大関昇進後とは? わかりやすく解説

大関昇進後

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照ノ富士春雄」の記事における「大関昇進後」の解説

大関昇進直後2015年6月行われた弥彦村村おこしイベントで「どんな大関なりたいか?」と質問され照ノ富士は、「どんな大関ではなく、上を目指していますから。」 と答え更なる昇進への意欲示した大関昇進伝達式でも「さらに上を目指し精進いたします」と口上述べていた。 2015年7月場所は新大関として初登場初日から6連勝好調だったが、7日目豪栄道敗れ黒星9日稀勢の里に勝ち8勝1敗と勝ち越したが、その後11日目白鵬12日目に鶴竜の両横綱敗れて優勝争いから脱落千秋楽大関角番脱出賭ける7勝7敗の琴奨菊立合い変化され勝ち越し許し結果11勝4敗の成績だった。元大関鳴戸琴欧洲)・二子山雅山)・藤島武双山)各親方らは、照ノ富士新大関場所に「100点満点、十分の内容大関昇進多忙となる中、硬くなる初日勝てたのは大きい。大関責任果たした」と称賛。但し玉ノ井親方栃東)は「優勝逃したので90点。今後最後まで優勝戦線に加わって欲しい」と奮起促していた。 2015年9月場所横綱白鵬3日目から途中休場となる中、初日から一人11連勝していた。しかし12日目の栃煌山戦で初黒星、翌13日目の稀勢の里戦で寄り倒された時、右膝を負傷14日目の豪栄道戦に強行出場するもあっさり寄り切られ3連敗。それでも千秋楽結びの一番では、過去4戦4敗だった単独トップ横綱鶴竜寄り切って勝利12勝3敗同士優勝決定戦へもつれ込んだが、鶴竜上手出し投げ敗れて2回目幕内優勝はならなかった。場所後の精密検査で「右膝の前十字靱帯損傷外側半月損傷などで1か月加療要する」との診断書下され秋巡業休場。また翌11月場所照ノ富士の綱獲りについて北の湖理事長は「優勝又は13勝以上ならともかく、12勝の優勝同点では軽過ぎる」と否定的な意見表明した2015年11月場所、右膝の怪我完治しない強行出場する9日目の大関稀勢の里戦で4勝5敗と黒星先行その後12日目・豊ノ島戦で敗れるも、13日目の横綱鶴竜戦で叩き込んで7勝6敗とし、翌14日目に日馬富士優勝争った横綱白鵬大相撲の末寄り切り、ようやく勝ち越し結果9勝6敗で取り終えたが、同2015年年間最多勝6525敗)は、白鵬661212休)に僅か1勝届かず受賞逃した2016年1月場所、4日目碧山戦で寄り切り勝った際に右肩負傷した5日目旭秀鵬戦では右腕が全く使えないまま寄り切られ苦悶表情浮かべる。翌6日目栃煌山戦は不戦敗、右鎖骨骨折全治不明)により自身初土俵以降初めての休場となった1月18日には以前から傷めている左膝の内視鏡手術決行次の3月場所は、自身初の大関角番となった3月場所も膝の状態は完全ではなく中日までに平幕相手に3敗を喫する苦しい場所となったが、12日目に鶴竜下しなんとかカド番脱出した。しかし、その後は3連敗で8勝7敗で取り終えた5月場所は膝の状態が3月場所よりも悪く初日から2連勝した後は格下相手踏ん張りが効かず6連敗となった続けて2横綱にも敗れ10日目にして次場所での2度目カド番決まったその後連敗続き1968年秋場所豊山以来48年ぶりの大関1場所10連敗記録した。さらに翌日大関琴奨菊にも敗れ大関として69年ぶりとなる同一場所での11連敗喫した。これは年6場所15日制定後で初めての事態となった不戦敗休場含まない場合)。15日以前でも相撲協会広報部によると年2場所の47年11月場所11日制で11全敗した大関名寄岩例のとのこと途中休場ありの一場15日制の記録では年3場所の51年春場所途中3日間の休場挟んで12連敗12敗3休み不戦敗あり)した汐ノ海に次ぐ記録となった。そして11連敗翌日大関豪栄道押し出され不戦敗休場無しで汐ノ海と1946年11月場所47年11月場所名寄岩休場あり)の2人大関連敗歴代ワースト記録並んでしまった。連敗のまま迎えた千秋楽関脇琴勇輝押し出し敗れ皆勤大関歴代ワースト記録更新する13連敗記録してしまった。さらに大関一場皆勤13敗は2009年3月場所の千代大海に並ぶ歴代ワーストタイ記録になった照ノ富士記者に「強い大関と言われたこともあるが、これで弱い大関とも言われる。ずっと負けていたら楽しくない」「こういう時でも応援してくれる人がいるのはうれしい。いい時もくる。来場所を見てください」と語っていた。 2度目角番迎えた7月場所初日白星記録し先場所からの連敗止めその後4連勝記録した。