あい‐くち〔あひ‐〕【合(い)口】
合い口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 08:41 UTC 版)
特別に苦手な力士はおらず、現役時代に対戦した横綱・大関陣とはほぼ互角に渡り合い、下位力士で苦手とする力士はいなかった。 第55代横綱・北の湖に対しては既に全盛期を過ぎていた事もあって、3勝2敗と1つの差で勝ち越している。 兄弟子・千代の富士の「天敵」と言われた第59代横綱・隆の里に対しては5勝5敗と全くの互角であり、1985年1月場所から1986年1月場所まで4連勝していた。1986年1月場所初日に当時関脇・保志の四股名で隆の里と対戦、保志に肩透かしで敗れた隆の里は、この取組を最後に現役引退となった。 北勝海と同じ「花のサンパチ組」だった第60代横綱・双羽黒に対しては、8勝9敗と1つの差で負け越している。 北勝海と同じ北海道十勝地方出身で1学年上の第62代横綱・大乃国に対しては、優勝決定戦を含めると14勝21敗と一番の苦手としており(1つ不戦敗有り)、特に1985年3月場所から1986年1月場所まで6連敗を喫するなど圧倒的な差をつけられていた。だが、北勝海が横綱昇進した1987年7月場所以降は決定戦を含め8勝6敗(1不戦敗)と力関係が逆転し、さらに1989年1月場所以降の成績は6勝2敗と大きく勝ち越している。 第63代横綱・旭富士に対しては、優勝決定戦を含めると23勝19敗と僅かの差で勝ち越している。 のち第64代横綱・曙に対しては4回対戦し、2勝2敗と全く互角の成績だった。 のち第65代横綱・貴乃花(当時貴花田)は2回のみ対戦し、初対戦は敗れるも2回目の取組では勝利し1勝1敗と互角の成績。 のち第66代横綱・若乃花(当時若花田)も2回のみ対戦し、2戦2勝だった。 先輩大関・琴風に対しては5勝4敗とほぼ互角だった。琴風に対しては1敗 → 3連勝 → 3連敗 → 2連勝とほぼ交互の星取りだった。 先輩大関・若嶋津に対しては13勝9敗と勝ち越していた。1984年11月場所時点では3勝4敗と負け越していたが、1985年以降は5月場所から11月場所まで4連勝をするなど10勝5敗と得意としていた。 先輩大関・朝潮に対しては15勝11敗と4つの差で勝ち越している。初顔から4連敗を喫するなど、初顔〜1985年の対戦成績は4勝7敗と苦手としていたが、1986年以降の成績は11勝4敗とカモにしており、北勝海の大関獲り以降、両者の力関係が逆転したことがわかる。 先輩大関・北天佑に対しては17勝18敗と1つの差で負け越しのほぼ互角。かつて大関昇進前の1985年5月場所から1986年1月場所にかけて5連敗するなど苦手としていたが、横綱昇進以降は1989年5月場所から1990年3月場所まで6連勝するなど10勝5敗と力関係が逆転している。 横綱双羽黒らと同じ「花のサンパチ組」の後輩大関・小錦に対しても、優勝決定巴戦を含めると16勝17敗と1つの差で負け越し(1つ不戦勝有り)。1985年5月場所から1986年11月場所までは6連敗を喫していたが、その後の1987年1月場所から1987年11月場所まで6連勝をするなどほぼ互角だった事がわかる。 後輩大関・霧島に対しては優勝決定巴戦を含むと11勝6敗と得意にしていた。初顔から7連勝をしておりカモとしている時期もあったが、霧島が三役に定着した後は4勝6敗と苦手としていた。
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「合い口」の例文・使い方・用例・文例
- 彼とは合い口が悪い
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