しこ‐な【▽醜名】
四股名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 04:59 UTC 版)
注釈
- ^ 場内アナウンスでも一般で言う姓の部分しか呼び上げない。これは四股名に限らず、年寄名も同様である。
- ^ ちなみに、前名「若三杉壽人」の前に「若三杉幹士」。
- ^ 近年では1999年3月場所から2005年11月場所まで力士の「幸司(ゆきつかさ)」と呼出の「幸司(こうじ)」、2012年7月場所から2017年3月場所まで力士の「魁渡」と呼出の「海人(現・重次郎)」(読みは両者とも「かいと」)、2023年5月場所から力士の「隆志」と呼出の「隆二」(読みは両者とも「りゅうじ」)の例がある。
- ^ これに関しては琴欧洲も引退後に「大雑把だ」と自身の四股名に対して自覚するところを話し、関ノ戸も「黒海は地域を絞っているから」という趣旨の意見を述べていた[5]。
- ^ 部屋ゆかりの冠文字(詳細は後述)も同様の理由で快く思わないと主張している[6]。
- ^ 近年では従来の本名をそのまま本名にする例が増えている(鶴竜、朝赤龍など)。
- ^ 新たな四股名を名乗ったのは暴行死事件に関与した2名のみであり、ともに改名後の四股名で土俵に上がることなく解雇されている。
- ^ 力士としては引退し、これを機に「廃業」の用語が廃止された。
- ^ 寺尾常史は引退後の2004年(平成16年)1月に錣山部屋を創設。2005年1月場所に初土俵を踏んだ弟子(本名・高野剛)に自身の現役時に因み、寺尾丸と四股名を命名した。このようなケースはよくあるものの、当該力士は2013年7月場所以降、錣山の四股名をそのまま継承し、寺尾を名乗った。この結果、血縁関係がない人物の旧姓を四股名に利用するという、非常に珍しい事態が生じた。
- ^ 上部分の「前田山」は前述の通り骨髄炎で切断必至とされていた自身の右腕を完治させてくれた前田和三郎に因んでいるが、下の名前の由来と本人の暴れん坊ぶりから四股名そのものが大前田に由来しているという誤解を生むことが少なくなかった。
- ^ 同名の食品メーカー会社が存在することで話題になったが、同企業と力士の山本山は一切の所縁がない。
- ^ 本当の初代豊山鬼吉は秋田県出身で錦島部屋→伊勢ノ海部屋に所属。豊山の四股名は3年間の使用でそれ以外は「荒馬 鬼吉」の四股名だった。
- ^ 在日韓国人であり、韓国語での正確な読みは「イ・デウォン」となる
- ^ 読みは「エソ」または「コチ」とする説が有力だが、いずれにしても正確な読みは判っていない。
- ^ 国字研究者である大原望の調査結果が参考になるのでリンクしておく。【日本語を読むための漢字辞典】『動物漢字の辞典』【魚3】
出典
- ^ a b c d e f g h i 『大相撲中継』2017年11月18日号 pp.84-85
- ^ 内館牧子 『大相撲の不思議』 潮新書 2018年 ISBN 978-4-267-02149-7 p.184.