しかし、その後3連敗喫したその後8日目豪栄道勝利し連敗止める翌日から再び連敗11日目から白鵬勝利するなど連勝するも再び13日目から連敗14日目の敗戦後しょうがない。できることをやって、できないものはいい」と現状受け入れ千秋楽に先場所敗れており、ここまで7勝7敗の同じく勝ち越しをかける魁聖との対戦伝えられる「大丈夫」自分言い聞かせていた。そして、迎えた千秋楽魁聖小股掬い勝利し大関地位保持した照ノ富士は「今場所は長かった来場所はけがを治してまた」と安堵様子だった。 9月場所は、初日嘉風黒星するもその後連勝し隠岐の海敗れた物言いはついたが軍配通り敗れた。)あと、再び連勝と4勝2敗で白星先行していた。しかしその後7日目から長期連敗し、この場所で幕内全勝優勝果たした豪栄道等に何も出来ず負けるなど精彩を欠く相撲目立ち12日目に碧山押し出し敗れ6連敗負け越しとなった。これにより来場所は自身3度目角番となる。また取組後、過去10全勝碧山に何もできず負けたことについて「弱くなってるな、俺」と語った。さらにそのまま連敗続け横綱鶴竜寄り切り敗れ8連敗10敗目を喫し結局千秋楽立合い変化する寄り切り稀勢の里敗れて9連敗の4勝11敗で場所を終えた11月場所2016年内で3度目角番となるが、同一年内に角番を3場所経験するのは、2005年魁皇千代大海以来10月14日秋巡業豊橋場所では高安錦木貴ノ岩22番取って6勝と不調で、特に高安には12連敗喫した迎えた11月場所初日は、嘉風つり出し敗れ大関2度目10連敗記録した。その翌日敗れ11連敗まで記録伸びてしまうが3日目隠岐の海勝利しようやく連敗止めその後復調し8日目には大関琴奨菊危なげなく寄り切りで倒すなど6連勝する。さらに翌日魁聖上手投げ勝利で7連勝九州入り後は状態も上向き思い切って相撲を取れている」と自信見せ、2敗をキープし優勝争いに絡むも全勝だった横綱鶴竜敗れ連勝ストップ翌日豪栄道にも敗れ優勝争いから脱落する12日目に横綱白鵬勝利し勝ち越し決め角番脱出した。だが、終盤3連敗しそのまま8勝7敗で場所を終えたこの年勝ち越し全て8勝7敗で年間通じて成績3348敗9休勝率.407、11連敗以上2回と膝の故障苦しめられた年となった休場ありでの48敗はこの年もっとも黒星記録した平幕佐田の海51敗に3敗差でこの年大関では当然ワーストだった。さらにこの年勝ち星33勝は6場所全て幕内にいた力士では最小照ノ富士は「つらく、苦しい年だった。大関から落ちてもおかしくない状態だった」と話した。だが11月場所は力なく押し出される場面少なくこれだけ相撲取れるんだから、前よりはちょっとずつ良くなっている」と膝の状態が上向いていることも証明したまた、12日目から熱が出た病気とけがが一気集まってきた。よくこんな体で耐えられたと感じる」と勝ち越してからは発熱などで怪我と共に二重の苦労があったことも明かしていた。しかし、冬巡業古傷の左膝半月板の状態が思わしくなく相撲を取れない状態で帰京余儀なくされ「なかなか治らない。筋などを切っているのでなかなか力が入らない」とため息をついていた。 2017年1月場所も初日から連敗し、先場所からの連敗は5まで伸びてしまうが3日目勝利しようやく連敗止める翌日から再び連敗その後再び連敗止めるとそこから3連勝記録した。だが、その後再び連敗し4連敗12日目に負け越し確定し、これにより来場所は自身4度目角番となった。この場所は大関琴奨菊角番負け越し大関陥落自身来場角番となる負け越しについて照ノ富士は「何とも言えない。弱いから負けたでしょう」と元気が無かった結局その後連敗止まらず7連敗で4勝11敗で場所を終えた大関11場所目で4回目角番最速記録4度目カド番迎えた3月場所初日から5連勝好調で、6日目高安敗れるものの9日目に勝ち越して角番脱出した11日目には2015年9月場所以来となる二桁勝利を記録した照ノ富士は「下がると怖い。無理してやっている」と打ち明け地道にトレーニングなどを重ね痛みはあるが、先場所より稽古できているし、動けている。我慢できている」と手応え話していた。さらにその後白星重ね14日目には自己最多タイ13勝目記録し優勝王手をかけた。先場所の負け越し大関から関脇陥落した琴奨菊大関復帰阻止した千秋楽に、13日目に負傷している稀勢の里戦で勝てば11場所ぶり2回目優勝という、絶対的に有利な立場にあったが、左への変化こそ堪えたものの捕まえきれないまま前に出たところに繰り出され突き落とし餌食になってしまい、優勝決定戦持ち込まれた。