〒786-0001 高知県高岡郡四万十町藤ノ川
藤ノ川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/02 09:29 UTC 版)
藤ノ川(ふじのかわ)は、大相撲の伊勢ノ海部屋の力士に代々伝わる四股名である。
- 藤ノ川忠之助(ふじのかわ ちゅうのすけ) - 柏戸宗五郎 (1848年生) が名乗った四股名、1880年代(明治中期)に活躍した幕内力士。
- 藤ノ川雷五郎(ふじのかわ らいごろう) - 1910-20年代(大正時代)に活躍した関脇。
- 藤ノ川秀剛(ふじのかわ ひでたけ) - 柏戸秀剛が名乗った四股名、1940年代に活躍した幕内力士。
- 藤ノ川武雄(ふじのかわ たけお) - 1960-70年代(昭和40年代)に活躍した関脇。3の弟子。
- 藤ノ川祐兒(ふじのかわ ゆうじ) - 1980年代に活躍した幕内力士。4の弟子。
- 藤ノ川成剛(ふじのかわ せいごう) - 2025年に昇進した現役幕内力士。父は年寄:甲山(元大碇)で、4の孫弟子。
藤ノ川(ふじのかわ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 20:37 UTC 版)
「おかみさん 新米内儀相撲部屋奮闘記」の記事における「藤ノ川(ふじのかわ)」の解説
大駒部屋所属の大ベテラン力士。単行本6巻で初登場時は39歳で十両に在位。 作中における初音の紹介によると、昭和46年九州場所で初土俵、昭和52年夏場所で新入幕、最高位関脇で幕内には延べ53場所在位し、殊勲賞・敢闘賞を各2回、技能賞を3回受賞し、「大相撲力士歌合戦」でも歌唱賞を受賞したとされる。また、単行本8巻に描写された新聞記事によると、出身地は栃木県で、得意技は突き落とし、昭和60年夏場所では三賞を独占した。 加齢に伴い衰えて番付を降下させて以降も、「自分が納得するまで現役を続けたい」として土俵に上がり続け、本場所で敗れた逆波と三番稽古を行う為に春日部屋に赴いた。上述の通り初音に誤解されたこともあるものの、引退直前まで情熱は健在に描写されていた。 上述の初音との入れ替え戦を最後に40歳で引退。引退後は年寄名跡を襲名せず、兄が経営する会社で人事部長に就任。
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