- ^ 「雲龍」を名乗った力士は雲龍久吉以外にももう1人いるが、下の名前は伝わっていない。他に「雲竜」を名乗った者が2人おり、雲龍久吉以外では全部で3人が確認できるが、いずれも明治期に名乗っていたものであり、それ以降は現在まで100年以上も名乗る者が出ていない。
- ^ 【大相撲の不思議】関取の四股名から「川」が消えたって知ってた!?(1/3ページ) 現代ビジネス 2020.09.28 (2023年3月19日閲覧)
- ^ 相撲塾 関ノ戸(元小結・岩木山)との対談(両国国技館) 2014年5月10日
- ^ 2006年2月6日付日本経済新聞 「スポートピア」
- ^ 2015年7月22日付 日刊スポーツ紙面
- ^ 『大相撲ジャーナル』2016年10月号70ページ
- ^ 『大相撲中継』2017年8月12日号 p102
- ^ a b 大相撲徳俵】大関高安、姓にルーツある大阪で活躍誓う 横綱になってもしこ名変えず - 産経新聞 2019年3月9日
- ^ 月刊 本の窓 スポーツエッセイ アスリートの新しいカタチ 第8回 石浦 - P+D MAGAZINE
- ^ ただし、取的であれば最高位が幕下38枚目だった力士が昭和戦前期に名取っていた事例がある。
- ^ a b c d 珍四股名大全集 参照
- ^ 力士プロフィール-大翔鶴 亀太郎 日本相撲協会公式サイト
- ^ 阪神好き高じ「朝阪神虎吉」改名「覚えてもらえる」nikkansports.com 2018年2月27日
- ^ 明和2年10月場所の番付表
- ^ フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 6』講談社、2004年、131-132頁。
- ^ 大神風8度目改名、元大関千代大海が「名前やる」 nikkansports.com 2015年4月27日
四股名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/22 20:50 UTC 版)
十両昇進を確定的にした2004年5月場所、「十両に昇進したら地元にちなんだ四股名にしたい」と話すも翌場所は改名せず、勝ち越したら改名と宣言。同場所で勝ち越しを果たし、改名すると思われた翌9月場所も改名はなく、「入幕したら改名」とまたもや改名を持ち越した。結局新入幕を果たした2005年5月場所以降も四股名を改めることはなかったが、2008年3月場所前に名前を「信次」と改名した。
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四股名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/04 09:31 UTC 版)
大岩山大五郎(おおいわざん・だいごろう) - 昭和10年代~昭和20年代後半にかけて活躍した、立浪部屋に所属した大相撲力士。 このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能を有する場合の水先案内のために、異なる用法を一覧にしてあります。お探しの用語に一番近い記事を選んで下さい。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えて下さい。
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四股名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 03:03 UTC 版)
小柳長吉 (こやなぎ ちょうきち) - 第6代横綱阿武松緑之助、大関手柄山繁右エ門が名乗っていた四股名。 小柳平助 (こやなぎ へいすけ) - 幕末の力士。最高位は前頭3枚目。 小柳常吉 (こやなぎ つねきち) - 幕末の大関。小柳春吉とも名乗った。小柳常吉 (明治) - 明治時代の関脇。 小柳芦太郎 (こやなぎ あしたろう - 明治時代の力士。最高位は前頭2枚目。 小柳亮太 (おやなぎ りょうた) - 豊山亮太が名乗っていた四股名。本名に由来する。
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四股名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/20 18:52 UTC 版)
薬師山精進 – 昭和10年代の十両力士。やくしやま せいしん。 このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能を有する場合の水先案内のために、異なる用法を一覧にしてあります。お探しの用語に一番近い記事を選んで下さい。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えて下さい。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
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四股名
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「雷山 (曖昧さ回避)」の記事における「四股名」の解説
雷山勇吉(らいざん ゆうきち) - 東京都出身の元力士。最高位は東前頭12枚目。 雷山亀吉(らいざん かめきち) - 東京府出身の元力士。最高位は東前頭14枚目。
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四股名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/20 14:49 UTC 版)
出羽湊利吉 - 戦前・戦中の幕内力士。優勝1回。最高位は関脇。 出羽湊秀一 - 戦後の幕内力士。最高位は前頭筆頭。