さらに優勝決定戦今度立ち合いからすぐにもろ差し決まって万全の態勢で一気に出るが、土俵際決死小手投げ食らって叩きつけられてしまい、手負い相手連敗して逆転されるという悪夢のような展開で、すぐそこまで迫っていた優勝は手からすり抜けていった照ノ富士は「この場所準優勝なら来場綱取りになるのか?」と報道陣聞いたりしていたが 1月場所は4勝11敗の負け越しなど不安定な成績であったため、5月場所での綱取りの声は上がらなかった。北村正任横審委員長も「内規絶対的なものではない。準優勝優勝上げるなら横審いらない。(成績が)安定しない議論ならない」と長期的視点必要性説いている。場所後の3月31日14日目の相撲で変化をして勝ったことから「モンゴル帰れ」という野次受けたことに関して日本相撲協会日本政府から事実関係などの問い合わせ受けたことが、協会関係者の話で分かった関係者によると、協会は、当該野次事実として確認するのは困難とした上で円滑な競技進行や安全で平穏な観戦確保目的とした「観戦契約約款に基づき今後来場者対応していくと回答したという。照ノ富士優勝争い古傷の左膝が悪化。場所後にモンゴル帰国し治療リハビリ専念し4月17日東京靖国神社奉納大相撲春巡業復帰したまた、膝の状態について「体調徐々によくなっている。モンゴルでは入院して治療していた」「休んで治らない稽古しながら休まず徐々に鍛えた方がいい。相撲取りなので」としていた。 5月場所初日から遠藤玉鷲連敗喫した2日目取組後には「…。体の動き? 見ての通りだよ」と不調アピール。しかし、その後復調し8連勝するなど先場所から続く好調維持し10日目には勝ち越し記録したその後連勝続け10連勝記録した。しかし、この日の正代破った際に古傷の左膝を痛めてしまう。翌日出場さえ危な状況だったが12日目は栃煌山右足一本踏ん張って小手投げ逆転勝利自己最多タイ11連勝支度部屋では腫れた膝を出しながら「大丈夫。思いきって相撲取れている」と話した。だが、優勝争いしていた白鵬との直接対決敗れ優勝許してしまった。左膝の状態は悪化しているが「優勝争いをしていたから、最後まで取り続けないと」と言い千秋楽も「当たり前」と出場宣言していた。また、千秋楽もうどうでもいい。優勝ないじゃん。優勝しないと意味ない? うん」と終戦宣言していたが千秋楽大関取りだった高安小手投げ倒し結局この場所12勝3敗の優勝次点終えた。2場所連続12勝以上は大関取りだった2015年以来となった。場所後に古傷の左膝の遊離軟骨除去する内視鏡手術を受け、徐々に良くなっていると語っていた。 7月場所は、稽古はおろか蹲踞ままならない状態で挑み初日から不調連敗3日目勝利するも再び連敗。1勝4敗と苦しみ5日目の4連敗中だった小結琴奨菊戦の敗北した取組手術した左膝を再び痛めてしまい、6日目から休場した6日目正代戦は不戦敗。詳しい症状は左半月板損傷で約7週間加療であり、来場所の出場さえ厳しいほどの重症であったまた、来場所は歴代ワースト8位、自身5度目角番となる。照ノ富士入院し夏巡業全休治療専念するという。9月場所出場は無理と見られていたが全休した夏巡業の間に「1日3度治療2度トレーニング」を繰り返し回復進めた成果出て動ける体になってきた。膝もほぼ治ったし、この2年で一番いい」と明るく話し優勝目指し頑張る。順調に上げていきたい」と自信様子見せていた。 9月場所5度目カド番東大関2で迎えた。しかし、初日から連敗し不安視されている膝の状態などは良いしながらも、怪我をする前の状態に戻ったことに体がなれていないなどと言っていた。結果伴わない事態に「自分でも分からないですね。しっかりと一番一番やるだけです」と気合を入れた。3日目にようやく白星をあげるが4日目から再び連敗。さらに5日目取組で再び膝を負傷してしまう。土俵下でも左膝を曲げられ帰り付け人に肩を貸してもらい、記者照ノ富士前に出たときに痛めた「膝がズレた」と呟いていた。今後出場も「まずどうなってるか、みてからです」と悔しそうな表情だった。翌日になっても膝の炎症がおさまらず「左膝半月板損傷で約2週間加療要する見込み」との診断書提出し休場した5日目終えて1勝4敗で伊勢ケ浜親方は「昨夜痛み取れて出られる思ったが、朝になって歩けない。今の状態では再出場は無理ではないか」と話していた。6日目正代戦は不戦敗となったその後、同場所9日目の時点大関で2場所連続負け越しとなり、14所務めた大関から陥落決定した角番制度となった1969年名古屋場所以降では2017年春場所の琴奨菊以来17人目20例目)。

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大関昇進後

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正代直也」の記事における「大関昇進後」の解説

11月場所に際しては「あまり20代最後意識しないように、できるだけ若々しい相撲を取れたらと思う」と語っていたが、3日目髙安戦で足首痛め5日目休場願い出た左足首の靱帯損傷で約3週間安静加療要するという。11月場所後の30日、「(完治は)そこまで初場所)にはさすがに間に合うと思う。勝ち越せればいい」と再起誓い、この日はテーピング左足首を固定し負荷抑えた四股すり足行った患部の状態については「歩く分には痛みないですね。普通に四股を踏むだったら痛み感じない。足の位置変えずに体をひねったりして、足首ねじれる感じするとちょっと痛み出ますね」と説明12月11日都内時津風部屋四股すり足基本運動ゴムチューブなどを使った上半身トレーニング入念に行った相撲を取る稽古再開について「体と相談して決める」と慎重な姿勢示した部屋付き井筒(元関脇豊ノ島)は「(けがは)相撲人生を左右するものではない。けがよりもプレッシャー。よくネガティブなことを言っているけど、これを乗り切る強い気持ちはあると思う」と期待寄せた22日部屋幕下以下10番相撲を取って全勝しとりあえ痛み感じない」と怪我調子語った2021年1月4日部屋豊山10番ほど取った202011月場所負傷した左足首は「前に出る分には怖いことはない」という状態まで改善している。

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大関昇進後

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琴光喜啓司」の記事における「大関昇進後」の解説

新大関同年9月場所優勝期待されたが10日目までに4敗を喫して優勝争いから脱落10勝5敗に留まった。翌11月場所前に胆石患っていることが判明し稽古不足となった千秋楽に既に優勝決めていた横綱白鵬を破るなど10勝5敗の成績挙げる。場所後に胆石除去手術行ったこの年2007年)は年間63勝をあげ、年間最多勝白鵬74勝)に次いで第2位となる勝ち星をあげた。 2008年1月場所はその手術による影響もあってか千秋楽に8勝7敗と勝ち越し3月場所初日から3連敗スタート8日目では2勝6敗と苦しい星勘定となる。それでも、13日目に横綱朝青龍上手出し投げ破り、対朝青龍戦の連敗記録28ストップさせ、千秋楽に8勝7敗で勝ち越し決めた。翌5月場所2日目から11日目まで白星黒星交互続いて波に乗れなかった。13日目に横綱白鵬に勝ち琴欧洲援護射撃見せ場作ったものの、3場所連続千秋楽勝ち越しで8勝7敗に終わったこの年行われた初めてのモンゴル巡業乗り継ぎ先のソウル急性虫垂炎診断され巡業不参加となった(後に病名尿管結石訂正された)。 大関として初め迎えた地元7月場所白鵬全勝許したものの優勝次点11勝4敗という成績だった。翌9月場所13日目まで11勝2敗と優勝争い加わったが、14日目に魁皇敗れて優勝争いから脱落して11勝4敗。11月場所終盤の3連敗で9勝6敗に終わったこの年10月一つ年上の女性と結婚翌年4月挙式・披露宴行った2009年1月場所は、場所直前痛風による右足首の痛み訴え3日入院稽古がほとんど出来なかった。その影響序盤から黒星続き10日目朝青龍敗れ2勝8敗、大関昇進後初めての負け越し決定2005年9月場所から2008年11月場所まで続いた幕内連続勝越し記録20場所でストップした12日目から治療のため不戦敗対戦相手白鵬不戦勝)・途中休場に。翌3月場所自身初の大関角番となるが、12日目に朝青龍破り13日目に勝ち越して角番脱出果たしたが8勝7敗。5月場所も7勝2敗から5連敗し千秋楽にようやく勝ち越しの8勝7敗に終わる。 地元7月場所初日から5連勝し11日目無敗白鵬破って優勝争いトップに並ぶが、その後連敗して脱落。それでも5場所振りの2勝利となる12勝3敗の好成績だった。翌9月場所大関になってから最高となる初日からの7連勝記録11日目まで9勝2敗と優勝争い加わったものの、その後4連敗喫して9勝6敗に留まった。次の11月場所13日目で朝青龍勝利して勝ち越したが、その後白鵬魁皇連敗して結局8勝7敗に終わったこの年本割決定戦合わせても7敗しかしなかった横綱白鵬に、唯一勝った日本人力士琴光喜である。 11月場所11日目には、前の9月場所11日目続いて千代大海戦で不戦勝記録する。なお、同一相手に2場所連続不戦勝となったケースは、力道山前田山1948年5月場所10月場所、1949年1月場所と3場所連続不戦勝1948年10月場所は前田山取り直しの一番に上がれずに力道山不戦勝となって以来60年ぶりで、年6場所制になってからは史上初の珍事となった2010年1月場所は、大関昇進後初の初日から4連敗喫してしまう。5日目初白星挙げた7日目までに6敗と振るわず、「左足親指関節亜脱臼全治2週間」により8日目から途中休場。翌3月場所自身2度目角番となった3月場所11日目に8勝目挙げて角番脱出したがやや不振で9勝6敗で終わった。翌5月場所も9勝6敗だったが、結果的にこれが琴光喜にとって現役最後の出場場所となる。

