源氏山
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源氏山(げんじやま)
四股名
由来は諸説ある。
- 源氏山綱五郎 - 江戸時代前期の強豪力士。大正時代まで吉田司家公認の横綱代々に2代目として挙げられていた。
- 源氏山住右エ門 - 宝暦年間まで12年間に渡り無敗を誇った。江戸・京都・大坂・長崎で大関を務めるなど20年近く三役で活躍し名人と謳われた。
- 源氏山吉太夫 - 山形県天童市出身。1825年(文政8年)大関昇進、1828年(文政11年)引退。引退後は二代目秀ノ山を襲名して後継育成に努めた。
- 源氏山源右エ門 - 後援者に取り入る意味の角界の隠語「ゲンブ」の元となった源武山源右エ門が東西合併前の大坂相撲時代に名乗り、東京相撲でも1927年に1場所だけ名乗った四股名。
- 源氏山大五郎 - 1910年代から1920年代に活躍した大相撲の第30代横綱・西ノ海嘉治郎 (3代)が横綱昇進直後まで名乗った四股名。
- 源氏山祐蔵 - 1930年代の幕内力士。西ノ海嘉治郎 (3代)に最初入門した。
- 源氏山力三郎 - 1980年代-1990年代に活躍した大相撲の元関脇・寺尾常史が十両時代1場所だけ名乗った四股名。
日本の山
関連項目
源氏山
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『皇国地誌』は以下のように記す。「直立二八丈本村の中央に位す。山上へ登臨すれば、一目の下に七州を望むべし。その東南は本郡の六国見および武州金沢諸山重畳せり。転じて西北を瞩すれば上州の赤城榛名あるいは秩父の峰巒、連綿として起伏し、その後口に高く聳へて雲中に縷々と烟火を噴くものは信州の浅間嶽なり。また西方を仰ぎ望めば富嶽の白雪玲瓏として不絶皐天に連り、甲斐の身延、本州の雨降、二子は児孫の如し。金時山は壮士の怒立する者の如くして脚下には整列す。稍々頭を左に回らせば、豆州の天州は青螺の壮を呈す。その側らに波瀾渺茫の際に巨船および漁舟の白帆、殆ど白鳥の遊舞するに髣髴たり。嗚呼此観海山の勝景と謂て可なり。」当地の旧家である森家の家譜によると、源義家の六男である源義隆を同家の元祖としているという。この山の西側には、直線的に下る横浜市内でも有数の急坂があり、富士山を正面に望む。また、中腹にある子の神公園の案内板には、源氏山、天台、日向山といった小地名の説明がある。
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