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四股名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/19 17:37 UTC 版)
鶴ヶ濱政吉 - 小野川部屋、玉垣部屋、雷部屋、八角部屋に所属した司天龍政吉の前の四股名。最高位小結。7代大嶽、5代中立。奈良県出身。 鶴ヶ濱熊吉 - 小野川部屋、八角部屋、中立部屋に所属した力士。最高位前頭3枚目。4代伊勢ヶ濱。奈良県出身。政吉の弟子。 鶴ヶ濱増太郎 - 中立部屋、荒磯部屋、朝日山部屋に所属した力士。最高位小結。13代玉垣。奈良県出身。政吉の弟子。
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四股名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 09:49 UTC 版)
金龍山勝(きんりゅうやま) - 1989年まで春日野部屋に所属した力士。元 金子、本名: 金子勝。 金龍山鐘根(きんりゅうざん じょんぐん) - 大韓民国出身で松ヶ根部屋に所属する力士。
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四股名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 03:44 UTC 版)
「信夫山 (曖昧さ回避)」の記事における「四股名」の解説
信夫山秀之助(しのぶやま ひでのすけ、1902年 - 1957年) - 1920-30年代(昭和初期)に活躍した幕内力士。 信夫山治貞(しのぶやま はるさだ、1925年 - 1977年) - 1950年代に活躍した関脇。 このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能を有する場合の水先案内のために、異なる用法を一覧にしてあります。お探しの用語に一番近い記事を選んで下さい。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えて下さい。
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四股名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 17:18 UTC 版)
四股名である「阿武松」は、萩の景勝地「阿武の松原」に由来する。 現在、「阿武松」の名は日本相撲協会の年寄名跡の一つとされ、一種の止め名となっている。
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四股名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 03:23 UTC 版)
大日山廣司 この項目は、山岳に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ山)。都道府県別スタブ(福井県・石川県) ページサイズ順山岳ページ一覧(小/大) この項目は、言語学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 言語学)。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
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四股名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:50 UTC 版)
武蔵野和田右エ門 - 宝暦年間(1760年代)の力士。最高位幕下筆頭。 戸田川鷲之助 (4代) - 天明年間(1780年代)の力士。最高位前頭3枚目。冨士ヶ嶽 → 武蔵野幸内 → 戸田川幾右エ門 → 戸田川鷲之助(4代)と改名。 武蔵野久五郎 - 文化(1810年代)の力士。最高位幕下9枚目。 佐渡ヶ嶽沢右エ門 (3代) - 文化・文政年間(1810・20年代)の力士。最高位前頭筆頭。武蔵野初五郎 → 桟シ初五郎(初代) → 桟シ初右エ門 → 佐渡嶽沢右エ門(3代) → 佐渡ヶ嶽沢右エ門と改名。 武蔵野門太 - 天保・弘化年間(1840年代)の力士。最高位前頭4枚目。 武蔵野弥助 - 安政年間(1850年代)の力士。最高位前頭5枚目。武ノ川弥助 → 武蔵野弥助と改名。 武蔵野英之助 - 1880年頃の力士。最高位十両6枚目。 1940年代の力士。最高位幕下5枚目。 1950年代の力士。最高位序二段47枚目。 1960年頃の力士。最高位序二段80枚目。
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四股名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/28 07:41 UTC 版)
虹ヶ嶽杣右エ門 (初代) - 安永・天明年間(1780年前後)の力士。最高位大関。 檀ノ浦力右エ門 - 文化・文政年間(1820年前後)の力士。最高位小結。檀ノ浦力右エ門 → 虹ヶ嶽力右エ門 → 二ツ嶽岨右エ門と改名。 小野川才助 - 1860年代の力士。最高位関脇(京都相撲では横綱)。虹ヶ嶽杣右エ門(2代) → 小野川才助(2代)と改名。 このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能を有する場合の水先案内のために、異なる用法を一覧にしてあります。お探しの用語に一番近い記事を選んで下さい。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えて下さい。
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四股名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/28 07:41 UTC 版)
外ヶ濱浪右エ門 (初代) - 明和・安永・天明年間(1770・80年代)の力士。最高位小結。外ヶ濱浪右エ門(初代) → 沖津風浪右エ門 → 外ヶ濱浪右エ門と改名。 沖津風磯右エ門 - 天明・寛政年間(1780・90年代)の力士。最高位小結。沖津風礒右エ門 → 梶右エ門 → 礒右エ門と改名。 沖津風浪右エ門 (2代) - 文化12年(1815年)に1場所だけ在位した力士。最高位幕下2枚目。 1930年代の序二段力士。最高位序二段28枚目。「沖ツ風」とも。 このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能を有する場合の水先案内のために、異なる用法を一覧にしてあります。お探しの用語に一番近い記事を選んで下さい。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えて下さい。
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四股名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/02/12 05:56 UTC 版)
増位山岩之助(ますいざん・いわのすけ) - 大関・境川浪右エ門の前の四股名。 増位山大四郎(ますいざん・だいしろう、ますいやま・だいしろう) - 第14代横綱:境川浪右衛門が大関昇進まで名乗っていた四股名。読みは「ますいざん」。後述の増位山大志郎の前の名乗り。読みは「ますいやま」。 増位山大志郎(ますいやま・たいしろう) - 大関(在位期間1949年1月 - 1950年1月)、年寄9代三保ヶ関。兵庫県姫路市出身。 増位山太志郎(ますいやま・だいしろう) - 大関(在位期間1980年3月 - 1981年3月)、増位山大志郎の長男、年寄10代三保ヶ関。東京都墨田区出身。現在は主に演歌歌手として活動中。
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四股名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/12/23 07:27 UTC 版)
由来は諸説ある。 源氏山綱五郎 - 江戸時代前期の強豪力士。大正時代まで吉田司家公認の横綱代々に2代目として挙げられていた。 源氏山住右エ門 - 宝暦年間まで12年間に渡り無敗を誇った。江戸・京都・大坂・長崎で大関を務めるなど20年近く三役で活躍し名人と謳われた。 源氏山源右エ門 - 後援者に取り入る意味の角界の隠語「ゲンブ」の元となった源武山源右エ門が東西合併前の大坂相撲時代に名乗り、東京相撲でも1927年に1場所だけ名乗った四股名。 近年は井筒部屋につたわる四股名である。 源氏山大五郎 - 1910年代から1920年代に活躍した大相撲の第30代横綱・西ノ海嘉治郎 (3代)が横綱昇進直後まで名乗った四股名。 源氏山祐蔵 - 1930年代の幕内力士。西ノ海嘉治郎 (3代)に最初入門した。 源氏山力三郎 - 1980年代-1990年代に活躍した大相撲の元関脇・寺尾常史が十両時代1場所だけ名乗った四股名。 井筒部屋以外では、源氏山頼五郎(高砂部屋)がいる。
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四股名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/08 06:51 UTC 版)
三根山隆司(みつねやま、1922 – 1989)、大相撲力士 このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能を有する場合の水先案内のために、異なる用法を一覧にしてあります。お探しの用語に一番近い記事を選んで下さい。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えて下さい。
※この「四股名」の解説は、「峰山」の解説の一部です。
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四股名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/16 09:11 UTC 版)
みのしま 箕嶋邦五郎 - 玉垣部屋に所属した常盤山小平治のかつての四股名。最高位関脇。7代常盤山。これ以前に箕嶋権太夫、箕嶋萬吉も名乗った。 箕嶌邦五郎 - 常盤山部屋、玉垣部屋に所属した常盤山小平治のかつての四股名。最高位関脇。8代常盤山。7代の弟子。 箕島邦五郎 - 玉垣部屋、常盤山部屋に所属した鷲ヶ濱音右エ門のかつての四股名。最高位前頭4枚目。9代常盤山。8代の弟子。 このページは地名の曖昧さ回避のためのページです。一つの地名が2か所以上の場所に用いられている場合の水先案内のために、同じ地名を持つ場所を一覧にしてあります。お探しの場所に一番近い記事を選んでください。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えてください。 このページは人名(人物)の曖昧さ回避のためのページです。同名の人物に関する複数の記事の水先案内のために、同じ人名を持つ人物を一覧にしてあります。お探しの人物の記事を選んでください。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えてください。
※この「四股名」の解説は、「箕島」の解説の一部です。
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