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大関昇進後

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髙安晃」の記事における「大関昇進後」の解説

6月5日本格的な稽古再開本人によれば3日稽古場軽く汗を流したという。5日相撲取らずすり足をしたり、若手に胸を出したりした。当面基本運動体幹強化努め方針で「激し稽古をしても、壊れない体をつくりたい」と説明した5月夏場所千秋楽大関照ノ富士小手投げ屈した際に右肘を痛めたが「もう治った」と問題がないことを強調した6月26日7月場所番付発表がされ、番付上に大関として髙安の名前が載った初土俵から所要73場所での大関昇進はこの時点史上9位のスロー記録7月場所目標としては「ここから上(横綱)を目指すには優勝必要になるしっかりと15日間、堂々と相撲を取って優勝したい」と語った7月場所3日目11日相撲ジャーナリスト荒井太郎が「場所前の稽古調子良かった大関高安関が、13勝で優勝する予想している」と述べており、実際10日目勝ち越し決めるなどここまでは順調であったが、11日目から14日目まで黒星続き途端に崩れた千秋楽豪栄道戦では勝って連敗を4で止めたが、9勝6敗とやや振るわなかった。なお、この場所の初日には初顔北勝富士敗れており、2009年11月場所の日馬富士(対嘉風以来昭和以降4回目となる新大関初日初顔敗れた記録となった新大関初顔相手対戦10例目)。この日には豪栄道照ノ富士相次いで敗れており、初日に3大関全員に土がついたのは1978年9月場所以来の、三重ノ海旭國貴ノ花以来2017年8月2日夏巡業富山場所では体調不良稽古土俵に上がらなかったものの、19日札幌場所では錦木と、時間の関係でストップがかかるまで計16番三番稽古行った前日阿武咲相撲を取るなど横綱大関陣でただ1人連日稽古。「自分はやらないダメになる。どんな状況もやらないと、巡業生活リズム悪くなる」と当然のように話した支度部屋でも貴ノ岩らとキャッチボール興じて汗かきますね」。力が有り余っている様子だった。 9月場所初日白星。しかし2日目玉鷲戦で玉鷲激し突き押し防戦一方となり、半身になって右足一本土俵残ろうとした際右太もも痛めた髙安負けて礼を行おう土俵戻ったが既にこの時は足を引きずっており、その後車椅子相撲診療所向かったその後高安は「右大腿筋損傷」の診断書相撲協会提出して休場3日目北勝富士戦は不戦敗秋巡業全休した高安は、その間治療並行してトレーニング行ったギプス外れて松葉づえなしで歩けようになったのは10月上旬10月31日福岡県大野城市田子ノ浦部屋九州場所稽古場稀勢の里稽古行い、1勝10敗と稀勢の里復調印象付ける結果となった大関3場所目でいきなり角番となった高安だが「気楽にやる。切羽詰まってやると、自分相撲取りきれない。今場所がダメなら来場所、という気持ちでやる」といい、今後出稽古見据えて調整していく方針示した歩けようになった時期が遅いだけに、場所前の相撲雑誌記事では11月場所での活躍可能性は薄いと見られていた。 11月場所は初の角番だったが3日目阿武咲戦で相手が足を滑らせる幸運な白星収めたこともあって11日目勝ち越し決める。しかし12日目の取組負傷13日目から「右内転筋損傷で3週間程度加療要する」との診断書提出して休場した13日目の豪栄道戦は不戦敗田子ノ浦によると「先場所と同じところを痛めた。歩くことはできるものの、相撲を取るのは厳しい。最後まで出てほしかったが、ここでけがが長引いて悪化したらいけないと判断した」という。大関として真価が問われる2018年1月場所は7日目まで4勝3敗と前半もたついたものの、残り全て勝って12勝3敗と自身初となる大関での二桁白星を果たすと同時に2差だが優勝次点記録。続く3月場所初日から連敗してしまうもその後12日目まで連勝し、2敗で優勝争い。しかし12日目に千代丸敗れ連勝ストップ優勝逃してしまう。しかし、その後は再び連勝し千秋楽取り直しとなった一番で横綱鶴竜倒し12勝3敗で2場所連続優勝次点記録した4月3日春巡業堺場所では三番稽古阿炎正代関脇御嶽海と計12番取って11勝。 5月場所は、初日より「左上三角筋部分断裂で約3週間安静加療要する」との診断書とともに休場届け出た2度目角番迎えた7月場所は、立ち合い馬力戻っておらず序盤黒星喫し12日目に勝ち越し、9勝6敗で終えた8月31日行われた横綱審議委員会稽古総見腰痛などで回避したが、9月2日時津風部屋への出稽古では部屋豊山同じく出稽古来ていた朝乃山相撲合計19番取り14勝した。髙安本人稽古には「8分目くらいでしょう」とコメントした9月場所では初日から7連勝8日目正代敗れて黒星も、9日目に勝ち越し10日目には同じ1敗の豪栄道勝利したものの、翌日全勝白鵬敗れて2敗に後退その後11勝まで星を伸ばした14日目、千秋楽連敗して優勝とはならなかった。 11月場所7日目までに2敗を喫するその後順調に星を伸ばしていき、10日目勝ち越し12日目に二桁勝利を挙げる14日目には1敗の貴景勝逆転勝利し2敗で並ぶ。千秋楽貴景勝が既に13勝目挙げ自身勝利すれば決定戦となったが、長い相撲の末にすくい投げ御嶽海敗れてまたしても優勝逃してしまう。それでも自身最多タイ12勝3敗で場所を終えた2019年1月場所は、9日目を終えて4勝5敗であった終盤巻き返し、9勝6敗。場所後の2月10日行われた大相撲トーナメント初優勝した。決勝戦嘉風寄り切った髙安優勝賞金250万円使い道について「体に投資します」とコメントした3月場所は、3日目黒星も、安定した相撲内容で、9日目に勝ち越しその後横綱鶴竜からしか白星挙げれず失速したものの、2場所ぶりの2白星となる10勝5敗で場所を終えた千秋楽に腰を痛めたため、途中から参加する運びとなった4月18日春巡業足立場所では栃煌山三番稽古行い、5勝4敗とあまり調子が上がらなかった。26日青梅場所では逸ノ城との三番稽古で7勝1敗と調子上げた。ところが5月6日横綱審議委員会稽古総見では、白鵬を除く三役上の力士との申し合いで5勝11敗と不調伝えられた。 5月場所は、初日呆気なく破れると、6日目までに平幕に対して3敗。7日目から4連勝する12日目に5敗目を喫したことによって優勝争いから完全に脱落したが、13日目には優勝争いトップ立っている鶴竜破り千秋楽ではすでに大関復帰決めていた栃ノ心相手得意の四つで破るなど意地見せたが、結局二桁白星には届かない9勝6敗で場所を終えることとなった7月場所2日目早々黒星も、その後6連勝。だが8日目玉鷲戦で押し倒し、7勝目挙げた際に玉鷲小手投げで左肘を負傷、腕を庇いながら土俵下りた勝ち越し掛かった9日目の正代戦は、サポーター付けて対戦したが、土俵際突き落とし敗れる。翌10日目明生戦は、左を殆ど使わず右腕から攻め続け寄り切って8勝2敗と勝ち越した。しかし、左肘の怪我思わしくなく、11日目横綱白鵬戦は「左肘関節内側側副靱帯断裂で約1カ月休養加療要する見込み」で途中休場。これにより、昭和以降では初め4大関が全員休場するという異常事態となる(角番貴景勝初日から全休で翌場所関脇陥落栃ノ心豪栄道途中休場)。場所後の夏巡業全休した。次の9月場所前になっても左肘は回復しない為に稽古出来ず、当場所は初日から全休表明する2019年10月28日演歌歌手杜このみ婚約したことが明らかになった。2人2016年2月NHK福祉大相撲初め会い2017年5月に、田子ノ浦部屋夏場所千秋楽パーティー細川たかしとともに招待され再会同学年ということもあり意気投合しほどなく交際始まり2019年夏高安プロポーズしたとのこと。 ところが11月2日佐渡ケ嶽部屋行われた二所ノ関一門連合稽古で、竜電平幕3人に計27番で1314敗と不調伝えられた。怪我をしている左肘を庇う相撲から一門理事芝田山に「自分の形で稽古しないと場所中も中途半端になるいまさら肘が『怖い』なんて言っていられない」と酷評された。 明治神宮例祭奉祝 奉納70全日本力士選士大会 相手日馬富士関(2011年10月3日撮影靖国神社奉納大相撲 土俵入り2017年4月17日撮影靖国神社奉納大相撲 相手琴奬菊関(2017年4月17日撮影

