、その益荒雄戦を最後に引退となった

※この「主な力士(横綱・大関)との幕内対戦成績」の解説は、「若嶋津六夫」の解説の一部です。
「主な力士(横綱・大関)との幕内対戦成績」を含む「若嶋津六夫」の記事については、「若嶋津六夫」の概要を参照ください。


主な力士(横綱・大関)との幕内対戦成績

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 09:59 UTC 版)

武双山正士」の記事における「主な力士横綱・大関)との幕内対戦成績」の解説

力士名勝負数力士名勝負数力士名勝負数6 22 朝青龍 3 12 魁皇 17 31(2) 霧島 1 1 琴光喜 7 10 小錦 2 1 貴ノ浪 25 24 貴乃花 11(1) 26 千代大海 14 10(1) 栃東 7 18 白鵬 0 2 若乃花 11 14カッコ内は勝敗数の中に占め不戦勝不戦敗の数。太字白鵬2021年現在現役力士

※この「主な力士(横綱・大関)との幕内対戦成績」の解説は、「武双山正士」の解説の一部です。
「主な力士(横綱・大関)との幕内対戦成績」を含む「武双山正士」の記事については、「武双山正士」の概要を参照ください。


主な力士(横綱・大関)との幕内対戦成績

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 05:05 UTC 版)

朝潮太郎 (4代)」の記事における「主な力士横綱・大関)との幕内対戦成績」の解説

力士名勝負数力士名勝負数力士名勝負数旭國 1(1) 0 旭富士 5 22 大乃国 13 18 魁傑 1 0 北の湖 13 7 霧島 6 0 琴風 10 16* 隆の里 14 12 貴ノ花 4(1) 5 千代の富士 15 31** 双羽黒 4 12 北天佑 25 16 北勝海 11 15 増位山 5 7 三重ノ海 0 3 若嶋津 13 20 2若乃花 6 9 輪島 2 6カッコ内は勝敗数の中に占め不戦勝不戦敗の数) 他に優勝決定戦千代の富士に2敗、琴風に1敗がある。 隆の里とは通算で2勝勝ち越しのほぼ互角成績で、勝った思ったら、翌場所は負けるといった勝敗繰り返し目立ち因縁めいた対決見物であった北天佑朝潮引退するまで、同じ大関として名勝負繰り広げていた。 但し、苦手力士も多々存在した琴風とは優勝争ったこともあり、成績では負け越したものの、時々豪快に勝つこともありファンを湧かせ、苦手というよりはむしろライバル的な顔合わせであった。だが、「昭和大横綱千代の富士大関昇進して以降は、殆ど勝てなくなったまた、後から出てきて横綱昇進果たした北勝海大乃国には2人大関時代辺りから力関係逆転され、さらに双羽黒近畿大学後輩旭富士2人には共に大きく引き離されてしまい、双羽黒には初顔敗れてから分が悪く旭富士にはその柔らかさを苦手にした。この4人全員揃って年齢差体格違いからも勝つことが難しかったようだ。他にも下位力士不覚を取ることが日常茶飯事で、元関脇琴ヶ梅には5勝10敗、元関脇栃乃和歌には3勝5敗と負け越すなど、成績安定感欠ける面があり、優勝1回だけで2勝利意外と少なかった。 対千代の富士戦の幕内15勝は勝ち越し隆の里次いで多い。

※この「主な力士(横綱・大関)との幕内対戦成績」の解説は、「朝潮太郎 (4代)」の解説の一部です。
「主な力士(横綱・大関)との幕内対戦成績」を含む「朝潮太郎 (4代)」の記事については、「朝潮太郎 (4代)」の概要を参照ください。


主な力士(横綱・大関)との幕内対戦成績

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 08:39 UTC 版)

北天佑勝彦」の記事における「主な力士横綱・大関)との幕内対戦成績」の解説

力士名勝負数力士名勝負数力士名勝負数朝潮 16 25 旭富士 16 22 大乃国 14 22 霧島 4 8 琴風 12 12 小錦 17 13 隆の里 8 13 千代の富士 14 33 双羽黒 3 14 北勝海 18 17 若嶋津 15 16 2若乃花 3 2 一旦はカモにした横綱千代の富士とは、上述通り1984年不戦勝を含む5連勝記録したほか、大関昇進以前から対戦成績拮抗していた。しかし2度目優勝をした1985年7月所以降、約3年間(不戦勝を除く)は勝てなくなった。それでも千代の富士14勝は、横綱隆の里16勝(12敗)、大関朝潮15勝(31敗)に次ぐ勝ち星である。 横綱隆の里大乃国双羽黒旭富士大関朝潮霧島にはそれぞれ通算成績では負け越している。逆に横綱2代若乃花北勝海大関琴風若嶋津の4力士はほぼ互角で、大関小錦は4勝差勝ち越している。特に北勝海小錦に対しては、2人大関昇進以前大きく勝ち越していた。

※この「主な力士(横綱・大関)との幕内対戦成績」の解説は、「北天佑勝彦」の解説の一部です。
「主な力士(横綱・大関)との幕内対戦成績」を含む「北天佑勝彦」の記事については、「北天佑勝彦」の概要を参照ください。