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大関昇進後

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豪栄道豪太郎」の記事における「大関昇進後」の解説

新大関として迎えた9月場所には初日髙安戦でいきなり黒星喫する2日目豊ノ島戦では不戦勝による大関初白星得たが、昇進後の初白星不戦勝というケース昭和以降初めてである。12日目には1敗を守り優勝争いをしていた新入幕逸ノ城破れた。6勝6敗で迎えた13日目の白鵬戦では勝利を収める奮闘見せ千秋楽での勝利によりようやく8勝7敗の勝ち越し果たした。場所後の10月5日相撲関係者始めとして約1000人が集まった大規模な昇進披露宴開催され北の湖理事長横綱審議委員会家里明らから激励受けた。 しかし続く11月場所では振るわず中日から5連敗崩れて12日目に負け越し、5勝10敗と二桁黒星喫した2015年1月場所は大関3場所目で初の角番迎えるが、12日終了時点で5勝7敗と僅か在位3場所で大関陥落大ピンチ陥ったものの、土壇場から3連勝して千秋楽琴奨菊勝利して8勝7敗と勝ち越し辛うじてカド番脱出した大関として初め地元大阪府3月場所控え、場所前に優勝争い加わり13勝する」と公言し初日から4連勝したものの、中盤以降崩れ8勝7敗であった5月場所12日目に白鵬首投げで土をつける活躍果たしたもののその1番で左肩を故障13日目に勝ち越し果たしたにもかかわらず14日目に「左肩峰剥離骨折で約4週間加療要する見込み」との診断書日本相撲協会提出して休場した2015年7月場所、左肩のケガ完治せずも敢えて強行出場初日からいきなり2連敗苦戦強いられたが、7日目新大関照ノ富士下すなど持ち直して12日目に勝ち越しその後白鵬鶴竜の両横綱には敗れたが、千秋楽稀勢の里突き落とし自身大関としては最高成績の9勝6敗で取り終えた。だが翌9月場所は、中盤以降黒星先行するなど不調で、千秋楽稀勢の里寄り切られ7勝8敗、大関として2度目皆勤負け越し喫してしまった。次の11月場所2度目大関角番だったが、千秋楽栃煌山戦で得意の首投げぎりぎり8勝7敗と勝ち越して角番脱出した2016年1月場所は前年11月場所前に傷めた右手首痛が悪化した影響からか、7日目からは9連敗千秋楽には大関琴奨菊突き落とされ2006年1月場所の栃東以来10年ぶりの日本出身力士による幕内優勝献上する格好となった最終的に大関昇進後ではワーストの4勝11敗に終わってしまい、ご当所2016年3月場所は3度目大関カド番となる。3月場所好調で、5日目琴勇輝敗れた以外は白星重ね9日目に早々にカド番脱出11日目終了時点10勝1敗で白鵬稀勢の里並び優勝争いトップ立った。しかし12日目の白鵬との直接対決あっけなく敗北その後優勝争い絡み続けたが、千秋楽稀勢の里敗れ12勝3敗で終えた。それでも大関昇進後初の二桁勝利をあげる活躍をみせた。この場所は5日目相撲で太もも肉離れ重傷負っており、蹲踞もできず他人の肩を借りない歩けないほどであったが、人知れず複数病院出向き痛み止め注射を5本も打ち栃木から気功師まで呼んで緊急処置を受け、土俵立ち続けた5月場所初日から5連勝好調な滑り出しだったが、6日目琴勇輝立合い上手く合わず敗れるとその後調子崩し、9勝6敗の成績だった。この場所12日目の白鵬戦では左目眼窩内壁骨折した7月場所12日目までに7勝を挙げるもそこから負け続け、7勝7敗で迎えた千秋楽敗れ3連敗喫し7勝8敗と負け越した

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