主な力士(横綱・大関)との幕内対戦成績

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 09:15 UTC 版)

北尾光司」の記事における「主な力士横綱・大関)との幕内対戦成績」の解説

力士名勝負数力士名勝負数力士名勝負数朝潮 12 4 旭富士 12 6 大乃国 5 5 北の湖 1 0 琴風 2 1 霧島 2 0 小錦 9 7(1) 隆の里 2 0 千代の富士 6 8** 北勝海 9 8 北天佑 13 3 若嶋津 7 7 千代の富士には他に優勝決定戦での2敗がある。 (カッコ内は勝敗数の中に占め不戦敗の数)

※この「主な力士(横綱・大関)との幕内対戦成績」の解説は、「北尾光司」の解説の一部です。
「主な力士(横綱・大関)との幕内対戦成績」を含む「北尾光司」の記事については、「北尾光司」の概要を参照ください。


主な力士(横綱・大関)との幕内対戦成績

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 06:40 UTC 版)

大乃国康」の記事における「主な力士横綱・大関)との幕内対戦成績」の解説

力士名勝負数力士名勝負数力士名勝負数2 1 朝潮 18 13 旭富士 26 10 北の湖 3 3 琴風 8 3 霧島 6 8 小錦 13 15 隆の里 6(1) 4 貴花田 1 0 千代の富士 9 23 双羽黒 5 5 北天佑 21 13 北勝海 20(1)* 14 若嶋津 12(1) 10 若花田 1 0 他に優勝決定戦北勝海に1勝がある。 (カッコ内は勝数の中に占め不戦勝の数)

※この「主な力士(横綱・大関)との幕内対戦成績」の解説は、「大乃国康」の解説の一部です。
「主な力士(横綱・大関)との幕内対戦成績」を含む「大乃国康」の記事については、「大乃国康」の概要を参照ください。


主な力士(横綱・大関)との幕内対戦成績

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 06:29 UTC 版)

琴風豪規」の記事における「主な力士横綱・大関)との幕内対戦成績」の解説

力士名勝負数力士名勝負数力士名勝負数朝潮 16* 10 旭國 0 8 旭富士 4 4(1) 大乃国 3 8 魁傑 1 3 北の湖 3 20 霧島 1 1 小錦 2 3 隆の里 18 13 貴ノ花 4 8 大受 1 0 千代の富士 6 22 双羽黒 1 2 北天佑 12 12 北勝海 4 5 増位山 7 3 三重ノ海 6(1) 4 若嶋津 16 7 2代若乃花 7 13 輪島 3 8カッコ内は勝敗数の中に占め不戦勝不戦敗の数) 他に優勝決定戦朝潮に1勝がある。 琴風活躍した時代には様々な強豪がいたが、琴風下位力士強く上位との対戦多少強いられても十分勝ち越す実力があった。ライバルには朝潮北天佑などが居た若嶋津隆の里との対戦琴風大きく勝ち越すなど、上位にも通用する強さがあった(但し、隆の里との対戦で分が良かったのは優勝をした1983年1月場所までであり、この時点17勝4敗だったが、1983年3月場所以降は1勝9敗とほとんど勝てなくなってしまった)。 一方北の湖には23回の取組中僅か3勝と大きく負け越し。この3勝は平幕時代挙げた金星であり、大関昇進後は全く勝てなくなってしまった。千代の富士に対して初顔合わせから5連勝していたが、千代の富士琴風対策を練るために佐渡ヶ嶽部屋出稽古に来るようになり、6度目対戦千代の富士に初黒星喫して以降力関係逆転して全く勝てなくなってしまった(特に千代の富士大関昇進後琴風2度目優勝飾った1983年1月場所での1勝のみ)。なお、琴風千代の富士三番稽古千代の富士横綱昇進後3年ほど続き琴風にとっても地力強化もたらす貴重な財産となった1984年から引退する1985年まではあまり目立った活躍とは言えなかったが、蔵前国技館行われる最後の場所となった1984年9月場所では、入幕2場所目ながら「殺人突っ張り」で上位陣を次々と破る大活躍を見せていた小錦千秋楽打ち負かした。 しかしのちに横綱・大関昇進した大ノ国(のち大乃国)とは3連勝の後8連敗喫した。ほか旭富士保志(のち北勝海)・小錦霧島北尾(のち双羽黒)とも、それぞれ互角もしくは負け越しと、分の悪い成績となった

※この「主な力士(横綱・大関)との幕内対戦成績」の解説は、「琴風豪規」の解説の一部です。
「主な力士(横綱・大関)との幕内対戦成績」を含む「琴風豪規」の記事については、「琴風豪規」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「主な力士との幕内対戦成績」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「主な力士との幕内対戦成績」の関連用語

主な力士との幕内対戦成績のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



主な力士との幕内対戦成績のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの若嶋津六夫 (改訂履歴)、武双山正士 (改訂履歴)、朝潮太郎 (4代) (改訂履歴)、北天佑勝彦 (改訂履歴)、北尾光司 (改訂履歴)、大乃国康 (改訂履歴)、琴風豪規 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS